▼本文の前に-------------
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ステップあやです!。
今日はメールフォームからのメッセージを一つ紹介。
一つ前の記事やその前の記事に書いた、摂食障害の根本の”生き辛さ”のひとつ。。
「自分の中にある、”~べき/べきでない”の思い込み(心のフィルター)が、罪悪感や劣等感や自分が嫌いな気持ちを作ってるころがあるよ~
っていうことについてなんだけど、自分の思い込みは、本当に思い込んでるから気づきにくいけど、人の話を聞いてると分かりやいとおもう。
多分メール送ってくれた本人も、文字にされたのを改めてみてみると、自分の思い込み(〇×)→負の感情 の仕組みが分かりやすかったりすると思います。
今日、ちょっとした事であたしの返した言葉に父から卑下する心を今すぐ治せ!消せ!って言われた。
今日の晩御飯はインスタント食べたいと言うから作った。
インスタント食べたいと言う時点で
”私の料理美味しくないのかも。嫌なのかも”
って思いになって。
私は今働いてもないんだから
尚更作れるのに
インスタントは許せなくて、
その心のまま、
「夜ご飯までインスタントになったね」
って言ったら父が
「いいよ、〇〇の負担減るし、
それにいつも仕事で美味しいもの
食べてるからな~」って。
この言葉に、
「ただのニートに何でこんな言葉言える?
こいつ生きていけるのかって
心配でたまらないんやろ?
なのに何でそんなこと言えるの?」
「私 迷惑かけてるのに
そんな私の負担が減るだろって、
何の負担?」
・・・って、
ごめんって言う気持ちと
自分が情けない気持ちとで、
ほんとに苦しくなった。
でも、仕事でいいもの食ってるって
言葉に対して
”あぁ、私の料理は美味しくないんだ”
”用無しみたいなもんよね~”と思ったり。
”用無しみたいなもんよね~”と思ったり。
”いつも仕事では、美味しいもの食べてる”
=家のご飯の事じゃないよと言いたいんだ
と思い込んで、
その後に覚えてないけど
あたしの言った一言に父が、
は?またなんでそっちとった?
お前の飯は美味しいことは
前提で言いよるのにそういう言葉出す?
何言われてもネガティブにとってたら
世の中渡れんぞっ!
他人はお前のことどうでもいいんだから、親しか言ってくれない。俺が生きてるうちにもう今すぐ治せ!俺は先に死ぬんだから。って。
これ聞いてちょっと前は泣いてた。
結構前から卑下を治せ、
素直になれって
怒鳴られて言われてるけど
この言葉も
幻滅されてる。
居ない方がいいんだ。
って受け取ってたし、
泣きながら
「言ってること分かってるけど
自分が分からんのや!出来んのや!
どうしたらいいんや!苦しいんよ!」
って言ってた。
何かあったら言い合いして
喧嘩してたけど
今は受け入れてるのか、
今は受け入れてるのか、
「クズな自分の為に
言ってくれてるんだよな」
と思うとそろそろもう
言い返すこと出来ないし・・・
という卑下なのか申し訳なさなのかはわからんけど。
でも、父は私を不幸にしてやると言う事はないって事と、私はそういう性格が自分に首絞めてるって事、分かってるし、だから、父にもう心配かけたくない。
なのに、卑下しまくって、今もこれ打ちながら苦しくて泣いてしまった。( ̄▽ ̄;)生きずれ~って。
本当に父の言う通り。
自分の全てを卑下してる。
どうせあたしは、
こういわれたから
馬鹿にされてるんだ、
嫌われてるんだ、って、常に卑下、。
そんなんしてたら生きずらいよね。
仕事して、イキイキしてたら
卑下してもそんなこと迄
言われないんだろうなぁとか考えてる自分。
終わってる(笑)
もー!!またあやさんにメールしてるや。
本当にごめんなさい。
良い報告の方がいいよね。
んで、本見ろって話よね。
良い報告の方がいいよね。
んで、本見ろって話よね。
一日何回メールしても変わらないのに、会ったことないからって甘えてるのもある。
あやさんを困らせようとかしてないから。ただ、聞いて欲しいがとまらないんです。
父が生きてる間、私変われるかな。
幼い頃両親に苦しめられたけど、
父のこと大好きだし、
父が本当に心から良かった~って
安心してもらいたいの。
父に色々してあげたい。
元気でオラオラなうちに沢山。
