年を取ったら減量はしやすいか、難しいか | 旅中毒

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以前は自分のブログ記事のカテゴリに「ダイエット」って作っておりました。他にも細かく分けたものが色々あった。しかし訪問した国が増えていくにつれ数が足りなくなり、雑談系のカテゴリをすべて「日常ブログ」にまとめてしまい、その中にダイエット記事もあったのでした。

 

このブログを始めて10年以上経っておりまして、その間ずっと減量するぞするぞと言っているわけだ。今の時点ではその当時と比べてあまり減っておりませんが、途中では今より痩せていた時期もあったんですよねー。油断するとすぐ放埓に飲み食いして膨れ上がる。

 

(サツマイモと舞茸の味噌炒め)

 

最近はダイエットアプリを使っていますが、いろいろ減量に役立つヒントをもらっても、目新しいものはないのです。30年もこんなことやってたら大体の知識は得ておりますし、自分の生活の何がいけないかも知っているし。ただ、自分自身が(主に加齢により)変わっていく中で、ダイエットの方法も指標も変わっていくと言うのは感じるところです。

 

代謝が落ちたせいなのか、やはり昔に比べたら食事制限だけでは痩せにくくなっているし、一方で、昔に比べて食べる量が減っているので食事制限がつらくない。それはいいんですけど、食べたいという欲求も減ってきているのが恐ろしい。

 

昔は、昼食がお弁当ではなく外食の時は、職場から出た瞬間から(あるいは出る前から)、どの店に行こう、どのメニューを食べよう、と楽しく思いを巡らせていたものです。なのに今は、飲食店街に着いてからも「今日は別に食べたいものないなあ…」なんて日も珍しくなくなってしまった。食べたらもちろんとても美味しいし楽しいのですけど。

 

(見切り品で半額だったエビ。ニンニクと塩で炒めた)

 

そう言えば、昔は「空腹感と食欲は違うんだよ! お腹は空いていなくても食べたいんだよ!」などと言っておりました。幸せな頃だった。「空腹ではないけれど食べたい、でも食べられない」なんてのも、まだいい方だった。今はもう空腹とは関係ない食欲」はもう知識や記憶として持っているだけのような…。だから、「空腹ではないけど食べたい!」と行動に移そうとして、食べられないというより前に、「本当は食べたくないよな?」と気づいてしまう。

 

「年を取ったら食べたくても食べられなくなるんだよ! 今のうちに食べ放題も飲み放題も充分やっとけ!」なんて若い人に言ってきたけど、その次に「食べたいと思えなくなるんだよ!寂しいぞ!」という段階があるんだわ。
 

(蕪と豚肉の炒めもの。塩味だけにしたのが大正解)
 

 

美味しいものをたくさん食べる楽しさは憶えているのよね。だから今でも食べ物やお酒を買うのはとても楽しい。でも食べたくないから食べない。だから冷凍庫がパンパンになって消費に追われたり、人にあげちゃったり。わかっていて繰り返す。年配の人の中に、やたらと若い人に食べさせたがる人がいるのって、こういうのもあるんじゃない? 自分の代わりに若い人に食べてもらって疑似体験を楽しむのだ。

 
旅したくても体が弱って旅できなくなる体力低下よりも、旅したいのに出かける気になれない気力低下の方が怖いし、その次に来るかもしれない、旅したいとすら思えなくなる欲求低下は想像するだけでも恐ろしい。同じように、食べたくても食べられないどころか、食べることに楽しみを見出すこともなくなっていくのかもと思うとつまんないですねえ。

 

(鶏肉と野菜のシチュー。とにかく、肉と野菜を合わせて炒めるか煮込むかすれば楽)

 

 

念のため。食欲不振ってわけじゃありません。これまでが異常だっただけです。だからこそ肥満になって医者から「痩せろ」と言われているわけでして。と言うか、今でも食べすぎだから減量に取り組む羽目になっとるのだ。

 

ただね、胃の容量が多いと色んな種類を食べたり飲んだりできるでしょ。量そのものを楽しめていたのは20代までだと思いますが、ついに種類が減るレベルに到達してしまったのだ。そして、それを残念だと思う一方で、「これでいいじゃん別に」と思っている自分も確かにいて、それが寂しい。

 

もっと色んな国で爆裂に飲み食いしたかった。そう言えば、ブダペストでの大晦日、屋台をハシゴしてたくさん飲み食いしようと思っていたのに、一軒目でもう食べ切れなくて残念だったもんなあ。あれだってもう何年も前。今はもっとダメだろうな。