みなさんこんにちは。ステップあやです。
 
一つ前の記事ちょっと横道それたけど、二つ前の記事( 毒親ならぬ毒子、コミュニケーションじゃなく”押し付け”になってた-1 )で書いたように、父とのコミュニケーションでいろんな後悔が押し寄せてきた私。
 
 
でも、後悔したから「言わなければよかった」かとそうではなくて、その後悔も”必要”だったの。
 
 
もちろん色々言いたいこと言って、後悔もしたし、自分が嫌にもなった。
 
 
でもその時の自分にとっては、父にどうしても知っておいてほしいかったから言ったわけだし、あんなに強い言い方で言う必要があったのかってことは後悔したけど、言わなければよかったという後悔はしてない。
 
 
自分がどうしてそこまで、父が~すべきって言ってることを嫌がってるのか(その1に張ったリンク読んでいけばわかります)、強い口調になっちゃったけど、ただブチ切れて当たり散らしてるだけじゃなくて、言葉でちゃんと説明したわけだし。
 
 
それは、私も泣いたし、父も泣かせてしまったし、あの”プロセス”のおかげで、見えてきた答え、深まる絆もあったと思う。
 
 
 
父もさ、考え方がもう固まっちゃって、自分が言ってることをすればうまくいく、しないと私が苦労するって考えが変われなくて、だからこその不安も「どうしようもないこと/変えられないこと」なんだなって、本当に今回はわかった。
 
私自身も物事によっては、考え方変えろって言われてもどうしようもできない部分あるから、同じだなって。

 


たとえば子供にも子供の人格、感じ方、考え方があって別の人格で別の人生生きてるんだから、自分の正論ひとにおしつけるな!世間の常識に従えなんて言うな!って私は思っちゃうけど、それ変えろって言われても、変わらないからね。
 
だからお互い様かって。
 
 
それと、父を泣かせてしまったあと、何でわたし”このこと”については、父が言う「~すべき、~しないとうまくいかないぞ」っていう意見にこんな強い反応しちゃうんだろう?ってずっと考えてた。他のことなら、はいはい、て聞いといて、自分の好きなように生きる、ってできるのに、、
 
 
この件についてはそれができないのはなんでだろうって。自分の心になんかあるんだろうな
 
・・・って、向き合っていたら、ひとつ見えてきたのはやっぱり、「理想の親」であってほしいという私の勝手な理想を期待して押し付けてた部分もあったなっておもった。
 
そういう私の期待に対し、現実の父は全く違う人だし、年をとって私を守る親っていうか私に守られたい子供に戻ってる部分もあるんだなって目の当たりにして、私の理想の押し付けすなわち父へ期待の方が無謀=非現実的、なのかな、とも思えた。
 

 

そして、なんのために私はこんなに一生懸命、こんなに父の言う「~べき」「しないのはおかしい」「うまくいかないぞ」っていうことをやるのが嫌なんだと父に訴え自分の気持ちを説明したくなってるのかな??って自分と向き合ってみた。
 
 
 
そしたら、、

父への怒りの正体は

私の承認欲求そのもの

だったことにも、きづいちゃった。
 
 
お父さんが言ってるそれは、私は小さいころからずっと、苦しんだところだから、もうその生き方しない私を認めてほしい。小さいころに親の愛を感じられなかったこと、繰り返さないでほしい。私が私のために決めてやっていく私の生き方を、認めてほしい。


じゃあ、
なんのために親に
認めてほしいのか?
ってその時はわからなかったので、数日間、自分に繰り返しきいてみた。
 
 
そしたら自分から出てきたのは
ありのままの私が
愛される存在だと確認したいだった。

 

はてなマーク私ありのままの私は愛されない存在だとか本当に思ってるのはてなマーク
 
って自分に聞いてみたら、それは違う、と。
 
 
私別に、父が”あのこと”についてあんな言動してても、もう十分愛されてることもわかってるし、わたしがダメだからじゃなくて愛してるからこそつい言っちゃうんだってことも分かってた。
 