できるかな。
本当に変わらなきゃ。
ペンネーム AYA
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これは…すごいよね。
第三者の私からみたら
二人とも相手を思いやっていて
優しさと愛があふれてる人たち。
だけど
太字にした部分全部、
相手の自分に対しての
ネガティブな評価や気持ち。
でもそれ、
自分が自分に言ってる声じゃない?。
AYAさんご自身も気づき始めてるけれど多分そうよね。
自分が自分に対して
「~すれば/できれば価値が上がる
「~しなきゃ/でなきゃ価値が下がる」
「自分はダメな存在だ」
って「思い込み」を持ってるから
だから、人があなたについて
良くも悪くも”評価”はそこにない
何気ない言葉や態度も
逆に愛や優しさにあふれた言葉や態度も
自分の自分に対しての
ネガティブな評価と結び付けて
「他人もそう思ってるんだろな」ってなる。
自分の自分に対しての
ネガティブな評価と結び付けて
「他人もそう思ってるんだろな」ってなる。
たった一言から、一瞬の顔色から
相手の気持ちまでつくって
相手の気持ちまでつくって
自己流ネガティブなストーリーつくっちゃうの。
前に私のブログで妄想作家っていうことば使ったことあるけど、私自身もネガティブな想像繰り広げる天才だったから超わかるよ。
前に私のブログで妄想作家っていうことば使ったことあるけど、私自身もネガティブな想像繰り広げる天才だったから超わかるよ。
もちろんネガティブな評価下す人が一人もいないわけじゃないし、同じ人でもネガティブな感情もつことはあって当たり前だけど、まったく自分がよくもわるくも関係ない言葉や顔色まで、私がダメだから、ダメだと思われてるから、、って結び付けて嫌な感じ感じてたらそれは、、辛かったよね。。
でもさ、自分の考え(思いこみ)に
苦しめられてるんだなって
AYAさんも気づいてきたようだからさ、
昨日も書いたけど
自分が苦しくなってる”考え”を
本当かな?違うかも?って疑っていけるといいよね。
自分ひとりだとつい、いつもの「私がダメだから」っていう思考パターンに戻ってしまうならばそこは人の意見聞くのもよいかもしれない。
今回は私と一緒に、そこ、自分の当たり前を疑うこと、やってみようか。
その前にまず、苦しいなって気持ちになった自分のこと、苦しいねってみとめてあげよう。←こうかんじることがダメとか否定してると、癒しの段階に進めないのでここ重要です。
つぎに、
自分に「相手に~て思われた~」って思って苦しくなったとき、それ絶対現実!!って思ってるんだろうけど、そこをあえて、〜だからだめとか、〜できないのはだめってネガティブな言葉いってるのは自分自身なのかも? 自分が自分に思ってることかも?って。
この辺はきのうおとといの記事でも書いたけど、AYAさんの場合の具体例ここから。
私が思ったのは、以下太字のような”~べき思考=思い込み”が、AYAさんの中にあって、それを自分が自分にいってるから他人のことばもそうきこえるのかもって思った。
〇相手が自分の料理以外のものを食べたいというのは、私の料理がまずいからに違いない(=いつでも美味しいって選んでもらえる料理を作れる自分でなきゃダメ)。
こんな自分に対する思い込み、あるのかなあ。
いつでも選んでもらえる料理作れる人なんてこの世に一人もいないと思うので、多分そう思ってるとしたら無理に決まってるので、どんどん自己評価下がっちゃうと思う。
だってさ、多くの人にとって「美味しい食べもの」って、単に”好み”が合う、とか”その時の気分や体調に合う”ものなんだよ。
有名料理人がつくっても、好みに合わなければ美味しくないし。
いつもは美味しい料理も、その日の気分や体調ににあわなければ美味しくないし欲しくないし、、となったり。
いつもは好きな食べ物も、体調に合わなければ美味しく感じないことも普通にあるよ。
たとば、体調によって甘さを敏感に感じたり、しょっぱさを敏感に感じたりするし、その日の体調や気分でもほしくなる味は違ったりするものです。
でもさ、自分の考え(思いこみ)に
苦しめられてるんだなって
AYAさんも気づいてきたようだからさ、
昨日も書いたけど
自分が苦しくなってる”考え”を
本当かな?違うかも?って疑っていけるといいよね。
