棚田学会20周年を記念してシンポジウムが東京大学・山上会館で開かれました。
記念すべき20回大会で棚田学会賞を受賞されたのは2組。
イフガオ国立大学のナンシーゴンザレス副学長と、
愛媛県内子町で泉谷棚田を耕し続けてきた上岡さんご夫妻。
棚田学会賞、授賞理由の発表です。
山路永司 棚田学会会長より表彰状が渡されました。
(棚田学会賞その1)
フィリピンルソン島にあるイフガオ棚田地域の保全について
イフガオ国立大学のナンシーゴンザレス副学長のお話
ユネスコの世界遺産やFAOの世界農業遺産に認定されているイフガオの棚田ですが、
後継者が減少し、「ユネスコの危機遺産」に指定されています。
イフガオは先住民の総称だそうで、この棚田耕作の知識を継承するべく、研究面、財政面、人材育成などで関わり保全につとめていることが評価されました。
(棚田学会賞その2)
日本の棚田百選に選ばれた「泉谷棚田」4ha93枚の棚田を守ってきたのは、
上岡満榮さん(75)と淳恵さん(74)ご夫妻と、
姉のナミ子さん(85)と、もう1軒は清水善二郎さん(78)のわずか3軒です。
上岡さんのお話、
9人兄弟の3男で、親父が田んぼをこしらえた。ずっと親父を追いかけてきただけ。
自分にとっては、棚田百選じゃなくて「棚田借銭」。
棚田を守り続けることおはお金がかかるけど儲けにはならない。
1999年に「泉谷地区棚田を守る会」を発足させ、
2000)から 御禊小学校の全校児童13人に農業体験、
都市住民を対象に棚田オーナーとして40人
石垣と土波が半々、年に6回の草刈りをして手入れしている
自分たちにできることを続けていれば、いつか周りに引き継がれる
去年の棚田学会賞・受賞者、愛媛の写真愛好家の河野豊さんが上岡さんの棚田をずっと撮り続けてきました。
「愛媛県から2年連続で光栄です。上岡さん夫妻はおしどり夫婦で、いつも一緒に田んぼに出ておられるので、夫妻二人の写真が撮れる」と話されました。
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そして、棚田学会の山路会長より挨拶です。
20年前にはじまった棚田学会、初年度の会員は500人いました。
いまは半減。
木村尚三郎先生など名立たる先生方会長を務め、 去年、千賀会長から引き継いだ。
海外ではバリ島や韓国へも現地見学会を実施。
会員の写真で棚田切手を作成、田検定を実施したり。
4年前から高校生のフォトコンテストを開催。
日本学術会議に10年前に登録したことなど、
20年の歴史をふりかえりました。
また農水省農村振興課 植野課長から棚田地域振興法などのお話もありました。
6月の棚田地域振興法の成立を受けて、
棚田振興議連事務局長代理の進藤金日子参議院議員が来賓として、
法律の概要についてお話されました。
棚田振興法PJチームチームは、自民党を中心に議員立法として1年前から検討が始まり、
議論してきたのは、
棚田を維持するにはだけではなく、地域振興の仕組みにしないと保全できない。
市町村で計画つくるのではなく、協議会の中で「計画」を作る
足の形、指の長さに合うよう 地域にあった対策
農水省だけでなく、総務省、環境省、国土交通省など省庁連携で進める。
棚田学会研究委員の松澤さんから今回の20周年大会の趣旨説明です
基調講演は、
文化庁文化財調査官で世界遺産アドバイザー本の本中眞先生です
「文化遺産としての棚田の顕彰と保護 ―その25年のあゆみ」」と題して、
・世界遺産への「文化的景観」の導入
・日本の文化財への「文化的景観」の導入 ―名勝から文化的景観へ―
・顕彰と保護の制度の意味とその限界
文化遺産と自然遺産のはざまにある 自然的地域の文化的価値をどのように評価するか。
国際的には、世界遺産の中でも「自然と人間の共同作品」という定義において、棚田を含む農林水産業による景観は、文化的景観とされた。1992年
国内では、
2004年、文化財保護法のもとに重要文化的景観の保護の制度を創設。
消滅の危機に瀕していた
などの役割を見直し、その再生への人々の強い思いと地道な取り組みを踏まえて創設された制度。
長野県千曲市の姨捨の棚田(田毎の月)は、1999年に「名勝」に指定され、
同じ年、棚田百選の選定もあった。
まとめで、「重要文化的景観への選定とその後は、「自ら生まれ育ったむらの本当の価値を発見し、確かめるプロセス」であるとし、
また、先祖への敬意と次世代への希望を込めて、暮らしとなりわいについて議論し実践する
「ステージ」を創り出すツール
地元の人の「声の記録」をまとめることが重要。
