終わらないところにも美しさがある | 仏光さんの心の相談室

終わらないところにも美しさがある

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昨日は昼休みに予定通り一昨日できなかった背筋と広背筋のトレーニングをしました。今日はジムが休みなので筋トレも休みです。今日も仕事が忙しかったので、その代わりに少し昼休みの時間に仕事をしました。やっと夜遅くに仕事が終わって、今家でブログを書いています。明日は予定通り肩の筋トレをする予定です。本当に毎日ほとんど自分がやっているのは同じことです。

 

朝の修行が終わったら仕事が始まり、昼休みに筋トレに行って、午後はまた仕事。夜仕事が終わると家に帰って食事と二日に一回はブログを更新します。毎日これの繰り返しです。それで全然飽きないと言うか面白いのです。私は「何故飽きないのだろう?」と不思議に思ったことがあります。そしてその答えが分かりました。それは修行にしても、仕事にしても、筋トレにしても「もうこれで良い」というものが無いのですね。

 

要するに何処まで行っても向上はあっても完成しないのです。これは目的地が見えているのに、何時までも着かない旅をしているようなものです。昨日よりも今日、今日よりも明日とそれぞれ少しずつですが前に進んで向上しているのに、「もうこれで良し」という目的地への到着が無いのですね。あたかも目指している山頂に着いたら、もっと高い山頂が見えてくるようなものです。そしてまたその山頂を目指して歩き始めるのですね。

 

だから毎日同じような事をしているようで、同じではなく絶えず変化しているのです。こういう理由で毎日同じ職場に行って、同じような事をしているのに自分が飽きないのだと分かりました。同じように見えても、やはり絶えず変化しているので私にとっては大変面白いのです。私は何時まで経っても極める事ができないものを、人生をかけてすることにして大変良かったと思います。これだと死ぬまで飽きる事がありません。そして死ぬまで極めようとして歩き続ける事ができます。

 

「有終の美」という言葉があります。物事をきっちりと終わらせる大切さを表した言葉ですね。終わりが有るから美しいという意味です。なるほどこれも一理あるのですが、私の人生の場合は「無終の美」になります。終わらないところに美しさがあるという意味ですね。何処まで極めてもこれで良いというところには行き着かないのです。まあ寿命が尽きればこの世での生は終わるのですけれども、その時でも私は目的地を目指して前向きに倒れていたいのですね。

 

考えてみれば終わるのは良い事かもしれないけれでも、人生の中で終わってしまうと「終わった人」になります。そして「じゃあその後どうするのだ?」という問題が残るのです。定年退職した男を描いた「終わった人」という映画がありましたが、終わってしまうと、人はみんな終わった後どうするのだという問題に向き合わなければなりません。どうするのだというのが見つからないと、「自分は昔現役の頃はこうだった。ああだった。」と過去の栄光に生きなければならない事になります。終わらなければこういう問題は人生に存在しないのです。

 

だから私は死ぬまで何をしようなどと考えた事もありません。死ぬ前の日まで今している修行、仕事、筋トレ、ブログを続けることだけを考えています。これは楽でいいですよ。死ぬまでする事がもう決まっているのですから。そして何処まで行っても極めきるということが無いのですから人生に飽きるということがありません。何でもいいから人生の中で一つ、極めても極めきれないものを持つのは良いことだと私は思いますよ。死ぬまでやる事がありますから。これはこれで一つの良い人生の生き方ですね。

 

合掌

 

仏光

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