こんにちは、まんきんたんです。

 

「壺と石の話」を紹介します。

 

 

いろんなところで

手を加えられ拡散されている

有名な話なので、

聞いたことがあるかもしれません。

 

 

引用元は2001年発行

『会社がなぜ消滅したか』(読売新聞社会部/新潮文庫)

【山一證券の倒産までを克明に追ったノンフィクション】

の「あとがき」です。

 

 

 

 

「さあ、クイズの時間だ!」

大学教授は、そう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。

 

その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。

壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

 

教室中の学生が「はい」と答えた。

 

「本当に?」

そう言いながら教授は、教壇の下から

バケツ一杯の砂利を取り出した。

 

そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、

石と石の間を砂利で埋めていく。

 

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

 

学生は答えられない。

一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

 

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から

砂の入ったバケツを取り出した。

 

それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、

三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれで一杯になったのか?」

 

学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、

壺の縁までなみなみと水を注いだ。

 

彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

 

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、

最大限の努力をすれば、

いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

 

「それは違う」と教授は言った。

 

「重要なポイントはそこにはないんだよ。

この例が私達に示してくれる真実は、

大きな石を先に入れない限り、

それが入る余地はその後二度とないということなんだ」

 

君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、

と教授は話し始める。

 

「それは、仕事であったり、志であったり、

自分の夢であったり…」

 

「ここで言う“大きな石”とは、

君たちにとって一番大事なものだ。

それを最初に壺の中に入れなさい。

さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる」

 

もし君たちが小さな砂利や砂や、

つまり自分にとって重要性の低いものから

自分の壺を満たしたならば、

君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう」

 

「そして大きな石、つまり自分にとって

一番大事なものに割く時間を失い、

その結果、それ自体を失うだろう」

 

人生は有限だ。

 

百歳まで生きられるとしても

折り返し点の五十歳なんて

あっという間。

 

一日一日を大切に

生きたいものです。

 

今、自粛や活動制限の中にいると、

学校や会社などのルールや時間割が

決められた環境とはちがって、

自分の行動や自分の意思が

すべてです。

 

そのため、どうしても

時間管理が甘くなり、

 

ついつい夜更かしや

運動不足などを招いてしまうなど、

生活のリズムは容易に崩れがちです。

 

特に気をつけたいのは

スマホゲームなどに集中して

だらだらと時間を過ごしてしまうこと。

 

ゲームはパズルや手芸と異なり、

常に展開が大きく変化するために、

 

なかなか中断できず、つい長時間

やり続けてしまいがちです。

 

あげくの果て日常生活の

リズムをぶち壊してしまいます。

 

 

あ、話が脱線しました。

 

壺とは「人生の時間」の暗喩であり、

大きな石とは「人生の大切な何か」でした。

 

青年よ、大志を抱けという言葉もありますが、

 

大きな石は砕くことで

壺におさめることができます。

 

それが「努力」であり

「耐える」「頑張る」ことだと

まんきんたんは思うのです。

 

“今”という時を大切に。

 

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