別に父のいう通りにしなくてくても、父は私が大好きだってこともわかってる。
 
・・・っていう自分の気持ちが確認できた。
 
(父と本音で話すようになる前はそうはまったく思えなかったけど、今はそれがわかった)。
 
 
 
だったら、父があーしないのはダメだとこうするべきだとか言ってても、別に問題なくね?って思った。

 
 
承認欲求って誰でもあるし、子供が親に受け入れてほしい気持ちはあって当然。

だけど、私
もう子供じゃないし、
親の承認なくても好きに生きていける。
 
仮に父の承認がなくたって、
私が私をこれでいいと認めているし
ありのままの私を受け入れ
応援してくれるひとの存在もみつかってきた。
 
 
こう自分と向き合っていたら

 

もう父に「認めてもらう」必要も、
父に「分かって貰う」必要も、
どこにもないよな、って気づいちゃった。
 
 
それに、父は「そのこと」を否定するからって「私を」否定してるわけじゃないんだ、っていうのも分かってるわけで、、
 
 
そう気づいたら、もう、イイかな、、って思った。
 
 
父が今後また同じようなこと言いだしても、私はもう適当に流すと思う。むっとはするかもしれないけど今回と前回みたいに一生懸命気持ち説明するとかは、もうしない。席をたったり、話題を変えたり、「分かって貰う」以外で対処しようって、思った。
 
(自分の気持ちが追い付かなかったり相手の状態によってコミュニケーションとるのも不可能なときや、あれもこれも否定しかされない虐待的な状況であれば、離れる、会わない、という手段の選択が適切な場合もあると思いますし、私もそれはしてきたよ。)
 

 

 
あともう一つ、 父を泣かせたショックに泣きながらも色々と自分と向き合ってるうちに見えてきた自分の姿は、私、父の「心」のことは考えてなくて、「私!私!」になってたなというシンプルな反省。
 
 
 
父が私に弟に対してアレしろこれしろっていうのは、私を認めてないからじゃなくて、自分が死んだあと、弟とうまくやらなかったら私が日本に帰ってこられなくなるんじゃないかとか、何かあったとき助けてくれる人がいなくて苦労するんじゃないか。。とか、「父自身ではコントロールできない不安」から出る言葉なんだってことも、十分にわかって、そしたらそう思った。
 

 

今まではそれを分かってるつもりでもわかってなくて、「私は自分で決めてとった行動でよくない結果になったって自分で責任もって受け入れていく覚悟はちゃんとあるよ、もう一人の大人ですからいちいち口出ししないで!」とこかそんなことばかり言ってた、
 
けどそれでは父は不安なままなんだろうなって思った。 
そういう気づきや腑に落ち体験も、今回、お互い嫌な思いをしたけど、自分の気持ち話さなければなかった変化、気づきだから、良かったな、って思っている。
 
 
それも分かってるつもりだったけど、腑に落ちてなかったんだと思う。今回は腑に落ちた。
 
 
それが腑に落ちたら、「うるさい、それいうな、余計なお世話だ ! こんなに私は傷ついてきたしいやなんだ」って自分のことばっかり分かって貰おうとするだけじゃなくて、「お父さん心配してくれてありがと。 でも、わたしは大丈夫だよ」っていう声かけと行動をしてみよう、って自然に思えてきたの。

 

 

 

私がやりたいことは、いつも怒鳴りまくってる父を、無理やり謝らせて泣かすことじゃなかった。
 
お父さん私は大丈夫だから
安心して大丈夫だよ。
 
これが私の奥にあった、本当に伝えたい本心だった。
 
 
それに気づいたらすぐに弟にLINEした。「今日お父さんの病室にこれる?」って。
 
 
私と弟が、病室でなんでもない世間話して笑ってるところみるだけでも父は安心するんじゃないかな、とか、不安があったら私たち二人の前でいってくれたら大丈夫だよーって2人でいえるし、そのほうが父もほっとするんじゃないかな、、とか、良いストーリーを想像しては私、心が躍ってたww
 
