自分を信用できない人間が人を疑う | 仏光さんの心の相談室

自分を信用できない人間が人を疑う

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今日の朝は自転車、昼休みは背筋と広背筋の筋トレと格闘技系のエアロビを一緒にやりました。まあ筋トレをしてからエアロビをしたのですが、メチャクチャしんどかったです。それでも終わるととっても気持ち良かったですね。午後の仕事も普通にできました。今私が一番信頼している女性のトレーナーから筋トレの指導を受けていますが、フォームを彼女の言う通りにしたら今まで使っていたウエイトよりずっと軽いウエイトを使っているのに筋肉に対する負荷が大きくなります。

 

要するに筋肉を作る効率が良くて安全な筋トレが出来るのですね。今日はそのお陰で体中が筋肉痛です。これは本当に効果的だなと思いました。女性のトレーナー自身がボディービルダーという訳ではないのですが、ちゃんと私の動きを見ながら適切なアドバイスをしてくれます。昔私がまだまだ未熟だった頃、私は肩書きや権威などで相手を信用できるかどうか決めていました。

 

まあ今から考えると本当に未熟でアホだったなあと思います。今の私には肩書きや権威や由来などはどうでも良くて、私にとって機能するものかどうかでこれは良いとか悪いとか決めています。それだけ人間力が付いたのでしょうね。自分に実力の無い人はどうしても肩書きとか権威とか由来とかを頼りにして理屈で物事を判断しようとします。だからそういうものを一生懸命調べます。それ以外に判断のしようが無いのですね。

 

私はこの女性トレーナーの言動で「ああこの人は筋トレでも人間的にも信用できる人だなあ」と難しい理屈抜きで思いました。そしてやっぱり結果もいいのですね。「何処が良いのですか?」と聞かれても「これです」とは答えられませんね。まあ強いて言えば「彼女の中のトレーニングに関する全部です」としか言いようがありません。

 

ここに理屈は必要無いのです。最近の私は全てにおいてそういうところがあります。大体自分の感じた事を信じていればまず間違いがありません。だから私は人を疑うという事がありません。疑う前に良い悪い、本物偽者がほぼ分かるのですね。そしてその結果は多くの場合やはり正しいのです。人を疑うというのは自分に充分な力が無いから疑うのです。自分が傷つくのが怖いから疑うのですね。

 

自分に実力がつけば疑う前に良いか悪いか分かります。だから疑う必要が無いのですね。筋トレなどはある程度マジにやっていたら、トレーナーが良いか悪いかすぐに分かります。大体何事もそうだと思いますよ。私は逆にごちゃごちゃ理屈を並べる人間は、疑うというより初めから信用しません。適当にあしらうだけです。だから人を疑うくらいなら近寄らない方が良いと思うのですね。

 

それは私自身に関してもそうで、もし私のことを疑う人が居たらどうぞ私に近づかないでください。私もそういう人間が近づいて来たら私の人生の時間が無駄になりますから嫌ですね。これはお互い近づかない方が良いのです。だからどうか私から離れていてください。色々関わり合いながら疑うという人が居ますが、私は「やめておいたら」と言ってあげますね。

 

今まで私は人物に関する間違いを人生で多く犯してきましたが、最近はそういうことが無いのでまあ安心して毎日を過ごしています。騙される基本は自分に実力が無くて欲があると騙されます。自分に欲が無いとだまされる事は極端に少なくなりますね。自分の欲得のフィルターを通さずに物事をあるがままに見るので、当たり前の話ですが間違う事がほとんど無くなるのです。

 

ましてや肩書きとか権威とか由来で物事を決めるようなことは私は一切しません。日本では一般社会で通常一番権威があって信用できるのが政府という事になっていますが、私は政府を一番信用していません。これは何も私が言い出したことではなくて100年以上前に、「学問のススメ」の著者で慶応大学の創始者である福沢諭吉が「政府と役人はいざとなれば信用できないから、志あるものは常に自主独立を目指さなければならない」と教えています。

 

この教えをちゃんと守った福沢諭吉の弟子が、北里大学と北里病院の創始者である北里柴三郎博士です。彼も自主独立で政府から一銭も貰わずに研究所や大学や病院を作っています。だから今歳をとった人は年金が本当に貰えるのか「疑って」とっても不安になっている人が居ますが、私はあっさり年金などは元々政府が運用していて当てに出来ないものであるから、老後を自分で何とか生きていく術を持たなければならないと思って毎日努力しています。

 

ちゃんと毎月バカにならない厚生年金を払いながら、まったく年金を貰う事は当てにしていないのです。社会保険庁からすれば表彰ものですね。年金を払って貰うことを当てにしていないのですから。

 

「どうだろうか?大丈夫だろうか?」などと疑うくらいなら、最初から当てにするのをやめて置けばいいし近づかなければ良いのです。でもまあ世の中には面倒臭い人間も多いので、そういうことをしながら、また疑うことを当たり前のことと思い人生の時間を過ごしている人も多いです。そういう人は肩書きとか権威とか由来とか、その内容はともかく由緒正しいものを信用して、そういうものを頼りに生きて行かれれば良いと思います。それもまあこの国では普通の人生です。

 

疑う前にどうぞ私のような霊の存在を話したり、お祓いをしたりする一般的な定義で言う胡散臭い人間には最初から近づかないでくださいね。前にも言いましたが元々私は他の宗教団体みたいに人を集める必要もないし、お金を集める必要もありません。時間の無駄になるので私を疑う人まで来て欲しいとは最初から思いません。また人から疑われるのは痛くもない腹を探られるようなもので、本当に気分が悪いです。疑うくらいならどうぞ来ないでくださいね。人生で私と関わりを持つ必要は全くありません。とりあえず私のブログを読むことからやめていきましょうね。もちろんそうでない人はいつ来て頂いても私は歓迎しますよ。

 

基本的に人を疑う人は結局自分自身も信用していないのです。自分の実力を信用することができないから自分が騙される危険性があると無意識に思い、人を疑ってかからなければならないのですね。自分で自分の力を信用できれば人を疑う必要もなくなります。そして物事の真偽もおのずと分かるものです。実力があればやはり結果も良く、それが平穏な人生に繋がるのですね。ビクビク人を疑りながら生きて行くのとは大違いなのです。今のところ私の人生は平穏なので感謝しています。こういう毎日が死ぬ日まで続くように私なりの精進を毎日していきますね。

 

合掌

 

仏光

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