仏の顔も三度まで | 仏光さんの心の相談室

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一昨日、独創的な生き方のブログを書きましたが、ある人が「自分が好きなように生きればいいのですね」と聞かれました。その言葉のニュアンスが「自分が好きなことさえすればいいのだ」という感じだったので、私は「そうですよ。自分が好きなように生きればいいのです。周りに迷惑をかけなければ。」と答えました。

 

その「周りに迷惑をかけなければ。」という一言でその人はちょっとがっかりした様子でした。周りがどうであれ、ただ自分の好きなことだけをして生きるのであれば、それは単なる自分勝手ですが、誰にも迷惑をかけなければ自分の好きなように生きればいいのです。

 

一番いいのは自分が好きなことをすることによって自分が活かされて、そして好きなことをしている自分によって周りも活かされるという生き方です。私はこういう生き方をしようと望んでいるのですね。それを目指して毎日頑張っています。そしてそういうことが実現する時もあれば、裏切られる時もあります。

 

今一番悩ましく思っているのは、「確かにこの人は今苦しんでいるけれども、本当にただその苦しみが取れればいいのか?」という問題です。たとえば大変意地悪な人が居たとします。でも具合が悪くなって人に意地悪をする元気もありません。私がその人をいつものようにその場で回復させて元気になったとします。元気を取り戻したその人はまた意地悪を続けるのですね。

 

私はその人の苦しみの原因をその場で取り除きますが、その人の本質をその場で変えているわけではありません。大体そのような人は自分さえ良くなればいいので、回復するといい加減な嘘や言い訳をしてどこかに消えて行ってしまいます。苦しい時はわらをもつかむ思いでやって来ますが、良くなれば知らん顔で、それで当たり前だと思っている人間は世間に結構居ます。

 

そういう時に果たして私は正しいことをしているのだろうか?と思ってしまうのです。極端な話、苦しんでいる人がいれば苦しみを取り除いて上げたいけれども、もしその人が回復してから銀行強盗をすれば、法的解釈などは別にして、私は銀行強盗を手助けしたことになります。

 

これが今、私がちょっと悩ましく思っていることです。もちろん多くの人はそういう人ではありませんが、人というのは多かれ少なかれそういう要素も持っています。実際にそういう経験を随分してきたので、時々「人とはこういうものか?」と思ってしまう時があって、自分が苦しくなります。

 

表面的には善人を装いながら、いざとなれば結構いやらしいという人間がこの国には多いです。それが本音と建て前なのですね。私がそういう本質がにじみ出ているなと思うのが、「桜を見る会」の問題です。招待する側も、された側も世間では紳士淑女を装っているけれども、いざとなれば嘘丸出しの答弁などをして、また実際は被災者相手に詐欺商法などをしていて、結構とんでもない奴がそういう会に出ているのです。

 

税金を使って首相自ら招待する会がそんな程度のものだから、あれがこの国の社会の本質なんだろうなと私は思いますよ。招待された人は名誉に思って喜んで桜を見に行くのだろうけれども、私は招待されたけれども断った人のリストを知りたいです。そういう人は結構骨がある人でしょうね。自分が本当に好きなように生きている人です。

 

こういう問題はもちろんお釈迦様の頃からあるみたいで、「仏の顔も三度まで」と言う言葉があるように、お釈迦様も三回は救うけど四回目は見捨てるみたいです。

 

王子であったお釈迦様が出家した後の釈迦国を継いだ人間が結構出来が悪く、強力な隣国といつも問題を起こしていました。怒った隣国が釈迦国に攻め入りました。さすがにお釈迦さまも元は自分の国が亡びるのは忍びないと見えて、道をふさいで軍の侵攻を止めました。そして隣国の王もお釈迦様の人格に触れて兵を引いたのです。

 

でもそういうことがまた二回起こって、その都度お釈迦様が止めたのですが、さすがに四回目はお釈迦様も見放して釈迦国は隣国に敗れあっという間に滅んでしまいました。この話から「仏の顔も三度まで」という言葉ができたのですね。

 

私はこれを私の問題に当てはめて、そのようにしています。三回までは助けるけれども、本人が変わらない限りは四回目は無いのです。もし助けれくれと言って来ても「どうぞお近くの病院に行ってください」と言って断ります。そしてお釈迦様はこうも言っています。

 

「縁なき衆生は度しがたい。(縁の無い人間は救えない)」と。私はこれも真理だと思うのでそう思うようにしています。もちろん多くの人はそうではないのですが、中にはそういう人間も結構いるので、お釈迦様と同じようにしていきます。この問題はお釈迦様が居た2500年前から何も変わっていないのですね。

 

でも、多くの人が私のところで助かった経験を通して、自分の生き方を見つめなおし、瞑想修行などを習い、それを実践してより良い人生を歩まれるきっかけにもなっています。別に瞑想などしなくても生き方が変わった、家族の在り方が変わったと言って喜んでいる人も大勢居ます。そういう人達のためにこれからも頑張って行きます。それが私の救いですね。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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