 
弟も、いいよって仕事の合間縫って病室きてくれて、やったーと思ってわくわくしながら到着をまった。家族三人で一つの空間にいるなんて何ねんぶりだろう。
 
 
でも結果は、、
 
 
父と弟が顔合わせるなり、仕事のことで病室でもめだしたよねww
 
作戦失敗…ニヤニヤ💦
 
 
でもよく父を観察してたら
父は私と散々喧嘩したことなど忘れて、
次の問題に一生懸命になっている様子爆  笑
 
前に怒りは屁みたいなもんという記事を書いたけど、涙も屁みたいなもんなのかも、なんて思ったりもしたよ。(>詳細はこちら
 
---
 
 
ここまで書いてきたように、自分のこと、相手のこと、観察して、色々見えてきたら、なんかもうさっぱり、ラクになってた。
 
 
言いたいこといって、
後悔したいだけして、
考えたいだけ考えて、
また思いついたことやってみて、その結果がそれなんだもの。

 
色んなあれこれを感じて、この件に関してはいくら話しても全くかみ合わない父に対して「受け入れ」に近い「良い意味の諦め」ができたのだと思います。
 
 
また父は同じようなことをいってくるかもしれないけど、もうわかってもらえなくてもいいや(すねてるわけじゃなくて本当に)と思えて、あんなに問題だったことが、すーーっと、問題じゃなくなったのでした。
 
 
 
そんな心境に自然となれたとき、先日台風がありました。
 
家の周りが浸水しはじめて、そのうち大きな川が決壊して死ぬんじゃないかという一瞬の死の恐怖に包まれたあの日、弟が安全な場所に避難させてくれたり、翌日も食料を届けてくれたりなど、助けてくれた。
 
思わず病院にいる父に電話して、「だから言ったじゃ~ん、普段仲良しこよしじゃないけど、いざとなったら助けあうから大丈夫なんだよ、だからお父さんは安心して大丈夫なんだよ」っていった。
 
また、ちょっと泣きそうになった。弟の真意がどうであれ、父にとにかく安心してもらえれば、私はどうなっても本当に大丈夫だからとにかく、どうしようもない不安から父が少しでも楽になってくれたらいいなってそれだけだった。
 
 
 
このように私も日々迷いながら、時には泣きながら、自分について、家族について、コミュニケーションについて、学ばせていただいています。こんな感じでいいんだと思っています。
 
 
 
最後に一つ注意点を。
 
災害が起こった時などに、あなたの周りの家族やお友達があなたを助ける行動したり、大丈夫かって連らくをいれなければ愛がないってことではないからね。

 

人によって危機感の感じ方は違う。
 
私も父にも義理の妹にも義理の母にも友達にも誰にも連絡もしなかったけど、それは愛がないからじゃなくて、弟の電話を受けるまで「台風も去ったしこれくらいなら大丈夫かな」って思っていたからだよ。
 
弟が来なかったら家の周り水浸しなの目撃しても、大丈夫さ~と思って爆睡してたと思う。
 
なので、、愛があればこうするはずっていう正解示してるつもりはないので誤解しないでね。
 
 
以下はおまけ。父の退院したその日に食べに行ったもの。
 

 
 
抗がん剤治療が終わったばかりとは思えない父の食欲。この日の夜は確か父のラーメン食べたいという要望をきき食べにいきました。
 
”体の声を聞いて食べる、って本などには書いてるけど別に、食べたくないものは絶対、食べない!って決めずに、付き合いで食べることもするし、食べれそうなものは食べられるだけ食べているよ。
 
ただ、ほんとに明らかに体がお腹いっぱいで不快なときは、その声に従い無理して食べない。はしています。(健康体重だし健康体なので問題なし)。
 

長くなったけど以上、しょうもない我が家のドタバタ読んで頂き、ありがとうございました。

今日も最後まで読んでくれてありがとう!

 

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