2019年05月31日
私たちの日常 「たんば色の覚書」 辺見庸著
辺見庸著 『たんば色の覚え書・・・私たちの日常』(2007年10月刊行)
胆礬色(たんばいろ)とは、どんな色のことやら。
調べてみると、「深く渋い青緑色」。
歌舞伎では恐怖で青くなった顔色の形容にも使われているという「胆礬色」。
「胆礬色」のイメージはよく分かりませんが、「私たちの日常」はわかりそうです。
さて、私ゴーヤー茶の「日常」は、どんな色をしているのでしょうか?
中国共産党の機密文書をスクープし、中国当局から国外退去処分。
職場での経験に着想を得た小説 『自動起床装置』 で芥川賞を受賞。
地下鉄サリン事件の現場に遭遇。
講演中に脳出血で倒れ、大腸癌も発見、
1944年生まれの辺見庸氏63歳の時に刊行。
「ふと思う。赤が狂乱を表象し、青は正気の徴(しるし)だなどといったいだれが決めたのか。」
「人を人と思わない酷薄無情な色とは、騒々しい赤でも石炭のような黒でも猥雑な黄でもなく、
あくまで冷静沈着な青ではないか。」
「昔の人は〈五体わなわなたんば色〉といったそうである。たんば色は顔青ざめる青だったのだ。」(「たんば色の覚書」)
「人という生き物は、まったく同じ条件にあってさえ、他者の苦しみを苦しむことができない。
隣人の痛みを痛むこともできない。絶対にできない。
にもかかわらず、他者の苦しみを苦しむことができるふりをするのがどこまでも巧みだ。」
「他者の苦しみ」、「隣人の痛み」、「ふりをする」・・・
私ゴーヤー茶は、自分の「苦しみ」「痛み」を表現することすらできません。
脳卒中発症後20年も半身不随の身で生き続けた父の「苦しみ」も「痛み」も理解できません。
2019年5月14日 辺見庸ブログ(現在74歳)
「肩が痛い。右腕がねじれる。右手が引き攣れる。手の甲の血管がひくひくと痙攣する。ので、根本美作子さんへの礼状が書けない。」
「私は私で脳出血にごていねいに二度のガンをへて死への過渡の廊下を、
ときおり苦笑し、ときおり喉の奥で悲鳴をあげながら、歩いている。」
「いま生きててあるわけは、どうということはない。現場でうまく死ねなかったからにすぎない。
だが、現場とはなんだろう。どこを指して現場というのだろう。」
「ただただ処刑されるためにのみ彼(死刑囚)は健康でなければならない。
泣いても騒いでも狂気寸前でも刑は執行される。
これまでもそうされたきた。足腰がだめになった車椅子の老人も絞首刑にしたことがある。
権力はいささかも動じない。権力とは冷酷無比というより無人格、無人称だからだ。」
「日常とはなにか、私たちの日常とは。
それは世界が滅ぶ日に健康サプリメントを飲み、レンタルDVDを返しにいき、
予定どおり絞首刑を行うような狂(たぶ)れた実直の完璧な排除のうえになりたつ。」
「私たちの日常はしかと見れば顔青ざめるような恐怖と痛みをその襞につつみこんだ永遠の麻酔的時間のことである。」
「処刑には聴診器をもった医官二人も立ちあうのだと聞いた。
一人の医官は、縊られて垂線に吊るされたままわずかに痙攣しつづける死刑囚の腕を取り脈をはかる。
もう一人は、宙吊りの人物の胸をはだけて、まるで患者にするように聴診器をあて、
片手ににぎったストップウォッチに見入る。
・・・ここに極限のニヒリズムがありはしないか。国家のニヒリズムに勝てるニヒリズムはない。そうではないか。」
私ゴーヤー茶が現役時代の頃、ある科目の授業で「死刑は国家による殺人」ではないかと生徒に問いかけたことがあります。
「一人を殺せば殺人者、100人殺せば英雄」、「戦争では100人殺せば英雄になるんだよね」と問いかけたことがあります。
「もう語るまいという衝動がつねにある。数え切れない徒労に疲れたのではない。
語りの中身に自己嫌悪するのだ。沈黙の底光りに惹かれるのだ。」
「熱波に躰をなかば溶かされながら溺れるようにして交差点をわたっていた。
これだけのことなのにまるで命がけだ。人びとに追いぬかれる。
