2019年5月1日の福岡県うきは市吉井町・浮羽町の歴史散策レポの続き。
「居蔵の館(旧松田家住宅)」を見学した後は、「素盞鳴神社」に向かいました。
居蔵の館(旧松田家住宅)(その3)のレポ
「居蔵の館(旧松田家住宅)」から東の方角、南新川沿いに進むと、左手に鳥居が見えて来ます。
こちらが「素盞鳴神社」。
鳥居脇には、「史蹟 東光寺跡」という由緒書きがあって…。「東光寺」は廣瀬淡窓の生母ゆいの実家で、東大名誉教授農学博士故後藤格次の生家でもあります。記念碑が当神社の回廊のうちにあります。
エビス様が刻まれた大きな石碑。
注連縄がかけられた石碑もあって…
石祠も…中にはエビス様が納められていました。
境内には、いくつもの石碑が奉納されていて…
参道には、立派な朱の楼門が!これは素晴らしい!
楼門には、随身と狛犬がいらっしゃって…
随身門をくぐり、手水所。
社殿。
社殿手前の狛犬。
拝殿に近づいて…。扁額には「祇園社」とあります。
拝殿の中の様子。
おお!ありました、ありました。「史蹟 東光寺趾」と刻まれた石碑。
由緒書き「瑞高山東光寺と祇園社の由来」
「東光寺」はもと上町にあり、寛延元年(1748)大火で類焼し、宝暦13年(1763)現在地に遷されたもので、安永3年(1734)藩主有馬頼重公より「東光寺」の寺号を授与され、久留米城内慈恩院祇園寺の末寺となり、初め天台宗、のちに真言宗に転じ、天明8年(1788)高野山発光院から「瑞高山」の山号を授けられました。
「東光寺」には寺子屋が開かれ、多くの吉井商人の子弟が学び、日田の広瀬淡窓の生母はこの寺の出身で、第7世住職後藤恒龍氏の娘「ゆい」で、9代目後藤謙次郎の三男後藤格次は学士院恩賜賞を受け署名な化学者として知られます。
明治初期の神仏分離令により廃寺となった祇園社は「素盞鳴神社」と改称されました。
境内を見回すと…楼門から回廊が延びています。寺院のような雰囲気。「東光寺跡」、神仏習合の名残ということでしょうか…
「東光寺碑記念樹」と刻まれた石碑と、樹木。
拝殿の裏手に回り、本殿を…随分と薄い社殿ですね。
宝篋印塔。
本殿の後ろを回って、本殿、拝殿、楼門を…
こちらには、石祠が3基並んでいて、中にはえびす様や秋葉宮がお祀りされていました。
こちらにも、石祠が…
「素盞鳴神社」のお参りを終えて、南新川に沿って、更に東に進みます。
すると、右手にお寺が見えて来て…
こちらは、「光琳寺」。
境内に入って、左手の御堂。
本堂に近づいて…
鐘楼。
こちらは、「中興」と刻まれ、僧侶の名が刻まれているようです。墓石でしょうか…
「素盞鳴神社」「光琳寺」とお参りした後は、「鏡田屋敷」に向かいました。
その様子は、また後日。
素盞鳴神社
福岡県うきは市吉井町1082付近
光琳寺
福岡県うきは市吉井町2-8
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