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こんにちは。ステップあやです。

昨日の記事の続きだよ~。

 

最後の方に書いたココの部分。

 

(限界を認めて”やらない・断る”ってことを”すべきでない”って思いこんで頑張り過ぎてる”から”、

 

全体みるとすごく苦しいダイエットの一瞬の高揚感や過食で本来のストレスを曖昧にする摂食障害の症状(人によってはその他の依存的な紛らわし行為)がないと、心身のバランス取れなくなってるんだよ、


ってなんとなく理解できてきても今度は

「でも限界を認めて”やらない・断る” なんてしたら、罪悪感で余計ストレスだよ」
とか、
 
「だってやらなかったら
”それ位みんなやってる”
”ふつうじゃない””ワガママ”
 って言われる(泣)から」
 
「”ダメな奴””悪い奴”って
世間や親や他人に思われるから」
 
だから余計ストレスだし
そんな情けない自分になること
私のヤリタイことじゃない

って思うかもしれない。
 
 
ここね、私もそんなこと言ってる張本人だったから本当に、その思うのはわかるの。
 
 
でも、そう思うとしたら、改善していくべきはそこの考え(思いこみ)⇒モヤモヤなんだよね。
 
 
「今すぐ」その癖になってる考えを変えようと思っても無理だけど、年単位のゆっくりなペースでいいからその苦しい思い込み(当たり前)のほうを、楽な思い込み(当たり前)に変えていけたらいいよね。
 
 そのために何をしたらいいかな?
ってことが今日の記事。
 
 
まずは、前のページにもかいたけど、
 
自分が人のふつうや世間や親の常識(ふつうは~みんな~する、しない)を自分におしけて、~やるべき、べきでない、←こういう考え(思いこみ)を持っていることに、気づくこと。
 
どうやって気づくかって、自分の”負の感情”がそれを知らせてくれるサインです。
 
といっても、生きていれば負の感情がない人はいないからそれが問題なんじゃないよ。
 
 
ただ、負の感情でてきたら、そのルーツを点検していくと、人との比較、世間や親の”ふつう”や”正しさ”(べき、べきでないの思い込み)←これ前提に生まれてるな、って気づくときがあるんだよね。
 
 
単に個人の好き嫌いの問題じゃなくて、絶対こうあるべき!こうでないべき!←この絶対~の思い込みって私当たり前に思ってるから嫌な気持ちするんだなって気づくときがあるのよ。
 
 
 
劣等感という負の感情も、人と比べて違いに気づくだけなら生まれないんだけど、その違いに対して「~できるのがイイ、できないのはダメ」っていう考え(思いこみ/当たり前)をもって、自分に良い悪いの評価を下すから生まれてるんだなとか。
 
 
罪悪感というのも、世間や親の常識、普通、正しさ「~すべき、しなければ」っていう思い込みがあって、それと違うのはダメとする思い込みが自分の中にあるから、感じてるな、って気づいたり。
 
 
他人にイライラするときも、ルーツ辿っていくと、自分が正しい(と思ってる)常識や普通(べき、べきでない)を、人にもあてはめるときに、あの人間違ってるってジャッジしてるなと気づくことがあります。
 
 
そいうのも生きてれば誰でもあるから負の感情自体は問題じゃないよ。
 
 
ただ「絶対~べき/べきでない」の思い込みが多い人ほど、負の感情を感じる頻度も程度も増えて、ストレスは大きくなる。
 
 
”優しさ”とはこうあるべき、べきでない
”愛”があるなら、こうするべき、べきでない
”ちゃんとした人間”はこうあるべき、べきでない
 
とかいう思い込みがあれば、愛や優しさを受け取るチャンスも逃してしまって孤独感で一杯になるし、
 
自分自身も人のために~すべきだ、しなきゃって思い込みで頑張り過ぎていると、やり遂げることの方が大事になって大切な人にもイライラしたり、「わかってもらえない感」で一杯の孤独な世界に自分をおいやってしまったり。。
 
 
私は全部身に覚えがありますがw
 
自分の”思い込み”って思いこみだから、絶対そうだ!っておもってるんだけど、それ信じてツライならば、あえてそこを疑ってみようっていうことなんだよ。
 
 
その考えがなかったころは
 
逆に自分の~ねば、べき、しなきゃ、~ではダメだ!などの思い込みで苦しんでるのに、やっぱりその思い込み通りにしなきゃダメって考えの証拠集めばっかりしてたの。
 
たとえば、、
 
 
自分の心身の声優先したときに
誰かに怒られた、不機嫌になられた
 
→ 「ああ、やっぱり」。
やっぱり無理してでもやらないんといけないんだ
 
みんなやってるけど自分にはシンドイこと
いってみたら「それ位のストレスみんなある」
「普通はみんなやってるよ」と誰かに言われた。
 
→ああ、やっぱり。
やっぱり世間や他人のいってる”普通””常識”に目を光らせて、その型に自分をはめ込んで生きてないとダメなんだ。
やっぱり、出来ないなんて言っちゃいけないんだ。
 
