松山城(伊予松山城)(その3) ~現存天守の一つ ~愛媛県松山市の城郭・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。

 

松山城」の続き。

 

 

松山城(その2)のレポ

 

 

 

 

 

太鼓門」をくぐると、緩やかな坂道・石段になっていて、鍵型に曲がっていましたよ。真っ直ぐには進めないようになっていますね~

 

 

 

その鍵型曲がる通路を、右に道なりに沿って歩くと、開けた空間になっていて…

 

 

 

井戸がありました。

 

 

 

この井戸の由緒書き。築城時に谷だった場所を埋め立てるのに合わせて、泉を掘り下げ、石を積み上げて建てられたと伝えられていて、深さは約44.2m、水深は9mあり、戦前までは釣瓶が備えられ、冷水を汲み上げて飲むことが許されていました。

 

 

上屋は、昭和20年(1945)7月の戦災で焼失したため、昭和27年(1952)3月に城内で初めて再建されました。

 

井戸には、次のような伝承が残されていましたが、いずれも真実ではないことが分かっています。

①   底がない。

②   天守と二之丸への抜け穴がある。

③   大こうもりがいる。

④   水をきれいにするため大判・小判が投げ込まれている。等々。

 

 

 

井戸の奥には、売店があって、小休止できますよ。ソフトクリームが美味しそうだったな~♪

それに、蛇口からオレンジジュースが出るようになっていましたよ!有料ですけどね(笑)

 

 

 

紅葉がキレイだったな~♪

 

 

 

ご当地ゆるキャラ「よしあきくん」もいらっしゃいました♪しかし、「よしあきくん」という名前の由来は、誰?(笑)

 

 

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よしあきくんとは・・・?

よしあきくんプロフィール

松山城築城400年祭を盛大に祝福すべく誕生した、松山城のマスコットキャラクターです。

名前の「よしあきくん」は松山城の初代城主 加藤嘉明(よしあき)にちなんで名付けられました。お城山からいつも松山の地を温かく見守っています。

松山城をはじめ“いで湯と城と文学のまち-松山-”を応援するため、積極的にお出かけしていきます!(松山城HP)

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そうか、初代城主の加藤嘉明公から取っているのか…レポしているのに、気付かんかった…(^^;

 

 

 

由緒書き「玉薬土蔵跡」。弾薬庫のことで、明治15年(1882)から翌16年にかけて解体撤去されましたが、昭和59年(1984)の発掘調査で、石垣に沿う21個の建物礎石(礎石列全長20m)や雨落溝などが見つかりました。

 

 

礎石列は、その長さや位置から、古文書や古絵図に記されている「玉薬土蔵」の礎石と考えられ、桃山期の建築尺度(1間=6尺6寸、約2m)が使用されていることから、築城時のものと考えられます。

 

この調査では、朝鮮系滴水瓦と呼ばれる逆三角形の瓦が出土しました。

朝鮮系滴水瓦とは、豊臣秀吉公の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参戦した大名たちが、権力の象徴として朝鮮の瓦を真似て、自らの城に葺いた瓦で、現存の近世城郭では姫路城熊本城に今も残されています。

この瓦は、加藤嘉明公が松山城に葺いていた可能性を持つ貴重な資料です。

 

 

東側石垣

巽櫓から本壇下を過ぎて艮門に達し、緩い屏風折が続いています。

古文書には、この石垣の上に16ヶ所の石落とし、127ヵ所の鉄砲狭間、27か所の矢狭間が備えられている渡塀(土塀)があったことが記されています。

この渡塀は、明治時代に取り壊されましたが、西側石垣に比べ、櫓がなく、横矢掛も弱いのは、石垣下の地形が険しく、寄手の攻撃が困難であることによると考えられています。

 

昭和59年(1984)の発掘調査で、この石垣沿いには、「玉薬土蔵跡」の地面より約1.2m高い、幅3mの土盛が築かれていたことが分かりました。

この土盛は、玉薬土蔵などの建物を防御するための施設と考えられ、今もこの部分の石垣(長さ50m)が、他よりも一石分高くなっています。

 

 

 

