株式会社経世論研究所 講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから
三橋貴明のツイッターはこちら
人気ブログランキングに参加しています。
 
12月21日(土)シンポジウム「令和の政策ピボットは実現可能なのか?」が開催されます。
また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!
 
三橋TV第170回【日本国民のメモリーを奪う皇統断絶を許すな!】
 
 月刊日本2019年12月号に、インタビュー記事「アメリカ資本に奉仕し続けた安倍政権」が掲載されました。
 
 さて、安倍政権が見たくなかったであろう、10月の消費統計が発表になりました。
 実質消費が対前年比▲5.1%。何と、2014年4月(▲4.6%)を上回る落ち込みになりました。
 
  総務省が6日発表した10月の家計調査によると、全世帯(単身世帯除く2人以上の世帯)の実質消費支出は前年比5.1%減(変動調整値)となった。 ロイターの事前予測調査では同3.0%減が予想されていた。』
 
【日本の実質消費(二人以上の世帯)対前年比%】
 
 総務省は、上記の結果を受け、
「台風の影響もあるため、駆け込み需要の反動減との区別が難しい。この1か月の結果だけで消費税率引き上げの影響の大きさは判断できない」
 とコメントを発表。いよいよ、大東亜戦争末期の大本営になってきましたね、日本政府。

 すでに「アベ・ショック」が始まったことが明らかであるにもかかわらず、政府や与党自民党は、
「いや、景気はいいんだ! 10月の消費悪化は、台風のせいだ」
 と、相変わらずお天気のせいにして、現実を見ようとしない。

 正直、アベ・ショックの始まりよりも、自民党の政治家たちの現実逃避ぶりに恐怖を覚えます

 しかも、比較的政治に興味を持っている国民層にしても、いわゆる保守派と呼ばれる人は、
「韓国が~、中国が~、新・民主党が~、左翼が~」
 と、外交や政治(というより政局)の話を盛り上げることで、現実の「政策の間違い」から目をそらし、野党側は野党側で、
「桜を見る会が~」
 と、こちらも政策ではなく政局の話で盛り上がり、肝心かなめの「国民を豊かにするための政策議論」が行われない

 とうわけで、何とかしなければならないわけですが、「政策議論」を盛り上げるためには、やはりMMT(現代貨幣理論)の拡散や政治家へのインプットが肝になるでしょう。
 
【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※11月5日から上島嘉郎先生と三橋貴明の対談「自虐史観はなぜ始まり、深刻化したのか」がご視聴頂けます。
 
『「MMTは卓論か愚論か」MMTは主流派経済学の最大の急所を突いた
文・中野剛志(評論家)
 2019年、経済を巡る最大の論点は、間違いなくMMT(現代貨幣理論)であろう。もっとも、主流派経済学者や経済評論家のほとんどが、MMTを否定し、支持を表明した者は筆者を含め僅かに過ぎない。にもかかわらず大論争になったのは、MMTが主流派経済学の最大の急所を突いたからだ。というのも、MMTは、主流派経済学が前提とする「貨幣」の概念が間違っていることを暴露してしまったのだ。
「貨幣」を誤解している経済学が、正しい経済政策を導き出せるはずもない。事実、主流派経済学に基づく経済政策は、2008年の世界金融危機を看過し、その後の長期停滞に対しても無力であった。MMTに期待が集まったのは、主流派経済学の信用失墜の裏返しとも言える。
 その主流派経済学の「貨幣」観というのは、次のようなものである。原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった「商品」が、便利な交換手段(貨幣)として使われるようになった。その代表的な「商品」が貴金属、とくに金である。そのうち、政府が金貨を鋳造するようになり、さらには、金との交換を義務付けた兌換紙幣を発行するようになった。最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となった。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣は貨幣としての役割を果たすのだ。
 これが、主流派経済学の貨幣論、いわゆる「商品貨幣論」である。しかし、これが間違いであることは、歴史学・人類学・社会学によって、すでに明らかにされている。商品貨幣論を未だに信じている社会科学は、主流派経済学だけではないか。
 これに対して、MMTは、歴史学や人類学等の貨幣研究の成果に基づき、次のような正しい「貨幣」概念を提示する。(後略)』
 
 それにしても、改めて不思議なのですが、主流派経済学は「貨幣」に関し、「交換用商品(アダム・スミス)」との立場をなかなか捨てようとしません。というか、三百年近くも、かたくなに守り続けています。

 交換用商品ということは、中野先生が書いているように「それ自体が価値がある物体」ということになってしまいます。
「いや、実際に貨幣は物体だろ! 紙幣とか硬貨を見てみろよ!」
 と、突っ張る人に対しては、
「じゃあ、銀行預金ってなあに?」
 で話が終わるのですが、「貨幣は物体」という考え方は、現在のようにデジタル通貨(銀行預金等)、不換紙幣、不換硬貨が使われている時代には、まことに都合が悪い。何しろ、現実を全く説明できません。

 ならば、
「あ、ごめん。間違っていたわ」
 と、やればいいものを、主流派経済学者たちは「金銀の裏付けがない貨幣」の流通理由として、
「誰もが貨幣を受け取るので、自分も使う」
 と、貨幣流通の根拠を「大衆心理」に放り投げました。大衆心理とは、確かにあやふやで、かつ移ろいやすい。だからこそ、ハイパーインフレだのなんだのと、極端なことをいう連中が後を絶たないわけです。

 とはいえ、貨幣は物体ではありませんし、我々が日本円の使用を強制されるのは、政府に対する「日本円建ての債務(税金)」を負っているためです。何しろ、徴税から逃げると「逮捕」されますので、租税貨幣論の説得力は半端ありません。

 それはともかく、主流派経済学者たちが貨幣に関する認識を本格的に間違い始めてから、およそ250年(「国富論」は1776年刊行)。
 さらに言えば、財務省の前身である大蔵省の黎明期、初代大蔵大臣松方正義が、銀本位制導入を目指して緊縮財政を強行し、松方デフレを引き起こした1885年から、130年以上。

 これほどまでに長期に間違い続けた組織、勢力が、簡単に改心するはずもないのです。何しろ、彼らにとっては間違えることが正しいことなのです。変な表現ですが、彼らにとっては間違えることが「保守的」なのでございます。

 もっとも、主流派経済学者たちは、連中が死ぬまで状況は変わらない気がしますが、財務省は別です。財務省は、政治家の「権力」でコントロールすることが可能です。

 とういわけで、結局は政治家、そして政治家を生み出す我々の「主権」の問題という話です。財政主権は奪われたままですが、有権者として投票する主権は、まだ残っています。
 
 このまま日本が衰退し、中華人民共和国倭族自治区の住民になってしまうと、我々はウイグル人や香港人のように、投票する主権すら持たない民と化してしまいます。

 まだ、間に合います。日本の民主制が機能しているうちに、国民の手に財政主権を取り戻すのです。そのために必要なのは、知識と言葉。知識と言葉は、長期の特殊訓練なしでも使える、我々の武器なのです。
 
「財政主権を取り戻す!」に、ご賛同下さる方は↓このリンクをクリックを!
本ブログへのリンクは以下のバナーをお使いください。