私は顎を突きだし意識を顎の先に集めている。脚はただもがき顎にどんどん遅れをとる。」
横断歩道を渡るのも命がけの辺見さん。 ゴーヤー茶は、それほどの体調がどのようなものなのか想像すらできない。
「日常はすでに壊滅しているはずである。
なのに、皆が口うらをあわせて日常が引きつづいているふりをするのはなぜか。
黙契をこれまでどおりつづけているのはなぜだろうか。」
「資本にとってはなにが正しいか悪いかが問題なのではない。
よく売れるものが、いわば正しいのである。
この社会はよってたかって力のない少数者を痛めつけるのを好む。」
「2007年9月25日午後、私は再び病院の台上に仰向いていた。
下腹部をむきだし、足形の凹みについた青いプラスチックの箱に両足を固定され、
死者のように胸に手を組まされている。
躰には黒と赤のペンで十字の線がとても許しがたい罪人の印のように引かれていた。
治療というより懲罰をうけているようである。」
「私はなんとはなしに生きようとしていた。
生きる明らかな理由は、ただひとつ、いま死ねていないからである。
・・・私たちの日常とはとどのつまり、毎日、世界が滅びていく過程にあるのではないか。
世界が滅びつつあるそのときに、私は腹に放射線を浴びつづけていた。」
「私は意思的に無関心を成就し世界と絶縁しなければならないのに、
世界がどこまでもあくどくからみついてくるので、ふりはらうのにまたぞろ無駄な労力をついやしてしまう。
せめて聞こえなくなればい。見えなくなればよい。
世界とは、しかし、見ることを強い、聞くのを強いてくる圧倒的な愚昧のことではないだろうか。」
「いわゆる確定死刑囚のなかに私は友人を二人もつ。
・・・一方で、世界とその日常への嫌悪はますますつのる。
絶縁したいと思う。
鞏固な無関心を、死に赴く犀の沈黙のように、あくまでつらぬきたい。
だがとても無理だ。」
「私たちの日常のなかには、たくさんの死が埋めこまれている。
・・・日常のという舗装道路の下はすべて死体だと考えてもいい。
あるいはテレビに溢れ返っているようなCM化された言葉。
その言葉と言葉の間には数えきれない屍がある。」
「いまはすべてが資本に呑まれています。
・・・万物の商品化といいますか、記憶も言葉ももはや商品になってしまった。
勝者はだれでししょうか。
私はアメリカが勝者ということではないと思う。勝者は資本だと思うのです。」
「私たちの喜怒哀楽、私たちの快不快は、私たちの意識が決めているのではない。
私たちは資本の自在な触手でありもっとも忠実な尖兵でもあるメディアに意識を根こそぎ収奪され、
メディアによって生産された意識をロボトミーのように注入されているのです。」
「2030年に暑い夜がいまの三倍になっても、しかし、快適に暮らす人間はいるでしょう。
それは貧しい人たちではありません。
富裕層だけが環境の快適さを享受するわけです。これは資本主義の単純な原理です。」
「もう一人の友人とは、これまで二十数回東京拘置所にかよって面会しました。
人を数人殺めた青年です。いまは三十五歳くらいです。
私にはいろいろな読者がいるけれど、彼ほど繊細で感じやすい心で読んでくれる人間はいないと思っています。
・・・そして、話しているあいだに眼が裏返って妙に白眼がちになる。
・・・平静を装っていても、恐怖のあまり眼が引きつってしまうのです。
内面が崩壊しかかっている。ここには極限的な日常があるのだと私はあらためて感じました。」
「死刑において使われている道具・・・それは日本独特のものらしいのですが、鐶(かん)というものです。
人の首を締縄で絞めるときに、輪の結び目のところをとめる金具です。
・・・その鐶という金具をつくっている職人がいる。それをつくって生活している人がいるわけです。」
「人間社会には禁忌というものがある。
そして私たちは日常のなかで禁忌とされるものを見ようとはしない。