「新旧の農業が混じり合う山村の棚田文化」宮崎大学農学部准教授 竹下伸一氏
高千穂峡・椎葉山の農林業複合システムは、2015年、FAOにより世界農業遺産(GIAHS)に認定された。
農林業複合システムとは、言い換えれば「山を使い尽くす」こと。
焼き畑でそば、ひえ、林業、家畜も飼い、用水を引いて棚田も。山の地形を克服して食料に変える。
山間地に1800ha、棚田百選の認定が7つもある。
山の上で水路を通すことが難しかったが、江戸末期、明治から始まり、昭和40年頃、総延長500kmに渡って用水路が開削され、できた棚田
棚田を守るという意識よりも、食料生産と生計手段の場。
「ブラタケシ」て名乗って、地域や若い人に山の歴史から農業の成り立ちを伝える勉強会が人気。
「平戸島における棚田の保全と地域文化の継承」平戸市文化財部 植野健治氏
平戸島は、重要文化的景観、世界(文化)遺産の認定地であることから、
「文化観光」という切り口で、過疎化が進む集落の維持、事業化を目標にかかげる。
「フィリピン・イフガオの棚田と先住民の民の知識―継承と棚田文化保全」
日本ユネスコ協会連盟 関口広隆氏
先住民イフガオの人々が2000年かけて築いた棚田。
民の知識をどう継承するか
農水省の若手職員からは棚田カードや棚田女子プロジェクトなど
棚田を楽しく盛り上げる取り組みの報告もありました。
農水省は去年は棚田キラーコンテンツガイドを発表し、
今年は棚田カード
わたしも棚田学会研究委員として総合討論の司会進行をしました。
千賀先生は、
「文化的価値をテーマにしているからか。どの話も明るく希望があった。20年やってきた今までと違って棚田に光が見えてきた」
というコメントされました。
なにか、変わる潮目にきているのでしょうか。
本中先生は、1999年にご自身が、名勝指定に関わった姨捨の棚田へ、家族ぐるみで毎年、田植えや稲刈りやそのほかの行事に、
20年参加し続けてきたことを話されました。やはり現場と長く長く関わることで、見えてくることがたくさんあるようです。
文化財指定が、現地にどんな変化をもたらしたか。
もちろん、シビックプライドのような効果も大いにあっただろうし、
有名になることで、見に来る人は増える。けれど、その保全にお金や労働力はかかる。
棚田オーナーも盛んになったけれど、この20年でオーナー自体が高齢化し、次の世代への継承が難しいこと。
メリット・デメリット、いろいろあるでしょう。
本中先生の、地元の人の「声の記録」をまとめることが重要というお話が印象的でした。
棚田や地域存続の問題は、データでは測れないことがたくさんあります。
やる気のあるリーダーがたった1人、いるかいないか。
地域側と、行政側の理解者も。
そういう数字や統計に出てきにくい状況・環境が、集落の未来を左右する。
声の記録は大事だとわたしも思った。
登壇した竹下先生と植野さんは、それぞれ地域に入って活動しておられるが、
お二人がいる間はいいけれど、いなくなったらどうなるのか。
竹下先生は、現地見学会などで後進の育成をしていると答え、
平戸島の植野さんは、自分と同じ力の入れ具合で地域と関わっていく担当者はいないだろうが、
だからこそ、今、自分がいるうちにやれることはやっておくという話でした。
また、平戸市の文化財部という部署におられますが、農水省の補助金制度を使うときも、
農政部を通すよりも、自分で申請書類を作るという。
省庁をまたぐと、判断が遅れ、スピードの低下を招くので他部署にお願いするなら自分でやったほうが早いと。
そこまでのめり込んで地域に関わる自治体職員は、確かになかなかいないだろう。
かといって、公務員である限り、転勤転属はあるわけで、
その集落は今後どうなるかわからない。
先細りで消えゆく集落をどう支えるか。
外側からできることはあっても、結局は内側=地元意識なのだろう。
ということは、制度が、法律が、どうなろうと、、消えゆく集落は消えてゆく。
今、棚田百選に認定されている137の棚田のうち、10年後、20年後に、すべての棚田が今と同じ状態で
保たれているとは考えにくい。
すでに荒廃している棚田もあるようだ。
すべてを残すことはできないけれど、やる気のある人がいる地域、まだ諦めていない地域に、
チャンスは与えられるべき。
思うこと書きたいことありますが、書ききれないので~~~
ひとまず
みなさま時間のない中ご協力ありがとうございました。
昨日は佐賀県で講演されてお昼に駆け付けて出席された
中嶋顧問のお話でカンパイ~
地域おこし協力隊の水谷さんはなんと埼玉から内子町へー!
