駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

罠・・・・32

2020年02月22日 | 不動産業界

明美が戻って来て
また家族三人の生活が始まりましたが
明美は薬を飲んでる時には
幻覚を見る事無く元の性格に戻りましたが
油断して薬を飲まないと
また明らかに幻覚症状が現れました。
最初に明美に異常が出て4年
極端に悪化してる訳ではありませんが
しかし山本の中では少しずつ悪くなってる
そう感じていました。
今の状態であれば何とか普通の暮らしができるが
もし更に悪化したら?
この不安が山本にずっとつきまとう事になります。
そして
その不安は営業成績にも表れるようになって来ました。
今の会社に入社して1年
ここまで順調に売上を上げていましたが
明美が戻ってからは
山本の売上も落ちていました。
10歳年下の店長は
山本の名前を呼び捨てで
言葉もタメ口でしたが
成績を上げてる内は
山本に厳しい言葉を投げかける事はありませんでした。
しかし最近は
“経験が長いんだからもう少し何とかしてよ”
みたいな話しをするようになっていました。
この厳しい状況に陥って
山本は初めて気付いた事があります。
それは
前の会社でもずっと成績は良かったので
どこか自分の能力を過信してた
その事に気付いたのです。
当時は
明美は健康で
専業主婦で家の事は全てやってくれるし
祐太も順調に成長してましたから
家庭の心配事は全く無かったのです。
そして一番大きいのは
明美は秋田の寒村育ちですから
自制心があって
山本がどんなに遅く帰ろうが
休みに仕事に行こうが
一切文句を言わなかったのです。
今にして思えば
この家庭環境に恵まれていたから
自分は思いきり仕事にエネルギーを注ぐ事が出来た訳で
能力と言うより環境
これに恵まれただけ
今家庭に大きな問題を抱えるようになって
初めてこの事に気付いたのです。
その事に気付くと
以前は同僚を
単に営業成績だけで見ていましたが
それは大きな間違いだった
そう思うようになったのです。
以前の会社で山川店長から集中的に責められた中山と言う若い社員
今思い出すと
彼はお母さんと二人暮らしで
母親がパニック傷害を患ってると言っていました。
その時にはその病気が何だか良く分からないし
聞き流す程度で済ませてたのです。
今にして思うと
もっと理解して
母親の状態も聞いてあげて
もし悪い状態であれば
早く帰らせる事もできた
そんな事が頭をよぎり
罪悪感も沸いて来るようになりました。
今山本は明美の状態を店長には打ち明けていますが
しかし店長はその話を聞いても
全く気にかける様子も無く
分かった
としか言いませんでした。
山本は少しむっとしましたが
しかしその時の店長の態度は
自分が中山から母親のパニック障害を打ち明けられた時の態度その物
それに気付くと
店長を責める気にはなりませんでした。
営業マンは
会社に来れば同じ土俵で仕事をする訳ですが
しかしそれを支える家庭には
大きな差がある
明美が病気になり
自分の成績が低迷して
初めてその事に気付いたのです。
しかし山本は経済的に余裕はありません。
いくら明美を守りたいと思っても
まずはお金を稼がなければなりません。
前の会社では
明美が具合が悪くなった時に
会社を辞めるつもりで無期限の休職を申し出ましたが
しかしそれが出来たのは
明美が5500万の残価がある証券会社の取引明細を見せてくれたからです。
そのお金は吹っ飛びましたので
さし当たり毎日の生活
これを守る事が第一であり
明美の具合が悪くなったからと言って
寄り沿いたいので会社を辞めます
なんてとても言えない訳です。
ですから
家庭に大きな重荷を背負うようになっても
仕事を頑張る
これしか無い訳です。
年が明けて1995年

