社会と個人 | 旅中毒

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写真フォルダから懐かしいのが出てきたので、残しておく。自分の写真じゃないけど。2019年4月ね。

 

アメリカ、テキサスの警察が州花ブルーボンネットと一緒に撮った写真を警察内で募集したそうです。

 

上層部としてはこんな感じのを想定していたと思うんですよ。

 

こんなんとか。

 

しかしなぜか段々…

 

大喜利状態になっていったらしい。

 

一番ウケたのはこれ。

 

 

で、以下は写真と全然関係ない話なんですけど。

 

私はたぶん、特別な事情でもできない限りはもうアメリカを訪れることはないだろうなと思います。でもやはり、たまにとてもとても懐かしくなる。基本的に人が陽気で、知らない人同士でもコミュニケーションをとるのが当たり前で、見知らぬ人に優しくすることに理由なんて必要なかった。

 

日本は良い国ですし、絶対にアメリカを見習ってほしくないところも多いけど(健康保険制度とか銃の蔓延とか!)、日本社会全体に、個人的な知り合いでなければ関心を向けない冷たさがあると感じています。

 

日本人、一人一人は優しいので、そして普段は個人的な人間関係の中で生活を送っているものなので、自分たちの冷たさに気づいていない人も多いんじゃないかな。例えば路上や電車の中で誰かが困っていても、見ぬふりをしていれば出来事そのものを自分の人生から排除出来て、自分を冷たい人間だと思わずに済む、そんな感じ。

 

隣近所と濃密な関係を築くべきだとかいう話ではなくて、濃密な関係がない相手に対してでも、もうちょっと想像力を働かせて、優しさを表に出すことに抵抗がない社会になればいいのになと、そういう話。

 

今日読んだニュース。岐阜で、「道に靴が片方落ちているけれど人の姿がない」と男性が警察に通報し、駆けつけた警察が、すぐ近くの路地裏で18歳の少女に覆いかぶさっている男を発見、逮捕したそうです。「自分に関係ない」と見て見ぬふりをせず、「もしかしたら誰かが困っているのでは」と想像力を働かせ、杞憂に終わってもと通報し、待機する労を惜しまなかった。そのおかげで救われた子がいるんです。こういう心がけが当たり前の社会になったらいいなと思います。