石川島灯台と、佃島渡船場跡と、佃まちかど展示館と ~東京都中央区の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年7月中旬の日本橋・八丁堀・佃島散策の続き。

 

 

住吉神社」をお参りした後は、「石川島灯台」に向かいました。

 

 

 

住吉神社(その2)のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12595151408.html

 

 

 

住吉神社」参道の朱の鳥居をくぐると、そこは隅田川なので、右手に遊歩道を進みます。向こうに白いものが見えますが…

 

 

 

左手には、水門があって…。上部に仮設小屋があるようで、何だか変な感じ(^^;

 

 

 

こちらは住吉水門

 

 

 

右側を眺めて…。右側が、佃島になります。

 

 

 

更に進むと、見えて来ました♪「石川島灯台」。下階にトイレが…(^^;

 

 

 

江戸時代末期の佃島・石川島」という由緒書きがありました。

佃島は、摂津国西成郡田村(現 大阪市西淀川区佃)の漁師たちが幕府の許可を得て、築造した漁村で、徳川家康公が本能寺の変の際、堺から間道を抜け大坂に向かいましたが、出水の為、途方にくれている時に佃村の庄屋孫衛門が多数の舟を出して助け、徳川家と佃島漁民の間に固い絆が結ばれることになりました。

 

 

その後、家康公が江戸に幕府を開くに当たり、佃村の漁師に対する恩賞として彼らに幕府の御菜御用を命ずべく、老中安藤対馬守を通じて、その出府を促し、特権的に漁ができるようになりました。

正保元年(1644)には、現在地に百間四方の土地を埋め立てて築造し、故郷摂津国の「住吉神社」の分霊を奉祀し、島の名を佃島と命名しました。

 

石川島の灯台は、慶応2年(1866)石川島人足寄場奉行清水純畸が隅田河口や品川沖航行の船舶の為、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので、六角二層の堂々たる灯台で、この完成を最も喜んだのは、近在漁師でした。

 

この度、佃公園を整備するに当たり、モニュメントとして灯台を建設するとともに、護岸前面に安藤広重の浮世絵をレリーフしたものを3題設置して、往時を偲ぼうとするものです。

 

 

 

佃島」の隣に、「石川島人足寄場」が築かれたんですよね。昔の絵図も、この由緒書きには掲示してありました。

 

 

 

石川島灯台」のモニュメントの前から、隅田川と住吉水門を…

 

 

 

石川島灯台」から、佃島に戻り、南に進んで行くと、昔ながらの御宅があって…。渋いな~(^^)

 

 

 

隅田川の護岸に上がってみると、佃大橋の下を、松本零士先生デザインの船・ヒミコ?ホタルナ?が通り過ぎて行って…

 

 

 

句碑がありました。「雪降れば 佃は古き 江戸の島 秀司

 

 

 

句碑の台座には、由緒書きが。劇作家北條秀司の句碑になるんですね。

佃島が好きで、俳優花柳章太郎も佃島好きで、二人は絶えず連れ立って佃島を歩き、大川の渡船を楽しみました。

 

 

その結晶として、「佃の渡し」の芝居作りを企画。昭和32年12月、新橋演舞場に脚光を浴び、劇団新派の財産を増やし、北條の代表作をまた一つ世に残すことになりました。

 

 

 

葦簀で建てた小屋があって…。御祭でもあるようですね。

 

 

 

佃島渡船」と刻まれた石碑。

 

 

 

由緒書き「佃島渡船場跡」。佃島は、隅田川河口にできた自然の寄洲で、江戸時代初期、初代将軍徳川家康公の招きによって摂津国佃村から下ってきた漁師たちは、鉄砲洲東の干潟百間四方を埋め立てて佃島を築き、この島と対岸の船松町(現 佃大橋西詰付近)との間に通された渡船が「佃の渡し」です。

 

 

明治時代には、渡し賃が一人五厘だったことから「五厘の渡し」と呼ばれ、大正15年(1926)渡船の運営が東京市に移ってからは、定期的に運航されるようになり、昭和2年(1927)以降は有料の手漕ぎ渡船から、無料の曳船渡船となり、渡船場の諸施設が整ったことを記念して、佃一丁目と湊一丁目にそれぞれ石碑が建てられました。

 

昭和31年(1956)には、1日平均60往復、16,000人もの利用者がありましたが、昭和39年(1964)佃大橋が完成したため、佃島の渡船は廃止されました。

 

 

 

その隣には、展示スペースがあって、獅子頭が置かれていました!文政2年の銘がありますね。この展示空間は、「佃まちかど展示館」。

 

 

 

佃まちかど展示館」には、「佃島の盆踊り」という由緒書きがありました。

毎年7月の盂蘭盆の時期に無縁仏の供養と鎮魂の為の踊りが行われますが、江戸時代から伝わる海村郷土芸能とされていて、古くから伝えられてきた踊り歌と独自の振りを持つ盆踊りです。

 

 

 

立派な御神輿も!

 

 

 

かなり古そうです!

 

 

 

この獅子頭も古そう!

 

 

 

こちらの御宅も古そうな建物で…佃煮屋さんです。佃煮は、ここ佃島から来ていると言いますもんね。

 

 

 

隅田川に沿って歩き、佃大橋の所まで来ました。地面に色がついている所がかつての佃島、ということなのでしょうか。

 

 

 

色のついた道路を歩いて行くと、池が見えて来て…いや、堀が正しいですね…かつては海でしたが…

 

 

 

佃堀と塩の満ち引き」という説明書きがあって…。

 

 

 

魚ッチング 佃堀のいきものたち」。この佃堀には、汽水域に住むさまざまな生き物たちがいるんですね!スゴイ!

 

 

 

神社の社のような建屋があって…。葦簀で囲いがされていますが…

 

 

 

彫刻が立派だこと!

 

 

 

石川島灯台」「佃島渡船場跡」「佃まちかど展示館」と佃島を散策した後は、「於咲稲荷神社・浪除稲荷神社」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

石川島灯台

東京都中央区佃1-11-4

 

 

佃島渡船場跡

東京都中央区佃1-2

https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kohokotyo/koho/h23/231021/bunka/index.html(東京都中央区HP)

 

 

佃まちかど展示館

東京都中央区佃1-2

https://chuoku-machikadotenjikan.jp/tenjikan/tsukuda/(中央区まちかど展示館HP)

 

 

 

 

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