自分ひとりだとつい、いつもの「私がダメだから」っていう思考パターンに戻ってしまうならばそこは人の意見聞くのもよいかもしれない。
今回は私と一緒に、そこ、自分の当たり前を疑うこと、やってみようか。
その前にまず、苦しいなって気持ちになった自分のこと、苦しいねってみとめてあげよう。←こうかんじることがダメとか否定してると、癒しの段階に進めないのでここ重要です。
つぎに、
自分に「相手に~て思われた~」って思って苦しくなったとき、それ絶対現実!!って思ってるんだろうけど、そこをあえて、〜だからだめとか、〜できないのはだめってネガティブな言葉いってるのは自分自身なのかも? 自分が自分に思ってることかも?って。
この辺はきのうおとといの記事でも書いたけど、AYAさんの場合の具体例ここから。
私が思ったのは、以下太字のような”~べき思考=思い込み”が、AYAさんの中にあって、それを自分が自分にいってるから他人のことばもそうきこえるのかもって思った。
〇相手が自分の料理以外のものを食べたいというのは、私の料理がまずいからに違いない(=いつでも美味しいって選んでもらえる料理を作れる自分でなきゃダメ)。
こんな自分に対する思い込み、あるのかなあ。
いつでも選んでもらえる料理作れる人なんてこの世に一人もいないと思うので、多分そう思ってるとしたら無理に決まってるので、どんどん自己評価下がっちゃうと思う。
だってさ、多くの人にとって「美味しい食べもの」って、単に”好み”が合う、とか”その時の気分や体調に合う”ものなんだよ。
有名料理人がつくっても、好みに合わなければ美味しくないし。
いつもは美味しい料理も、その日の気分や体調ににあわなければ美味しくないし欲しくないし、、となったり。
いつもは好きな食べ物も、体調に合わなければ美味しく感じないことも普通にあるよ。
たとば、体調によって甘さを敏感に感じたり、しょっぱさを敏感に感じたりするし、その日の体調や気分でもほしくなる味は違ったりするものです。
それに、コンビニ食でもインスタントラーメンでも、ファーストフードでも、超手抜き料理でも、それが「その時の気分や体調にあっていて、その時食べたいもの」だったら、どんな高級店の料理よりそれが美味しいと感じる。
気分じゃなければどんな高級なお店も「今日はイラナイ」ってなる。
こういうのはあんまりダイエットとか栄養とか興味がない人のほうが、その時々の心身の声に忠実なので分かりやすいと思います。
こういうのはあんまりダイエットとか栄養とか興味がない人のほうが、その時々の心身の声に忠実なので分かりやすいと思います。
私も、人生の半分くらい摂食障害で「何を食べるべきで、食べないべきか」で考えて食べたときは私も忘れていた感覚でした。
つまり美味しいかどうかって単なるそのひとの好みにあうかという問題と、その人の体調や気分次第で感じ方がかわるものだから、相手が、自分の作った料理を、人が美味しくたべるかどうかって、まったく自分のスキルとは関係ない話なんだといことです。
さらに、こんな思い込みもあるのかも。
●料理のスキルが高いのがよくて、低いのはダメ
(料理上手の人より価値が劣る、
美味しい料理を作れる人であるべき)
AYAさんは料理苦手なわけじゃないかもしれないけど、料理のことで過敏になるということは、この思い込みをもってるのかなって。
そもそも料理なんて、別に単なる得意不得意の一つにすぎなくて、図画工作が得意な人とそうでない人がいるのと同じようなもんです。
料理下手なまま
愛されて認められる人
になるのも可能で
私は、AYAさんも、料理の腕前がうまくてもそうでなくても、料理好きでも嫌いでも、もうすでに「愛される人」だと思う。
私は、AYAさんも、料理の腕前がうまくてもそうでなくても、料理好きでも嫌いでも、もうすでに「愛される人」だと思う。
”おいしい料理があれば嬉しい”っていう人の話きくと、それって「美味しくなければそれ作る人の評価が下がる」って受け取ったかもしれないけど、その二つは全くイコールではないはずだよ。
↑
ここ、何がよくて(〇)、何が悪いか(×)、〇か×にふり分ける思考パターンが癖になってると、人が何かを褒めたというそれだけの事実も、「それと違うのはダメ(×)ということだ」と変換してしまうのかもしれない。
