今回からは、3月15日に回ってきた大分県、熊本県の8カ所の道の駅です。
道の駅鯛生金山(たいおきんざん) がその1カ所目です。
サブタイトルを “阿蘇周辺” としましたが、正確には阿蘇には関係ない地域も含まれるのでお許しを!
福岡県の八女方面から国道442号を辿り、大分県の鯛生金山にやってきました。
ここは2005年に日田市と合併したので現在の住所は “日田市中津江村” となります。
“中津江村” って、聞き覚えのある方もおられるかと思います。
2002年に開催された日韓ワールドカップの際、アフリカの “カメルーン” の公認キャンプ地となり、選手団の到着が大幅に遅れたことで全国に生中継され、当時の坂本村長とともに一躍有名になりました。
国道442号からこのループ状の門を入り、数百メートル先に道の駅はあります。
“東洋のスイス” という看板が道の駅の入り口です。
道路を挟んだ向かい側には、ご覧のような赤い鳥居が並んでいます。
この派手な建物群が鯛生金山の道の駅です。
全体の案内看板があったので、それを先に見て頂きましょう。
周辺にはオートキャンプ場や家族旅行村などもある事がおわかりですね。
メインの部分を拡大してみましょう。
先程の写真の丸い建物が、レストランとチケット売り場です。
その手前にはうどん・そばなどの食事処や農産物直売所のはいった “カメルーンハウス” があります。
この案内板に従って進んでみます。
この丸い建物は、1階が “地底博物館” のチケット売り場、そして2階がレストランです。
建物には大きくカメルーンの国旗が描かれています。
2002年のワールドカップ以降、中津江村とカメルーンの交流は今も続いているのです。
ところで、この道の駅はその名の通り、“金山” の跡地です。
明治27年、干し魚の行商人がたまたま拾った白い小石から、この地の金山が発見されました。
大正7年に英国人ハリス・ハンター氏が鉱業権を得て近代設備を導入したことにより、「東洋のエル・ドラード(黄金郷)」 として世界中から人が集まり、一気に鉱山町が形成されました。
大正14年、経営が “木村鐐之介” に移った後、全盛期には従業員数も3000人を超え、村内には学校や病院、映画館や飲食店が立ち並んで活況を呈したそうです。
そして昭和47年に閉山するまでの80年間で金が約40トン、銀が約160トンを産出し、まさに東洋一の産金鉱山として名を馳せました。
その跡地が、昭和58年に “地底博物館” として蘇ったものです。
もう一つ、こちらの建物は、“砂金採り体験” です。
見つけ出した砂金は自分のもの、だそうですから熱が入りそうですね!
ところで、先ほどの写真の砂金採り体験の建物の前に、藁をかぶったへんなものが並んでましたね!
その正体はこちらです。
ダリアの苗なんだそうです。
このダリアの花は、7月から11月までが見ごろになります。
先程の丸いレストランの建物の先に “売店” があり、更にその先が地底博物館への入坑口です。
売店に入ってみましょう。
店内は金色に輝くものが多いのに気が付かれましたか?
特に目立っているのがこちらです。
金の延べ棒です。(笑)
延べ棒の正体は “金箔入り栗羊羹” でした。(笑)
更にその横にあるのは・・・・・・
小判の山!ではなく、これは石鹸だそうです。(笑)
金の延べ棒は買わなかったけど、漬物などいろいろ買い物をしました。
これは1988年に竹下内閣が行った “ふるさと創生1億円事業” の資金を基に作られた24金の純金製夫婦鯛で、左のメスが20kg、右のオスは30kgあります。
ところが2006年2月13日未明に、このオスの方(当時の時価6千万円)が盗まれてしまいました。
犯人は翌年11月に逮捕されたのですが、オスの黄金鯛は既に溶かされて売られたあとでした。
ですからこの坑道に飾ってあるのはレプリカです。
残ったメスの黄金鯛は厳重に金庫に保管されていましたが、2012年11月に三菱マテリアルに売却したところ、金の値上がりで作った時よりも高い値段で売れ、盗難の被害をカバーできたそうです。
めでたし!めでたし!(笑)