こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

思考の束、なんでもござれ。

2018年12月02日 | 自己実現
過去の感情体験を身体の内に抱えながら人は生きている?
そうかもしれないと、思います。
平素は意識にも上らず忘れていても、身体は記憶していて、
何かのきっかけで意識に上ることもあれば、
無意識のまま生きてゆくこともあるのでしょう。

気心の知れた人たちと、夕食の気楽な会話から始まって夜更けまで。
だいたい2時間を過ぎた頃から会話は佳境に入り、
あっちに飛び、こっちに飛び、思いつくまま語り合っていると、
無意識にあった思考と感情の束が顔をだしてきたりして。
脳みそがストレッチをうけたみたいに解れて、
思考の可動域が押し広げられたような軽やかな感覚になるものです。

ポジティヴもネガティヴもなんでもござれ。

受容と共感の関係性の中で起こる無意識の意識化では、
よいとかわるいとか、ポジティヴだネガティヴだの判断なしに、
ただそこにあるのを認める、「受容」が、ごく自然に起こるようです。

一つの出来事を紐解くと更なる出来事との関連が見えてきて、
その出来事からまた別の出来事が繋がって、
一人の人物との関係から生まれた思考と感情を紐解くと、
更なる別の人物に対する思考と感情が見えてくる。。。

人は過去の思考の束を抱えながら生きている、
遭遇した出来事や人々との関わりの中で生まれた思考と感情の束を、
誰もが抱えながら生きているとすれば、
次々と途切れることなく人と人が繋がって、
出来事と出来事も繋がっていくことがイメージされてきます。

今この瞬間、水平に拡がる無数の繋がりと、母と母の母と、
そのまた先の母という具合にどこまでも遡ってゆく繋がりと、
生きとし生けるもの、もしかすると生物も無生物も、
すべてが繋がってゆく網の目のような広がりがイメージされて、
無限の自己まで想像が拡がって、なんだか目眩がしそう。。。

           *

過去の思考と感情の束を抱えながら生きる私だとしても、
ストレス曲線と幸福曲線の記憶と、身体の内に在るものすべてを、
ただ在ると認めるとき、否定も肯定もせずにただ存在を認めるとき、
なんとも言葉で表しがたい安堵を覚えるのです。

それにしても。こんなふうに思考と感情を見つめ安堵を覚える私とは、
誰なんでしょう?、、、答えは出なくていいですね。

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