2018年10月20日の弘前散策の続き。
「弘前高校」にある「鏡ヶ丘記念館(旧青森県尋常中学校本館)」を見学し、その隣の「袋宮寺」をお参りした後は、新寺町を更に西に向かいました。
弘前高校・鏡ヶ丘記念館(旧青森県尋常中学校本館)・袋宮寺のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12517685119.html
「袋宮寺」から西に進むと、左手に朱の鳥居が見えて来ます。
こちらは「新寺町稲荷神社」。
朱の鳥居がいくつも並んでいます。
結構な数が並んでいるんですよね。まだ社殿が見えない(^^;
朱の鳥居の脇のお稲荷さん。
あら?手ぬぐいで、頬かむりしていますね。
その後ろのお稲荷さんも!これは面白い!
やっと社殿が見えて来ました。
拝殿に向かって左手に進んで、右手に本殿と左手にまた別の朱の鳥居があって…。
朱の鳥居をくぐり、御社を…。
拝殿に向かって右手に回ると、祠があるんですが、その手前のお稲荷さんも頬かむりをしていました!
こちらも!ホント、興味深いな~でも、由緒書き等がなくて、由来は分かりませんでした…(涙)
「新寺町稲荷神社」の境内、本殿脇には、何やら鉄製の枠組みが置かれていました。
上の方が丸く弧を描いていて、扇形をしているようですが…
下には車輪がついている…。おお!?これはもしや、ねぷた祭の山車の骨組みか!?
「青森ねぶた祭」は見に行ったことがありますが、「弘前ねぷた祭」はまだ見たことがないんですよね…(^^; いつか見に行きたいな♪
「新寺町稲荷神社」から更に西に進むと、左手に「新寺町」という案内板を発見。
慶安2年(1649)弘前城東方の寺院街の一画が焼失したのを機に、3代藩主津軽信義公は15ヶ寺の寺院移築に着手、南溜池西方に新寺院街を造りました。以来この地を「新寺町」と呼ぶようになりました。
更に進むと、左手にお寺が見えて来ます。
こちらは「圓明寺」。本堂が青森県の重宝に指定されています。明応8年(1499)青森市油川に創建され、慶長9年(1604)藩祖津軽為信公が津軽統一に協力した褒賞として寺禄を賜り、弘前城築城当初に元寺町、慶安3年(1650)に現在の地へ移っています。
現在の本堂は、明和2年(1765)頃に再建された県内に現存する浄土真宗の建物としては最古のものとされます。
「円明寺」の本堂。大きくて立派ですね!逆光でキレイに撮れませんでしたが…(涙)
「圓明寺」の隣にもお寺があって…。
こちらは「法立寺」。由緒書きが黒ずんでいて読み辛いですね…(^^;
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◆沿革
開山は、京都本満寺塔頭(たっちゅう)玉持院2世の日尋上人。天文2年(1533)、大浦城下の賀田(旧岩木町)に一寺を創建したのに始まるといわれる。
(中略)
弘前城がほぼ完成した慶長16年(1611)、法立寺は賀田から寺町(元寺町)へ移転したが、翌17年、2代藩主信牧と重臣の高坂蔵人が争いとなった“高坂の乱”のとばっちりを受け、寺禄没収、廃寺の憂き目にあい、時の住職日元上人は除歴の上、国外追放となった。本寺の一大事に弘法寺2世・日正上人(8世)が3代藩主信義に再興請願し、努力が実って同19年再び寺は継続されることとなった。また、慶安2年(1649)5月2日の大火で類焼、翌3年(1650)に現在地(新寺町)に移転した。文化7年(1810)29世日顗上人代にも火災に見舞われ古書・古器物等も全て消失した。しかし日顗の尽力で直ちに再興され、その後34世日住上人代の安政6年(1859)に再び本堂が新築され、後41世日理上人は中門創建・鬼子母神堂・位牌堂・庫裏改築等本堂大修理したが、老朽化が進み、平成13年(2001)立教開宗750年記念事業として44世(前住職)日正上人が現本堂を新築。また、今後の少子化傾向を鑑み、同16年(2004)永代(無縁)供養塔を建立し、寺観を一新、現在に至っている。(日蓮宗HP)
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https://temple.nichiren.or.jp/8061007-houryuuji/
「境智窟本迹院」「南栄院」の由緒書きもありますが、よく読めませんでした…(涙)
「法立寺」の隣にもまたお寺があります。「新寺町」ですからね。こちらは「本行寺」。護国堂が県重宝に指定されています。
天正6年(1578)頃に津軽為信公が京都の日健上人を迎えて、堀越城内に建立したのが始まりと伝えられ、その後、慶長16年(1611)弘前寺町(現元寺町)に移り、やがて現在地に移転しました。
護国堂(持仏堂とする記録あり)の創建や沿革についての詳細は不明ですが、亨保元年(1716)に領内から広く寄付を集めて建立したとも言われています。
「本行寺」の境内を山門から…。時間がなくて、境内をじっくりとは見て回りませんでした…(^^;
更に西に進むと、右手にもお寺があって…。こちらは「遍照寺」。
更に進むと、左手に「正蓮寺」があります。
更に進むと、右手に古そうな建物が見えて来て…。味噌・醤油の蔵元のようです。
その向かい側にもお寺が!「専徳寺」
お寺をまとめて移しただけあって、お寺がたくさん並んでいるんですね。
時間がなくて、じっくり回れず、残念でした…(涙)
「新寺町稲荷神社」「圓明寺」「法立寺」「本行寺」「遍照寺」「正蓮寺」「専徳寺」とお参りした後は、味噌醤油醸造元の角を北に向かい、「茂森町桝形」に向かいました。
その様子は、また後日。
新寺町稲荷神社
青森県弘前市新寺町33
圓明寺
青森県弘前市新寺町62
http://www.jomon.ne.jp/~enmyoji/
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/ken/ken6.html(弘前市HP)
法立寺
青森県弘前市新寺町73
https://temple.nichiren.or.jp/8061007-houryuuji/(日蓮宗HP)
本行寺
青森県弘前市新寺町92
https://temple.nichiren.or.jp/8061010-1/(日蓮宗HP)
遍照寺
青森県弘前市新寺町107
正蓮寺
青森県弘前市新寺町126
専徳寺
青森県弘前市新寺町156
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