恨みを捨てると幸せになる | 仏光さんの心の相談室

恨みを捨てると幸せになる

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一昨日の金曜日はいつものように昼休みに筋トレをしたのですが、どうしても体がだるくて仕方が無かったです。「おかしいなあ」と思いつつ何とか筋トレのメニューは終わらせたのですが、大事をとって有酸素運動は止めにしてお風呂に入りました。仕事場に帰ってきてもどうしても体調が良くなりません。そこでよく自分のことを考えてみました。数日間気温が高い日が続いて運動の時によく汗をかいていました。

 

特に前日の木曜日は朝に自転車に乗って、昼は体育館でトレーニングした後温泉に行っていっぱい汗をかいていました。その割には食事を管理しているので、特に塩辛いものは食べていません。「もしかしたらこれは体が塩分不足になっているのかな?」と思いました。そこで食塩を手にとって舐めてみました。するとものの10分くらいでみるみる元気になりました。やはり塩分不足だったのです。人間には塩は不可欠ですね。

 

これをよい教訓にして、早速ドラッグストアーに行って塩タブレットを買ってきました。昨日も筋トレと有酸素運動をしましたが、終わってから塩タブレットをすぐに舐めました。お陰さまで体は絶好調です。仕事もまあまあ忙しい週でしたが、結果的に元気に過ごせて良かったです。来週も仕事が忙しそうなので、暑くなる季節の体調管理は大切ですね。

 

さて昨日の瞑想教室で人を恨む心が自分を痛めつけるという話をしました。人は何時までも恨みつらみを持っていることが多いです。もちろんその相手も悪い事をしたのでしょうが、実際自分を傷つけているのは悪いことをした相手ではなくて、そのあと何年も相手のことを恨み続ける自分の心が自分を傷つけ続けるのだという真理について話しました。

 

多くの人は相手を恨み続けて、あわよくばその恨みのエネルギーによって相手が大変な目に遭ったり、死んだりすることを願っています。通常「こいつだけは許せない。一生許さないぞ~!許してたまるか!」と思っているのですが、いくら相手を恨んでみても実際相手は毎日元気満々で生きていると思います。深夜に頭にろうそくをくくりつけて、相手の名前を書いたわら人形を五寸釘で木に打ち付けたとしても相手はピンピンニコニコしていると思いますよ。

 

元々相手が悪いのに、悪い相手はピンピンしていて、「この野郎、あの野郎!」と恨んでいる自分が気分悪く夜も寝られず不幸な気持ちで生きていくことになるのだから、これほど割に合わない話はありません。自分の不幸が続くのは、不幸にした相手のせいではなくて、相手を恨み続ける自分の心が原因なのです。

 

これはいくら言葉で説明されても、恨みを持っている人はなかなか恨みを捨てることができません。どこかで自分が「自分を傷つけているのは自分の心なのだ」と気付かなければならないのです。理解するのは簡単ですが、気付くのは至難の技です。何らかのきっかけでこれに気付けた時に、その人はやっと不幸な人生から開放されるのですね。

 

もちろん多くの人はこの真理に気付くことなく、まあ相手を恨んだままで結局は死ぬのです。死んだら全て終わりと考えている人はまだこれでもいいのですが、私が毎日経験している事実を鑑みると、こういう恨みを持った人が肉体は滅んで心のエネルギー体になると、その恨む心のマイナスのエネルギーにより行くべき次元にも行かずに、この3次元の宇宙に囚われて、まあ一般に言う「迷った霊」になるのだと思います。迷っている霊はそれだけが理由では無いと思いますが、この世に強い恨みの念を持つ人が死ぬとそうなり易いと思うのですね。

 

私の「一生」の概念は、毎日目の前で起こる超常現象を客観的に見る事により、生まれてから死ぬまでが一生ではなくて心のエネルギー体は遠い過去からずっと先の未来まで続いて行くのだというものに変りました。要するに生まれ変わるたびにそれまでの記憶は消去されますが、「私」は終わらないのです。このような客観的な観察によって、物事の考え方、捕らえ方が一般とは随分違うものになりました。

 

そこから考えると、もしメチャクチャ悪い事をした人間、意地悪をした人間、自分勝手な人間、人を傷つけた人間は、自分が気付いて自分を変えない限り、私がわざわざ恨まなくてもどうせ勝手に不幸になります。仮に生きている間は罰も無くピンピンしているように見えても、一旦死んで心のエネルギー体になった時に罰としてのその苦しみは計り知れないものになるでしょう。実際そのような超常現象も私の前で起こります。

 

私は除霊の時に霊をラージ、ミディアム、スモールの各サイズに便宜上分けているのですが、計り知れない苦しみの霊がラージサイズの霊です。こういう霊は除霊するのにちょっと余計に手間がかかります。またこういう霊に憑かれた人は症状などが大変なケースがほとんどです。でもちゃんと霊は取れるので問題は無いのですが、普通の倍くらい手間がかかるので本当に面倒臭いですね。

 

いずれにしても悪い相手がもし居たとしても、あなたがその人に罰を下す必要は無いのです。罰は天に任せておけば良いのですね。それより相手を恨んでいる暇があったら、自分の人生をより良いものにするために自分にとって良い事をするべきですね。偉そうに言っているけれども、腹が立つと私も時々この事実を忘れます。

 

どうせ誰かを恨んでいる間は自分が幸せになることは絶対に無いのだから、全く割に合わない話で自分が損をします。本当に悪い相手への罰は天がちゃんと相手が生きている間か、死んでから下してくれます。そして生きている間に下される罰は死んでからのと比べるとまだ全然マシなのだという事も知っておくべきですね。生まれて死ぬまでが一生で、生きている間に罰を受けて苦しんでいる相手を見てみたいと思うから自分がしんどくなるのです。そんな事しなくても遅かれ早かれ相手は苦しみます。

 

罰の事はさて置き、悪い相手が自分を不幸にするのではなくて、悪い相手を恨み続ける自分の心が自分の人生を不幸にしていくのだという真理を知るだけでも、自分が幸せになっていく入り口になります。大変不条理に見えるかもしれないけれども、恨みを捨てると幸せがやって来るのですね。

 

悪い相手には悪いことを続けさせて置けばよいのです。だから世間一般はどうであれ、私は恨みを捨てていこうといつも思っています。でも悪い奴と短い人生の時間を割いて強いて仲良くなろうとは思いませんね。離れて居ればいいのです。そのようにすると気持ちが爽やかになりますよ。もう既に幸せがやって来ているのですね。

 

合掌

 

仏光

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