北海道半周の旅!その⑧“日本の最北端「宗谷岬公園」” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1209カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1197カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

旅の3日目、稚内市内のホテルを出て最初に向かったのは

宗谷岬 です。

 

 

この地図でお分かりのように、前日は北海道の西岸、日本海側を北上しましたが、3日目の今日は東岸のオホーツク海に沿って南下します。

 

最初に立ち寄ったのが “宗谷岬” で、ご存知のように日本の最北端です。

最北端の象徴としてよく見かけるのがこのモニュメントです。

 

 

 

 

日本最北の宗谷岬から、対岸のサハリン島(旧樺太)までの距離は約43kmです。

太平洋戦争末期にロシア軍が攻め込むまで、日本領であった南樺太には40万人が暮らしていました。

 

その樺太が “島” である事を発見したのは江戸幕府からその探検を命じられた “間宮林蔵” です。

伊能忠敬から測量術を学んだ彼は、2回目の探検で大陸との間が海峡で隔てられていることを確認し、その海峡は “間宮海峡” と名付けられました。

 

その発見は当時の世界地図の空白を埋める偉業と言われ、そのブロンズ像がこの地に立っています。

 

 

さて、私がこの最北の地に来たのは今回が2回目です。

前回来た時は、たくさんの観光客が最北の碑の前で代わる代わる記念写真を撮っていました。

 

今回は平日の朝ということでしょうか、あるいはコロナの影響かもしれませんが人がまばらです。

周辺の写真をまずご覧頂きたいと思います。

 

 

 

 

日本最北の地の碑は海岸に面した場所にありますが、道路を挟んだ向かい側に小高い丘があり、そこに何やら建物や像が立っているのが見えます。

 

実はその丘を含めた広い範囲を “宗谷岬公園” といいます。

その周辺マップがありました。

 

 

私が前回来た時には最北端の碑の周辺と、先ほどの写真にあった青い建物の土産店しか見てないので、今回は公園全体を見て回ることにしました。

 

歩いて道路を渡って丘へ上ることもできますが、車でほんの少し進むと、右手に丘に上がる道路があり、その先には広い駐車場もあります。

 

丘の上の駐車場に停めて、まず目につくのがこの巨大なモニュメントです。

 

 

おそらく “鶴” をイメージしたと思われるこのモニュメントは “祈りの塔” といいます。

 

1983年(昭和58年)にサハリン西海域のモネロン島沖で、ソ連の迎撃戦闘機が予定コースを外れた大韓航空機をミサイルで撃墜し、日本人28名を含む乗客・乗員269名全員が犠牲になりました。

この塔はその犠牲者を慰霊し、世界の恒久平和を願って建てられたものです。

 

塔の高さは 「19.83m」 あり、これは事故発生の年を意味しています。

更に16枚の羽根は遭難者の母国数、269枚の白御影石は犠牲者の数を表しているそうです。

 

 

これは “世界平和の鐘” といいます。

 

世界平和の鐘は、1954年(昭和29年)に日本人の一個人が、戦争の悲惨さ、核廃絶の尊さを訴え、当時の国連加盟国65か国のコインで鋳造した鐘をニューヨークの国連本部に寄贈したのが始まりです。

 

同じ鐘を世界中に設置しようという運動で最初に作られたのがこの鐘で、現在では9月21日の「国際平和の日」 に、全世界で鐘が鳴らされます。

 

私も鳴らしてみましたが、軽く打ったつもりが大音響で鳴り響いて驚きました。

 

 

その横にあるこちらは “子育て平和の鐘” といいます。

 

稚内市は1986年(昭和61年)に “子育て平和都市” を宣言しており、未来を担う子供たちの幸せと、家庭・地域・世界の永遠の平和への願いが込められているそうです。

 

 

この像は海岸からも見えていましたが、“あけぼの像” といいます。

 

北海道の牛乳生産量100万トンと、飼育乳牛50万頭突破を記念して、1971年(昭和46年)に建立されたのだそうです。

 

この地における開拓は明治中期から始まり雑穀や馬鈴薯などの畑作中心でしたが、冷害などで苦労が絶えず実りが少なかったことから昭和20~30年代から酪農への転換が進められました。

稲作の北限を越えるここ稚内では現在、農業の大部分は酪農です。

 

 

この建物は “旧海軍望楼” です。

 

1902年(明治35年)に旧日本海軍が建設したもので、ロシアのバルチック艦隊の動きを監視するというのが最重要の任務でした。

太平洋戦争では対潜水艦監視基地として機能しました。

 

稚内市内では数少ない現存する明治時代の建築物で、市の有形文化財に指定されています。

 

 

これは “平和の碑” です。

 

太平洋戦争のさなか、宗谷岬沖で日本とアメリカとの間で激戦があり双方に多くの犠牲が出ました。

この碑は戦後50年にあたる1995年(平成7年)に日米合同で慰霊碑を建立したものです。

 

 

この丘から見下ろすと、ご覧のように “日本最北端の地の碑” が見えます。

この日はあいにくの曇り空でしたが、天気次第ではサハリン島(旧樺太)の島影が見えるそうです。

 

1時間近くをこの宗谷岬公園で過ごし、この日の最初も道の駅へと出発しました。

 

 

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