玉薬土蔵跡」の由緒書きがある場所から、石垣を覗き込んで…確かに急傾斜になっていますね。

 

 

 

天守閣が見えて来ました♪

 

 

 

松山城」についての、司馬遼太郎著「坂の上の雲」の一節。

 

 

由緒書き「本丸」。本丸は城の防衛上最後の砦となる廓で、高さ10mを越える高石垣に囲まれ、南北約300m、東西約30~180mという全国有数の規模を誇っています。

 

 

本丸北側には、松山城の中心である連立式天守の本壇が配置され、本丸南側には大手である大手門、北側には搦手である乾門があり、乾門付近には、乾櫓や野原櫓という城内で最古の櫓が残されています。

 

 

 

由緒書き「本壇」。本壇は、本丸の北側に位置し、天守・小天守など城の中枢となる建物が配置され、本丸広場より更に約8m高く石垣が築かれ、出入口は1ヶ所に限定されるなど防備は厳重で、天守は更に約4mの高さの石垣(切石を隙間なく積み上げる切込ハギによる)上に構築されています。

 

 

昭和8年(1933)に小天守、北や南の隅櫓、玄関などが焼失。

昭和10年(1935)に残された天守、天神櫓、塀、門等は国宝に指定されました。

焼失した建造物の復興は、昭和41年(1966)から着手され、昭和43年に竣工。

天神櫓は、昭和20年(1945)の空襲で焼失しましたが、昭和54年(1979に復元されました。

国宝に指定されていた建造物は、昭和25年(1950)の法改正により重要文化財になりました(天神櫓を除く)。

 

 

 

本壇の高石垣に近づいて…迫力あるな~♪

 

 

 

天守に向かいますが、天守には入場料大人520円が必要です。先程の由緒書きのある場所に料金所があります。

 

 

 

由緒書き「重要文化財 紫竹門東塀」。乾門方面から攻撃に備えたもので、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、嘉永期の再建とみられます。昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

その由緒書きの先には、塀がありますので、こちらが「紫竹門東塀」になるんですね。

 

 

 

石垣の間に、門があって…。

 

 

 

こちらの門は、「重要文化財 一ノ門」。脇戸付の高麗門で本壇の入口になるので、この名があり、木割りも豪放。二ノ門南櫓・三ノ門南櫓・小天守から射撃される構えとなっていて、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、天明6年(1786)に再建。

昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

一の門をくぐり、石段を上ると、左に直角に折れ曲がって、また門があります。

 

 

 

この門は、「重要文化財 二ノ門」。本壇における2番目の門で、薬医門の形式を持ち、天守・三ノ門東塀から射撃される構えとなっていて、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)に再建。

昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

由緒書き「松山城 本壇 配置図」。直角に折れ曲がる部分が多く、複雑な配置になっていますね…

 

 

 

天守閣を見上げて…迫力あるな~♪

 

 

 

更に進むと、また門があるんですよね。

 

 

 

こちらは、「重要文化財 三ノ門」。本壇における3番目の門で、高麗門の形式を持ち、三ノ門南櫓・天守から射撃される構えとなっていて、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)に再建。

昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

その隣には、「重要文化財 三ノ門南櫓」の由緒書きが並んでいて…。

一ノ門・二ノ門・三ノ門を防衛する役目を持つ一重櫓で、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)に再建。昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

更に進むと、今度は、立派な門があって、左手には塀が続いています。

 

 

 

左手に見える塀は、「重要文化財 筋鉄門東塀」。一ノ門南櫓・一ノ門・小天守を防衛する塀で、天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)に再建。

昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

筋鉄門東塀」に近づいて…

 

 

 

そして、先程の立派な門が、「筋鉄門(すじがねもん)」。脇戸付の櫓門で、門の柱に鉄板が張ってあるので、この名がつきました。櫓は天守と小天守の通路となっていて、三ノ門を防衛する構えとなっています。

 

 

天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)に再建され、昭和10年国宝に指定されましたが、昭和25年の法改正により重要文化財になりました。

 

 

 

「その4」に続く。

 

 

 

 

松山城(伊予松山城)

愛媛県松山市丸之内1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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