なんで思いつくかって、私自身がそういう思い込みで自分をいじめていた張本人だからです☺
〇(仕事してない今は特に)
家族が喜ぶ料理を作るべきだ。
それもできない自分はダメだ。
こんな思い込みもあるんだろうなあ。
自分がそうじゃなきゃダメって自分にいってるんだよね。
↑
ここ、何がよくて(〇)、何が悪いか(×)、〇か×にふり分ける思考パターンが癖になってると、人が何かを褒めたというそれだけの事実も、「それと違うのはダメ(×)ということだ」と変換してしまうのかもしれない。
なんで思いつくかって、私自身がそういう思い込みで自分をいじめていた張本人だからです☺
〇(仕事してない今は特に)
家族が喜ぶ料理を作るべきだ。
それもできない自分はダメだ。
こんな思い込みもあるんだろうなあ。
自分がそうじゃなきゃダメって自分にいってるんだよね。
だから、お父さんが今日の気分と体調で食べたい物を言っただけの事実が「自分はダメ」って言われてるように聞こえて、すごくツラくなってるのかも。
お父さんが美味しいという料理を作る、というのも、、いつのまにか、「お父さんに求められる料理をつくること」がすべきこと、達成するべき目的、になってしまうと
「あなたが喜ぶ料理目指して
毎日頑張って作ってるんだから
喜んでよね!感謝してよね!」
って押し付けになっちゃって、お互いにつらい。
「相手の反応=自分の価値」
という思い込みももってるのかもしれない。
単に相手は相手の気分で他の物を食べたいときがあるだけなんだけど、自分の作ったものを欲しがらない反応みたら「おまえだめ!用無し」と自分が自分にいってる毒俺の声がでてきて、そういう意味に聞こえてしまって、とてもツライ。
相手も、食べたい物を食べたい、食べたくないもの食べたいって自己表現すると、怒られたり泣かれたりしてたら、「あなたは自己表現してはいけない、もっと私の機嫌とって私が喜ぶようにふ演じてよ」っていわれてるみたいで、やっぱりツライとは思う。
自分に対してAYAさんがいってるツライ考えに対して、思い込みだよ、っていってるのだけど、責められてるように聞こえたらごめんね。
嫌だなって感じちゃダメということではなくてね
料理そのものと自分の価値とは関係ない。
料理の腕と自分の価値も、関係ない。
相手の反応と自分の価値も、関係ない。
自分が頑張って
相手の機嫌とらなくてもいい☺
ということ。
料理そのものと自分の価値とは関係ない。
料理の腕と自分の価値も、関係ない。
相手の反応と自分の価値も、関係ない。
自分が頑張って
相手の機嫌とらなくてもいい☺
ということ。
相手にも食欲ってものがあって
食べたい・食べたくない
気分や体調などがあって
相手の都合でそうなってるだけのことだから。
たまたま、この記事では「料理」のことだけ書いたけど、相手の反応を自分の価値に結び付けてるとすると・・
料理以外のことでも人の反応=自分の価値と思って苦しくなってるのかも。
人の単なる好みや
その日の気分で変わる人の反応で
その日の気分で変わる人の反応で
自分を責めたり、
自分を用なしだと思ったり
…なんてことを
生活の至るところで思ってるとしたら、、
それはすごくツライよね( ノД`)
ツライなあ。
私の考え方の癖で。
ってそう気づけるようになったら、それは大きな一歩です
どんな料理を作っても
料理を頑張っても手をぬいても
相手が自分の料理が好きでも嫌いでも
貴方の価値とは全く無関係。
~だったらもっと私は「良い自分」になれる、そうでないとダメ、とか思いこんでるとしたら、それも嘘だよ。
食べものの話は食べ物の話。
料理の話は料理の話。
仮にあなたはあなたがが楽しくできることだけやって、誰かがそれじゃダメとかいうとしても、それも単にそのことに対するその人の意見、であって、あなたがダメという事実ではない。
それはね、忘れないでおこうね~。
でも、せっかく作ったのにインスタント食品がいいとかいわれたら、腹立つ気持ちまでおかしいといってるのではなくて、それは私もすごくよくわかります😄
うちの父もせっかく作ったものあるのに、今日はコンビニのアレ食べたいとか言いだすことあるけど、あれは超むかつく(笑)
でも、でも、そんなときも、
「私も、思えば、こった料理より卵ご飯や納豆ご飯が食べたいときあるし、食べたくないのに無理に食べられるのも嫌だから、せっかく作ったのになんだよって怒ることはするけど、それでおしまい。