愛媛県内子町の 上岡さん夫妻が、フィリピンの世界遺産 イフガオの棚田のイフガオ大学の活動と並んで、棚田学会賞を受賞されました。
夫婦2人を中心に守り続けて来た棚田での米作りが、ユネスコもFAOも国連の認める世界的な棚田と並んだのだ。
こんな誇らしいことがあるだろうか。
上岡さん夫妻の手を見せてもらった。
満榮さんもさることながら淳恵さんの手のたくましさに思わず握りしめずにいられなかった。
棚田を評価するということは、耕して来た人に拍手を送ること。
M-1とまでいかなくても、できれば賞金100万ぐらい贈呈したいのだけど〜〜^_^(ひとりごとー)
ともかくおめでとうございます。
棚田地域振興法や国会で成立し、棚田は「貴重な国民的財産」と位置づけられました。
棚田地域の振興に期待が寄せられるなか、東京大学(山上会館)で
「棚田学会大会 創立20周年記念シンポジウム」が開かれました。
何より食糧生産の場であった棚田に、水源涵養や国土保全の機能とともに、
文化的な価値を見 出すようになったのは、1990 年代半ばのことである。
文化財としての棚田という考え方は、価値あるものとして棚田を保全すべきという運動に力を与えていくことになった。
1999 年に「姨捨(田毎の月)」が名勝に指定され、同年、農林水産省は「日本の棚田百選」を認定した。
そして、2004 年の改正文化財保護法は、棚田景観から着想された新しいジャンルの文化財として「文化的景観」を創設した。
現在では世界農業遺産なども含め、文化財としての棚田の指定・選定は広く行われているが、これらの顕彰活動は、棚田の保全にどのような影響や効果をもたらしてきたのだろうか。
今年創立 20 周年を迎えた棚田学会も、棚田の文化的な価値を、社会に知らしめる役割の一端を担ってきたと自負する。
「棚田の文化的価値」から、今後の棚田学会が棚田の保全のために果たしていくべき役割とともに考える。
とにかく、棚田学会20周年という大きな節目。
大会には、国会議員の先生から農水省の棚田女子、研究者、生産者、行政、棚田写真家まで、多様な立場が一堂に会して盛り上がった。
まさに今月8月16日から施行される「棚田地域振興法」への期待が高まります。
テーマは「文化財としての棚田の価値評価が、果たして棚田保全にを何もたらしたのか」という大きなもの。
これからの議論は、文化・歴史・芸術・教育・精神・信仰・観光的な価値を、どう経済に結び付けていくかだろう。心の充足を提供し(商品にし)、お金にする方法を考えていこうということだ。
観光客や外の人の評価と、地元の人の認識には乖離がある。とずっと言われてきたけれど、棚田を荒廃させたくない、未来へ残していきたい思いは、まちがいなく両者共通である。ならば進む方向はひとつ。
方向は一つ、だけど、方法は様々。
棚田ばかりの話ではない。
すべての地域、農村、日本列島の課題に共通している。
考えていくことは憂えるよりも、たのしい仕事~❣
主催:棚田学会
後援:農林水産省
多くの皆様のご参加ありがとうございました。
ベジアナ@棚田アナ あゆみ