とかいうふうに。
自分を苦しめてる考えのほうの証拠集めが癖になってた。
 
 
それ小さい頃から繰り返してたから

 

(体形も食べ方も、人付き合いでの振る舞いも)

 

自分の心身の感覚が楽しく楽になるように
生きていてはダメなんだって
自己否定の自己暗示かけながら
生きてるのも同然だから、
どんどん自分がダメな存在に思えていった。
 
いつも一緒にいる自分が嫌いって、
嫌いな他人なら会わなきゃいいけど
もう相当ストレスです。
 
 
ダメだなと思うところがあるっていうの違うの。
 
自分の”存在”が恥ずかしいとか、人に知られてはいけないダメな奴だとか思ってるのって、それを自己肯定感が低いっていうんだけど、ストレスよねやっぱ。
 
 
自分が自分をダメと思ってるから
他人にもダメの評価
下されるんじゃないかって
戦場でいつ爆弾飛んでくるか
ビクビクしてるような精神状態。。
 
それもストレスに違いなかったと思う。
 
 
それで自分が嫌々言ってる心身の感覚の方無視して、いつも他人の顔色や評価にあわせて良い自分演じたり作ってしてた。
それもまたまたストレスで、、
 
 
私も、むかしはそんな生き方が当たり前になってたから麻痺しちゃってて、それがストレスだとは当時は気づかず「ストレスなんてないの。過食だけなんです問題は」とかいってたw。
 
 
いまは、そういう「~べき*べきでない」と違ってもいいんだという考えが私の”あたり前”になってるので、そう思えて無かったころの対人関係を思い出すと、拒食や過食もつらかったけど、やっぱりそのように感じながら生きる心のほうが、つらかったそストレスだったなと思う。
 
 
そういう苦しい考え方が大前提でやる努力の仕方でも、比較的「痩せる」とか「人に評価される」とか,、いい結果出せてるときは何も問題ない気がしてたし、間違ったことしてないって思ってたけどね、
 
人生勝負に勝ち続けることができるわけないので、やっぱり限界がやってきて、摂食障害などの依存でごまかすようになったんだよ。
 
そんな頑張り方でも、ダイエットも勉強も人付き合いも、比較的うまくいってたときは特に大きな問題はなかっただけ。思春期になってだんだん、自分のそういう努力ではうまくいかなくいこともでてきた。そういうときに、摂食障害になったのです。
 
 
 
そんなわけなので、そのツライ証拠集めの「質」を変えるということをしていきました。
 
つまり、自分がやらなきゃダメ、こうしてはダメという思いこ込み←これが違うかも?っていうほうの証拠集めをするようにしたの。
 
〇苦しみから逃げちゃいけない→逃げていい、逃げるから自分がつらくなくできる道が見つかって自分にとって心地よく頑張れること、程度が見えて楽しくがんばれるのかも。
 
〇辛さに耐えることが頑張る→あれ?自分にとって楽しいことラクなことを選ぶから人にとってはどうでも楽しく楽に頑張れるのかも?
 
〇苦しくても(相手がかわいそうだから)やらなきゃ→相手はそこまで苦しんでまでやってほしいと思っていないし、逆に結構迷惑かもよね。

 

〇痩せなきゃ、ちゃんと家事/仕事を思い描く通りにしなきゃ→ 別にそんなに人は言うほどすごいとも羨ましいとも、逆にそれができないことをダメとも思っていないんじゃないか。
 
〇いつも嫌な顔一つせず引き受ける人でいなきゃ→ 無理なことは無理と言っても断っても、無理してる時と同じように「嫌われる時は嫌われるし愛される時は愛される」のかも。
 
〇怒らせないようにしなきゃ→怒らせても目の前の人は大丈夫なのかも。

 

 
〇怒らせても悲しませても迷惑かけても、あなたは愛される人間に変わりないのかも。
 
〇怒らせたら嫌われる→怒られながらも愛されるかも。
 
〇人にあなたのそこダメ、それ嫌だと言われることは自分がダメだから→ 嫌いなとこは嫌いだけどその人は好き、ってあるのかも。

〇昼まで寝てるなんて最低だ→本当かな?
 
〇世間の常識でよいとされる自分になるのが良いのかも→世間の常識の方が”間違っていること”もあれば、一般的にはそうでも”自分には合わないこと”もあるのかも

〇思い込みの話はわかったけど、「やっぱり~しないのはダメ、~してはダメだよね」って思ってるな私。→ それ、親/人からもらった親の価値観かも?
これを、「ねば、べき」の仕入れ元に気づく、といいます。
 
〇自分の心身を楽に自由に生きてダメといれたらどうしよう→もしも、自分の心身苦しくなってるのに限界超えて何かをやれと責めてくる人がいるならば、ますますその人に合わせて生きる必要はないということなのではない?
 
