道の駅筑前みなみの里の帰りに立ち寄ったのは
筑前町立 大刀洗平和記念館 です。
“大刀洗平和記念館” は大分自動車道 小郡ICからわずか4~5kmの距離にあります。
同じ福岡県内に住んでいて一度も行ったことがなかったので、帰りに立ち寄ることにしました。
記念館の入り口には、何故かヘリの実物が展示されています。
これは戦争とは関係がなさそうですね!
入場料大人600円を払って中に入ると、案内の係の方が待機されていて、館内の大まかな内容と、注意事項を説明されます。
それによると館内は撮影禁止ですが、唯一 展示されている “ゼロ戦” だけは撮ってよいとのことでした。
従って、今日皆様にお見せできる写真は “ゼロ戦” の機体だけになります。
この機体は “零式艦上戦闘機三二型” といい、戦後太平洋のマーシャル諸島タロア島のジャングルに眠っていたものを復元したものです。
この機種は全部で343機製造され、世界で唯一現存する機体です。
この記念館がある現在の住所は “朝倉郡筑前町” ですが、この周辺 「大刀洗」 には、かつて日本陸軍が東洋一と誇る広大な飛行場がありました。
大刀洗飛行場は第一次世界大戦が終結した大正8年(1919年)に完成し、関連施設を含めた総面積は119万坪と、一大軍都に発展します。
昭和15年(1940年)に開校した “大刀洗陸軍飛行学校” は、全国の陸軍飛行士の3分の2を養成したと言われています。
そしてその養成された若い飛行士たちは、知覧をはじめとする前線基地から特攻に飛び立ち、大刀洗はまさに特攻隊の中継基地になってしまいました。
特攻基地として知られる鹿児島の “知覧” は、ここ大刀洗陸軍飛行学校の分校になります。
そして運命の日、昭和20年(1945年)3月に大刀洗はB29を中心とする米軍の大空襲を受け、民間人や小学生まで含む多大な犠牲を出して、東洋一とうたわれた航空基地はほぼ壊滅しました。
展示室の天井には、その 「B29爆撃機」 の大きさがわかるよう模型が下げられています。
このB29爆撃機は、3月27日に74機、3月31日に106機が襲来しています。
この記念館にはもう1機現存する機体が展示されており、これは “九七式戦闘機” といいます。
こちらは平成8年(1996年)に博多湾で引き揚げられたもので、製造された3386機のうちで、唯一現存する機体です。
これは残念ながら撮影禁止でした。
今回ご紹介できる写真が “ゼロ戦” だけなので勇ましそうに見えますが、実際に展示されているのは特攻などで戦死なさった方々の写真、遺書、遺品など悲しいものが多いです。
私たちのように実際の戦争を知らない世代が大半を占めるようになった現在、このような施設で平和の大切さを伝えてゆくことがいかに大事なことか、あらためて心に沁みました。