しかし、かくさんたちの激励もむなしく、とりあえず帰る。
ところが帰り際、娘にホステスにならないかと誘われる。ホステスは、オリンピックで海外からくる外国人をおもてなす係です。
政治と共にオリンピックから去る人がもう一人。記録映画を頼まれた黒澤明。
そして、後任の事務総長は与謝野晶子の次男与謝野秀。
そのころ、日紡貝塚女子バレーボール部が世界選手権でソビエトを下し、 優勝。
このころから、東洋の魔女と呼ばれる。
しかし、大松監督が辞意表明する。
そのころ、五りんは三波春夫に弟子入り志願する。
そして、田畑家は裏組織委員会として活動する。
まあ、ある意味当然のなりゆき。
四三が持ってきた全国走破の地図を参考に聖火リレーの発想を得る。
いつのまにかデザイナーの亀倉さんも田端家に出入りする。
そんなうれしそうな様子を家の外から見る東さん。
いわちん、独立したばかりのアフリカ諸国をまわり、オリンピックの趣旨を説明して回る。
そして、政治は大松監督の説得のために、なぜか連続スパイクを受ける。
ついに、大松監督選手たちに「おれについてこい」と言う。
東洋の魔女、再始動。
1963(昭和38)、オリンピックまであと1年。
インドネシアの不参加、開会式でのブルーインパルスの飛行と大忙しです。
火の鳥、不死鳥は田畑政治というオチ。
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