・・・死刑という国家の秘儀は、この日本においては天皇制の密儀とどこかで通底する禁忌にほかなりません。
・・・死刑執行が絶対にありえないのが天皇誕生日です。そして天皇家の大きな慶弔時にも執行されません。」
「天皇制と死刑は日本社会における禁忌の暗渠でつながっていると私は感じているのです。
また、日本のマスメディアがほとんど例外なく加担していることですが、
死刑のリアリティはできうるかぎり伝えないという暗黙の了解があります。」
「ある朝、足音が近づいてきて、そのまま刑場に連れて行かれる。
死刑囚は何年もそのときを待つことになる。
だから死刑囚にはイメージとしては数万回の死が訪れているわけです。」
「〈黙契〉という言葉があります。・・・眼と眼で合図するような暗黙の了解のことです。
禁忌には絶対に触れないという制度だといってもいい。
黙契こそが私たちの日常の視えない臍(へそ)のようなものだと思うのです。」
「私たちは集団のなかで集団を通してしか抵抗していなかった。
単独者は抵抗の担い手たりえないとされていました。
だからでしょうか、「インターナショナル」や「緑の山河」を歌っていた人が、
別の集団に入ると今度は「君が代」を歌ってしまうこともありうる。」
「個的な不服従は、社会の共同性に対する徹底的な違和感のことでもあります。
・・・人間の繋がり合いというのはとても大事です。
だからこそ常に個という極小の単位に立ち返る必要がある。
〈私〉という単独者の絶望と痛みを、大げさにいうならば、世界観の出発点とする。
絶望と痛みは共有できず交換も不可能である。そのことを認めあうほかない。」
「私は会社(共同通信社)に四半世紀以上勤めていましたが、
ウスバカゲロウのように目立たない存在がいた気がするのです。
その人間は声を荒げて会社に反対はしなかった。
組合活動にも関わらない。目立つようなことはしなかった。でも体制には順応しない。」
「私たちの日常とは痛みの掩蔽(えんぺい)のうえに流れる滑らかな時間のことである。
・・・痛みとは、たとえ同一の集団で同時的にこうむったにせよ、
絶望的なほどに〈私的〉であり、すぐてれ個性的なものだ。
つまり、痛みは他者との共有がほとんど不可能である。」
2007年10月 辺見庸 『たんば色の覚え書・・・私たちの日常』より引用
この記事へのコメント
まいど
難しい話ですねー。辺見さんの本は何冊か買いましたが、書棚に眠ったままです。新聞や雑誌で短い記事を読んだことがありますが、すごい人だなーと思います。
最近、目取真さんが天皇制についてブログや地元紙によく書いています。二人の対談もありましたねー。
もっと勉強したいです。
難しい話ですねー。辺見さんの本は何冊か買いましたが、書棚に眠ったままです。新聞や雑誌で短い記事を読んだことがありますが、すごい人だなーと思います。
最近、目取真さんが天皇制についてブログや地元紙によく書いています。二人の対談もありましたねー。
もっと勉強したいです。
Posted by 山猫 at 2019年06月02日 23:15
「私たちは集団のなかで集団を通してしか抵抗していなかった。単独者は抵抗の担い手たりえないとされていました。だからでしょうか、「インターナショナル」や「緑の山河」を歌っていた人が、別の集団に入ると今度は「君が代」を歌ってしまうこともありうる。」
上記の指摘に賛同するゴーヤー茶です。
辺見庸さんがNHKのインタビューに応じた時に、「天皇制については触れないでくれ」と言われたそうです。
やはり天皇制は、黙契、禁忌、タブーなんですかね。
上記の指摘に賛同するゴーヤー茶です。
辺見庸さんがNHKのインタビューに応じた時に、「天皇制については触れないでくれ」と言われたそうです。
やはり天皇制は、黙契、禁忌、タブーなんですかね。
Posted by ゴーヤー茶. at 2019年06月03日 15:05
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