1995年1月17日
山本が朝起きてテレビを点けて見ていると
番組の途中で
関西で地震があった模様
と言う報道が流れて来ました。
まだ早朝と言う事で
映像は全く流れてきません。
山本は大阪に両親と
8歳年下の妹が住んでいます。
心配になりましたが
テレビの報道からは
まだ深刻さは伝わってきませんでした。
一応すぐに電話を入れると
実家には繋がりませんでした。
もしかしたら被害があったのか?
と思ってテレビを見ていると
相変わらず報道からは緊迫した様子は伝わってきません。
多分大丈夫
そう思ってそのまま会社に出社しました。
会社に着くと
もう大騒ぎになっていました。
ただ
相変わらず詳しい状況は分かりません。
ただ
ヘリコプターからの映像では
ところどころで煙が上がってる模様
その程度でした。
しかしその日は
時間を追うごとに
この地震が尋常ではない様子が伝わってきました。
翌日は水曜日で会社は定休日でしたので
山本はずっとテレビの画面に見入っていました。
映像がたくさん流れてきましたが
ビルが崩壊したり
高速道路が崩れたり
これまで想像すら出来なかった
そんな光景が次々に映し出されました
山本の両親はそんな映像が流れても
連絡が付きませんでしたので
最悪の事態も頭に入れてテレビ画面に両親の家が映らないか
それをずっと気にしながら見ていました。
家の映像は映りませんでしたが
夕方になってやっと連絡が付きました
幸い両親も妹家族も
棚から物が落ちたくらいで
大きな被害は無かった
これが分かって安心しました。
と同時に
自分は随分長いこと
両親や妹と連絡を取って無かった事
これに気付きました。
大学を卒業したら
追い出されるように家を出て来ましたから
両親はもう頼れない
この気持が強く
自分の事で精一杯だったからです。
妹は8歳も年下ですから
小さい頃の思い出しか無く
今は小学校の教員をしていて
子供も3人いる
なんて言われても実感は湧きませんでした。
ですから
ケンカした訳ではありませんが
自分の身内とは疎遠になっていたのです。
それでも祐太が就学前と小学校低学年の時
2回実家に連れて行きましたが
日ごろは特に電話する事もありませんでした。
しかしこの地震で
両親と妹に対する愛情
これは自分の中にしっかり残ってる
これに気付かされ
何か複雑な気持になりました。
それ以上に驚いたのは祐太の行動です。
地震の報道を見て
かなり気が高ぶっていました
大阪に連絡が付くまでは
何度も山本に電話をするように迫り
とにかく心配してたのです。
やっと両親に連絡がついて無事だと伝えると
祐太は安堵した様子でしたが
思いがけない事を口にしました。
来週おじいちゃんの家に行ってくると
これまで小さい頃にしか会ってないのに
なんでそこまで祖父母に思いが行くのか?
山本にはいまいち理解できませんでした。
ですから
山本は両親の無事を知ってからは
普通に会社に行き
実家の話題も家では出しませんでした。
その態度に
祐太が少し怒りました
お父さん冷たいよ

しかし山本は逆に何で祐太がそれほど祖父母が気になるのか?
分かりませんでした。
ですから山本も尋ねました
逆にお前はなんでそこまで気にするのか?

その時の祐太の答え
これが山本には衝撃的でした
だって
大阪のおじいちゃんおばあちゃんと
叔母さんしか自分の身内はいなんだよ
と祐太はすぐに答えたのです。
言われて見れば
明美は一人っ子ですでに両親は他界してますし
祐太も一人っ子なので
大阪にいる三人しか身内と呼べる人はいないのです
それを知らされて
山本は
実家と疎遠になってた事
これに後悔の念が沸いてきました。
結果的に祐太には淋しい思いをさせてしまったと
それが理解出来ると
山本は祐太に
是非行ってこい
と言って
大阪に行かせました。
金曜日に行って
日曜日に帰って来ましたが
祐太の口からも
大阪の惨状は伝わってきました。
町がぺしゃんこになってた
そう表現していました。
ただ
おじいちゃんと色んな話しをしてきた
そう言ってましたが
その中身については
あまり語ろうとはしませんでした。
ただ
山本は
もう祐太はもうすぐ自分の手の届かない所に行ってしまう
そう感じていました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 罠・・・・31 | トップ | 罠・・・・33 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

不動産業界」カテゴリの最新記事