2018年2月21日の佐賀県鹿島市散策の続き。
「普明寺」の続き。
普明寺(その1)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12575546338.html
本堂の裏手には、鍋島家15代鍋島直紹公墓所があります。
墓石に近づいて…。夫人の名も一緒に刻まれていますね。両脇も墓石のようです。
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鍋島 直紹(なべしま なおつぐ、1912年(明治45年)5月19日 - 1981年(昭和56年)11月16日)は、日本の政治家。佐賀県知事・科学技術庁長官。旧肥前鹿島藩主鍋島家の第15代当主にあたり、地元では親しみを込めて「トンさん」(=殿様)と呼ばれた。
(後略)(ウィキペディア「鍋島直紹」)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E7%B4%B9
墓石の手前には、石仏が並んでいました。
更に奥に、鹿島鍋島家歴代藩主の墓所があるというので行ってみましたが、山道を登っていくような感じで…(^^;
倒木で、道が塞がれていたり…(^^;
石段もボロボロ…(^^;
その石段を上がると、墓所に到着です。
鹿島鍋島家歴代藩主の墓の案内板。この順に並んでいるようです。下の方に、7代鍋島直熙公(従五位下、和泉守、幼名:豊松)の記載がありました。
鍋島直熙公は、佐賀藩5代藩主鍋島宗茂公の四男で、佐賀藩6代藩主鍋島宗教公、7代藩主鍋島重茂公の弟にあたり、宝暦9年(1759)鹿島藩主鍋島直郷公の養子となり、宝暦13年(1763)鍋島直郷公隠居により、家督を継ぎました。
明和7年(1770)本藩主重茂公死去の際に、急養子となり、本藩を継ぎ、名を鍋島治茂と改めました。
佐賀藩から鹿島藩に養子に来て、また佐賀藩の養子として戻ったので、ここに、墓石がないんですね…。
石段を登り、右からお参りしました。
一番右の墓石に近づいて…。居士とありますので、案内板の配置と異なるので、どなたの墓石か、よく分かりませんでした…
こちらは、4代直條(なおえだ)公後室の墓石。
5代藩主鍋島直堅(なおさが・なおかた)の墓石。
12代藩主鍋島直賢公の墓石。
8代鍋島直宜(なおよし)公の墓石。
8代直宜公室の墓石。
11代鍋島直晴公の墓石。
11代直晴公室の墓石。
大きな石碑もあって…。
4代藩主鍋島直條公の墓石。
4代藩主直條公室の墓石。後室の墓石は、離れていますが…。
こちらは、童女とありますので、女の子の墓石のようです…。姫君のものなのでしょうね。
鹿島藩主の墓石は、まだまだ並んでいます。
9代鍋島直彜(なおのり)公の墓石。難しい字を書くんですね…(^^;
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鍋島 直彜(なべしま なおのり)は、肥前鹿島藩の第9代藩主。諱の読みは「なおつね」ともいわれる(「彜」は上から彑、粉、廾と書いた漢字である)。(後略)(ウィキペディア「鍋島直彜」)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E5%BD%9C
こちらは、9代直彜公室の墓石。
その隣には、10代鍋島直永公の墓石。
10代直永公室の墓石。
石灯籠もたくさん並んでいますね。
そして、13代鹿島藩主鍋島直彬(なおよし)公の墓石。
その隣には、13代直彬公室の墓石。
「その3」に続く。
普明寺
佐賀県鹿島市古枝久保山2377
https://saga-kashima-kankou.com/spot/787(鹿島市観光協会HP)
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