私の価値とは無関係なんだよな
私の価値とは無関係なんだよな
↑
これだいじ。
ここね、腑に落ちるとそんなに
自分がいらない存在だとか
大切にされない存在だとか
大切にされない存在だとか
って自分にひどいことを自分がいわなくなるので生きやすくなってくるよ。
---
て偉そうにかいたけど、私も相手に喜んでほしくてやったことなのに、感謝されないと相手にイラとすることが、まったくなくなったわけではないです。
でも↑こういうイライラは、そこまで頑張らなくていいんだな、って教えてくれてるなだなと教えてくれてる感情なんだと気づいて、自分の行動に反映させることができるようになったら、とても楽になった。
AYAさんも、お父さんが言うように「今すぐ」は無理でも、少しずつ、自分の自分に対するツライ考え方、楽に変えていけるといいよね。
*どうやって変えていくのかはこの記事のサンプルと昨日の記事を参考にしてください。
あと、お父さんが元気なうちに色々してあげたいって書いてあったけど、それもね、頑張り過ぎないか少し心配。
文面からしかわからないけど、お父さんは、AYAさんが楽しく幸せに生きててくれたらそれが嬉しい人なのでは?なんて思いました。
いろいろやってあげようとして、思うようにできない自分が嫌いになっていくのを見るのはお父さんにとってもツライことだと思います。
もしも、そうではなくて、「子供がしたくないことして、したいことしないで苦しく生きて用が何でもいいから、自分(親自身)にあれをしてほしい」とか望んでる人だとすると、、、
だとしたらなおさらその要求にこたえてたら、病気になっちゃう。
親自身も子供に依存して子供に振り回されるわけなので、お互いがお互いのために疲れてしまって、お互いに本当の幸せは遠のいてしまうと思います。
だから結局は
自分が自分を幸せにするのが一番。
人のご機嫌とりじゃなくて
自分のご機嫌とりしてあげよう✨
いつもいってるここにもどる
😄
人の機嫌で自分満たそうとすると、
人の機嫌次第で満たされない、
ってことになってしまって、
その満たされない感じをまた
「人の機嫌」で満たそうとして、
頑張り過ぎて、できない自分を責めて
気分悪くなってまた相手の顔色伺って
・・・てなってしまうと
お互いに苦しくなっちゃうからさ。
ご本人には手短にメールしたのだけど、
この記事に書いたことと
リンクしそうな関連記事をのせておきます。
▼まず、今日のAYAさんみたいなネガティブストーリーを作る癖んことを書いた記事。
▼人に責められてる気分になるのは
自分の中の”毒俺”が自分を責めてるから
↓↓
自分の思い込みではなくて、本当に責めるひともいるけど、自分がコレでいいと思えてることなら、は?なにいっちゃってるの?ってそんなに気にならないものだからヤッパリ自分の思い込みに気づくことってほんとにだいじ。
▼せっかく頑張って料理作ったのに!という女性についてサンマさんが言及されてる動画を付けた記事。動画きいてみてね。
↓↓
▼それと、昨日の記事
↑↑の中に入れた、二つのリンクも、
AYAさんや、同じような自分責めのくせに
悩んでる人に向けて書いた記事だよ。
前に読んだことがあるかもしれないけれども、このタイミングで、もう一度読んでみてネ。
どれも似たような内容ですが、言い回しが違うので、腑に落ちることもあるようです。
****
このブログを書く前にAYAさんご本人に、メールを返信しました。(メールもSNSから頂くメッセージも全て目を通しているのですが、個別返信までは基本的にできないことが多いのですが)。
その手短な内容は、あなた大分メンドクサイwから始まる内容でした。
だって、私の気持ちまで決めつけるから笑
手短に伝えたことは、昨日と今日のブログで伝えたことで、意味がわかれば嫌いといわれてることではないのはわかるんだけど、最初のメンドクサイとおもわれた(T_T)
て一度泣いちゃったそう。
ですが、その後、冷静によんで考えてみたら色々な気づきにつながったそうなので、次回もAYAさんの気づきのメールをご紹介したいと思います。
▽次へ
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