袖摺坂と、長源寺と、尾崎紅葉旧居跡と、宝国寺正定院と、圓福寺と ~東京都新宿区の寺院・坂道・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年6月中旬の神楽坂散策の続き。

 

地蔵坂」を上り、「光照寺」をお参りし、「弁天坂」の坂下にある「南蔵院」をお参りした後は、「袖摺坂」を上がって「長源寺」に向かいました。

 

 

地蔵坂・光照寺・弁天坂・南蔵院のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12534858392.html

 

 

弁天坂」の途中、「南蔵院」の道路を挟んだ向かい側に、「袖摺坂」はあります。坂道なんですが、今は会談になっているんですよね。

 

 

 

袖摺坂」の由緒書き。両脇が高台と垣根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合したということから、「袖摺坂」と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 

袖摺坂」を上って途中で振り返って…。右手の石垣も古そうだ。

 

 

 

袖摺坂」を上って、坂の上から眺めて…。

 

 

 

袖摺坂」から真っすぐに進んで行くと、突き当たりに「長源寺」があります。

 

 

 

長源寺」の所で左折し路地を進むと、左側に飛び石が敷かれた路地があって…。

 

 

 

飛石に上を歩いて行くと、左側に史跡案内板を発見。

 

 

 

こちらは「尾崎紅葉旧居跡」。小説家・尾崎紅葉が明治24年(1891)から明治36年(1903)10月30日に亡くなるまで12年間暮らし、代表作「金色夜叉」など多くの作品を執筆した場所です。

 

 

紅葉は、本名を徳太郎といい、江戸の芝中門前町(現在の港区浜松町)に生まれ、東京府第二中学や三田英学校で学び、明治16年(1883)大学予備門に入学、同18年に山田美妙らと「硯友社(けんゆうしゃ)」を結成、回覧雑誌「我楽多文庫」を発刊しました。

明治21年に帝国大学法科大学(現在の東京大学)政治科に入学、翌年には文科大学国文科に移りますが、同23年に退学しました。

在学中から読売新聞社に入社し、「伽羅枕」「三人妻」等を連載して人気作家となり、明治文壇の重鎮として、幸田露伴とともに紅露時代を築きました。

 

紅葉は、鳥居家の母屋を借りて居住しましたが、自らの号でもある「十千萬堂(とちまどう)」と称し、2階の八畳と六畳を書斎と応接間にし、1階には泉鏡花ら弟子が起居したこともありました。

当時の家屋は戦災により焼失しましたが、鳥居家には今も紅葉が襖の下張りにした俳句の遺筆が保存されています。

 

 

へぇ~この地に、尾崎紅葉が晩年、住んでいたのか~

 

 

尾崎紅葉旧居跡」から「長源寺」の方向に戻り、「長源寺」を通り過ぎると、右手にお寺が見えて来て…。こちらは「宝国寺 正定院」。

 

 

 

宝国寺」の斜め向かいにもお寺があるんですよね。

 

 

 

こちらは「圓福寺」。江戸三祖師・厄除海運祖師、江戸城奉安・夜光鬼子母神がお祀りされているようです。

 

 

 

入口脇には、題目塔があって…。

 

 

 

円福寺」の由緒書きがありました。中央には、お祭りの様子が描かれているようですが、盛大なお祭りだったようですね~!

 

 

 

この絵図は、文久元年(1861)3月、「圓福寺」において駿河国岩本實相寺の安国祖師像を60日間開帳した時の賑わいを描いた版画で、願主には牛込通寺町、牛込肴町など「圓福寺」近辺の二十三町の講中が連名して参加していますが、日本橋、馬喰町、赤坂、東神田、麹町、品川、千住、内藤新宿などの幟や提灯も見られ、江戸と周辺の信者が多数参集している様子が見られます。

 

 

信者の中には当時の歌舞伎役者の名も見られ、「圓福寺」が江戸の人々に熱心に信仰されていたことと、特にこのご開帳が大変な評判であったことがうかがわれます。

境内にはゆかりのある清正公の山車も入り、数々の出し物も演じられ、江戸庶民の信仰の熱意が伝わって来ます。

 

 

 

妙徳山圓福寺由緒」。文禄5年(1596)加藤清正公により創建され、「妙法蓮華経」の功徳により福徳円満のご利益を授かるという意味が山号、寺号の由来です。

 

 

江戸時代初期より祀られている祖師像は日蓮聖人が49歳の時に彫られた御像で、聖人自ら開眼(魂入れ)なされ、その直後に龍ノ口法難(1271)を免れたことから、生御影(生きるお姿)厄除開運の祖師と称され、古来より多くの参詣者を集めて来ました。

また江戸時代末期に徳川家の祈願寺となり、大奥女中の熱心な信者も多く、明治維新には江戸城紅葉山より夜光鬼子母神、七面大明神、妙見大菩薩が当山に奉安されました。

 

 

 

境内を進むと御堂があって…。

 

 

 

その堂宇に近づくと、扁額には「廣布殿」とありました。

 

 

 

御堂の手前には、日蓮上人の像があって…。

 

 

 

「日蓮聖人像」の由緒書き。

 

 

 

南無日蓮大菩薩」と刻まれた石塔。

 

 

 

浄行堂」と掲げられた祠に、浄行菩薩がいらっしゃって…。

 

 

 

妙徳稲荷大明神という幟のある御堂。

 

 

 

妙徳稲荷の御堂の中の様子。

 

 

 

境内には、石碑や石塔が並んでいて…。

 

 

 

こちらは、墓石でしょうか…。

 

 

 

ここにも石塔が!人々の信仰心の篤さを感じられるお寺でした(^^)

 

 

 

袖摺坂」を上り、「長源寺」「尾崎紅葉旧居跡」「宝国寺正定院」と回り、「圓福寺」をお参りした後もまた、神楽坂策を続けました、

その様子は、また後日。

 

 

 

 

長源寺

東京都新宿区横寺町20

 

 

尾崎紅葉旧居跡

東京都新宿区横寺町47

 

 

宝国寺 正定院

東京都新宿区横寺町40付近

 

 

圓福寺

東京都新宿区横寺町15

https://www.enpuku-ji.jp/

 

 

 

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