丁度良い幸せ | 仏光さんの心の相談室

丁度良い幸せ

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今日は先日家のお祓いをして病気が良くなった高校生の男の子が妹さんとお母さんと一緒に、私のところにチェックのために来ました。本当にすっかり元気になっていて見違えるようでした。お母さんも「みんなが健康である事がこんなに幸せな事なのだと身に沁みて分かりました。」とオフィスに入って来るなり言っておられました。小学4年生の時から8年間も長男が病気なのは、お母さんにとってはどんなに辛かった事だろうと思います。

 

ましてやどこの病院に行っても、どんな薬を飲んでも治らなかったのだから、その子の将来を考えるとお母さんはとっても不安だったでしょうね。もちろん病院では治療費の請求をしなければいけないので、適当な病名をその子に付けていました。病名が無いと保険請求できませんからね。まあ結果的には8年間、全く見当違いの診断と見当違いの投薬だったのです。

 

健康こそが生きている間は一番の財産で幸せである事がよく分かります。でも8年間も子供が病気だったからこそ、子供が健康になることによってお母さんは健康である事がどんなに幸せであるかという真理に気付いたのですね。私もこの子の元気な姿を見て本当にホッとしました。みんなが幸せそうにしているのを見ていて嬉しかったですね。

 

妹さんも体調を崩していて今週から私が診ているのですが、彼女も元気になってきました。そして仲の良い兄弟でお兄ちゃんが元気になったことがとっても嬉しいみたいでした。これが本当の幸せなのです。もし今自分や家族が健康であるならば、それだけでも素晴らしい人生の資産を手に入れているのだと認識した方が良いでしょう。

 

ところがほとんどの健康な人は健康のありがたさなど分かりません。健康である事が当たり前なのですから。健康など当たり前のことで、その上でもっとお金が欲しいとか社会的地位が欲しいとか、まあ「あれが欲しい、これが欲しい」と人生で右往左往しているのです。健康など健康を失ってから如何に大切なものなのかが初めて身に沁みて分かります。

 

私は「幸せ」とは何だかんだ言いながらも普通に毎日が過ぎて行ってくれていたら、それが「幸せ」なのだと思います。だから今日の私はお祓いで良くなった男の子が来てくれたお陰で、いつも以上に幸せでした。明日は何が起こるのか分かりませんが、もし私が今のままの健康で一日過ごせたのならば、それだけでも「私は幸せなのだ」という事にします。

 

そのようにすると病気や怪我をしない限りは私は幸せという事になるし、またその幸せを持続させるために各種トレーニングや食事の管理があるのです。私にとってトレーニングや食事、睡眠は幸せになるための具体的な方策なのですね。だから「運動はしない。食事は不規則や偏食。夜は遅いので睡眠時間は短い。」となるといくらお金や社会的地位などを求めていても、またそれらが手に入ったとしても、決して幸せにはならないのです。

 

今日の男の子のお母さんではありませんが、自分にとって一番何が幸せなのかを自分が病気や怪我で動けなくなった様子をリアルに想像しながら考えてみてください。私の叔母が私がまだ中学生くらいの時に「幸せとは、まあまあ色々な事がそれなりになっていて、もう少しお金があったらいいなぁと思っているくらいが一番幸せなのだ。」と言っていたのを覚えています。私もそれくらいが丁度良い幸せだと思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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