 
***
 
これは単なるサンプルです。
 
こう考えるべきということではなくて、私の昔の当たり前を→違うかも?って疑っていったそのいくつかの例すぎないので、
 
貴方は貴方の、「絶対こんな私はダメ!」「絶対あの人みたいにならなきゃダメ」というあなたの絶対=思い込みの方を、疑っていってほしいなと思います。
 
 
でもこれ、思ってもないことを無理やりポジティブに考えるのとも違います。

 

そんなワケないだろ!って思ってもいいから、自分の思込みとまったく逆の捉え方やまったく別の捉え方もあるにはあるんだな、といろんな選択肢を認識していくだけでいい。
 
 

 

 

 

それと同時に
 
自分のねばべき思考を最初から持ってなくて、自由に食べて自由に生きてる人を「師匠」として観察しながら「やっぱり私が絶対ダメって思ってることやっても大丈夫なんだ」っていうのを実際に見ていくのも同じくらい大事と思う。
 
結構そういうひとは、自分の当たり前と違うので、最初は違和感を感じる相手だったりします。でも、違うからこそ、気づきに繋がるのです。
 
 
私にとっては旦那と父が、私の”当たり前”をまったく持ってないひとだったので、単なる変人に見えていたけど、私が私の思い込みで苦しんでいるのだと気づいてからは、私の師匠になりましたw。
 
 
そういう気づきをくれる人は、全部が大好きで全部が肯定できるある必要はなくて、自分が楽しく楽に生きるために必要な考え方をどんどん吸収していってしまえばいいんだよね。

 

 

 

 
ここまでかいてきた
自分のツライ思い込みの方を疑うって

一回二回やることじゃなくて、

生活習慣”思考にするんだよ。


ここまで書いて思い出した記事のせとくね。
↓↓
 

 

〇時間を無駄に使ってはいけない
〇お金を使ってはいけない
〇有意義なことでないとしてはいけない、
 
という思い込みについて、書いた記事ですが、これに該当しそうな方は、さらに「ステップあや 有意義病」 でググると該当記事もっとでてきます。 
 
 
****
 
 
けどね、考え方だけがんばってもかわらないよ。
 
自分の思い込みに縛らずに
自分の~したい、したくないに
忠実に行動することは
”それでいい”って完全に思える心に
変わってからするんじゃなくて
変わる前から、実行に移していくんだよ。
 
 
心は後からついてくる。←これです。
 
 
痩せなきゃ絶対ダメ→食べる
 
断ってはダメ→やりたくないことは断る
 
苦しいけどやらなきゃダメな奴になるからやらなきゃ→やらない
本当は楽しそう♪って心躍ることがあるけどダサいから仕事にならないからやらない→やりたいならやる
 
痩せてないからできない→痩せる前からやれる形でやってしまう
 
とかも、別個記事にしてきたけど。
 
 
〇不安なまま行動を変えながら
 
〇自分を苦しめている思い込み
「結構そうじゃないかも」のほうの
証拠集めの考え方を繰り返していく、
 
どっちも必要なんだ。
 
私もそのように、自分の思い込みを疑いながら、心身が嫌がってること(やりたくないこと)は、やらないをしてきた。
 
 
病気の家族にやってあげたくてやったことも、私がやりたくて始めたことも、やってるうちに「ああこりゃ私の心身ツラいな、このままいくとキャパオーバーになるなあ」って、心身が疲れてる感覚に気づいたら、その時点で「やめる、断る、減らす」をして、自分の感覚に無理させない、、、
 
 
それをして誰かに怒られても、その人を自分の感覚で生きるのをしない言い訳にしない。
 
 
・・・っていうのを
3年5年繰り返してたら、いつのまにか
頑張って認められる私
怒られないよう頑張って愛される私
じゃなくて
 
私が楽に楽しく幸せに生きてるだけで
怒られながらも
ダメなとこはダメといわれながらも
愛される”うんこ姫”になりました。
 
うんこピンクうんこ(改になったんじゃないよ。
うんこ姫キラキラになったんだよ☺。
 
 

 

 
最後に私の近況のおまけ。
 
今日の記事と似てますが、冷凍庫あった古いサバを焼いて夕飯のおかずに出したら、旦那がチョー不機嫌になって、冷凍しといたカレーをレンチンして自分で食い始めましたw。
 
疲れてるのはわかるが何だその態度は!とくらいは思ったけど、ほうっておけば治るのわかっているので、ほっときました。
でも、あのサバは私が食べても本当に不味かったですw
 
こんな旦那の態度も、昔の私の”当たり前”のときは、蔑ろにされてる感、大切にされてない感、否定されてる感、孤独感で一杯になっていたような出来事です。
 

 

SNSやメール、コメント、皆さんからのメッセージ、返信できませんが皆さん読ませていただいてます。今日のもいただいたメッセージへの応答として記事にしたよ。

 

皆に届くのは無理でも届く人に届けばいいなあ。

 
 
 
 
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