大宰府政庁跡と、月山東地区官衙跡と、佛心寺と ~福岡県太宰府市の史跡・寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年1月4日の太宰府歴史散策の続き。

 

「太宰府の旧小字」を発見しながら、「坂本公園」「オカッテンサン」「坂本八幡宮」と回った後は、「大宰府政庁跡」に向かいました。

 

 

太宰府の旧小字・坂本公園・オカッテンサン・坂本八幡宮のレポ

 

 

 

 

 

坂本八幡宮」から、「大宰府政庁跡」に向かって歩きます。もう目と鼻の先にありますからね。

 

 

 

大宰府政庁跡」の正殿があった場所には、石碑が3基建てられていて…。中央には「都督府古趾」と刻まれています。

 

 

大宰府政庁跡」は、以前レポしてますので、詳しくはそちらをご覧頂ければ、と思います。

 

大宰府政庁跡のレポ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、回廊跡の礎石に沿って、歩いてみました。

 

 

 

建物の礎石が、かつてあった建物の面影を見せてくれます。

 

 

 

大宰府政庁跡」の回廊跡の東側の「大宰府展示館」の近くには、小野老の歌碑があります。

 

 

 

この歌碑の由緒書き。

あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にほ)ふがごとく 今さかりなり

大宰少弐小野老朝臣が天平元年(729)大宰府に着任した時、宴席で披露した歌とされていています。

 

 

 

万葉集筑紫歌壇 太宰府の梅」が、「日本遺産」に登録されたのですね。

筑紫で詠まれた万葉歌は約320首あり、天平2年(730)大宰帥大伴旅人邸で開かれた「梅花の宴」が有名ですね。

 

 

 

令和」のの由来となる「万葉集 梅花の歌三十二首 序文」が書かれた碑もありました。

 

 

 

大宰府展示館」の裏手には、「帯塚碑」があるんですよね。

 

 

 

帯塚碑」とは、高浜虚子が愛用した「博多帯」を埋めたことを記した石碑で、月山の脇に「花鳥山仏心寺」がありますが、このお寺は「ホトトギス」同人の河野静雲が建てたお寺で、高浜虚子を祀る虚子堂があり、俳句の道場にもなっていました。

 

 

虚子が、愛用していた博多帯静雲に託し、仏心寺の傍に埋めて欲しい願ったことにより、昭和29年10月に建立されました。

 

 

 

大宰府展示館」の東側に、その「仏心寺」があります。こちらは、裏側で、ここからは境内に入れないようです…(^^;

 

 

 

仏心寺」の脇には、広場のようなスペースがあって、丸太で造られた木杭が何本も建ち並んでいるんですよね…

 

 

 

こちらの方は、背の低い木杭が並んでいます。

 

 

 

その背が低い木杭の方に進むと、「佛心寺」の入口があります。

 

 

 

境内に進むと、水子地蔵孫がいらして…(^^;

 

 

 

こちらにも、お地蔵様が…

 

 

 

修行大師の像や祠もあって…

 

 

 

祠の中の様子。

 

 

 

祠の隣には、毘沙門天。

 

 

 

五輪塔。

 

 

 

こちらは、句碑のようです。

 

 

 

大きな石像も…

 

 

 

境内の奥には、御堂があります。

 

 

 

虚子堂と 名づけしことよ 萩芒 立子

 

 

 

虚子堂佛心寺縁起

昭和24年、ホトトギス同人で時宗の僧侶河野静雲は、この月山の敷地を柳川の同人木下三丘子の嗣子木下潤氏より俳句の道場を建立せんものと提供されて、この地に庵を結びました。

 

 

河野静雲の師である高浜虚子太宰府を愛し道場建立に尽力、多くの掛軸用の句を揮毫されて、その浄財と全俳人の貧者の一燈を捧げて、この寺を建立。

高浜虚子により寺名は「花鳥山佛心寺」と名付けられ、御堂を「虚子堂」とされました。

 

 

太宰府は、高浜虚子ゆかりの地だったんですね…

 

 

 

仏心寺」のお参りを終えて、境内の外に出て、先程の木杭を眺めて…

四角く並んでいますから、建物の跡のように見えますね。

 

 

 

仏心寺」の近くの御宅の前には、庚申塔があって…

 

 

 

規則的に並べられた木杭と、「仏心寺」と…

 

 

 

仏心寺」から更に東に進みます。

 

 

 

すると、由緒書きがありました。「月山東地区官衙」。

大宰府には記録から「政所(まんどころ)」「蔵司(くらつかさ)」等の実務を行う官衙(役所)が18あったことが知られていて、官衙の多くは政庁の周辺に設けられたと考えられ、これまでの発掘調査で、役所として使われたと考えられる建物が多数見つかっています。

 

 

これらの建物は、溝や塀で区画されており、大きく7つの地区に分けられ、政庁の東側に隣接する「月山東地区官衙」は東西約112m、南北約71mの塀で囲まれた中に、これまで9棟の掘立柱建物が確認されていて、年代的には8世紀の始めから10世紀の終わり頃まで、3時期に渡っています。

この地区の役所がどのような役割をもち、何と呼ばれた役所であったのかは、今のところ定明らかではありません。

 

木杭は、発掘された掘立柱建物の柱の位置に建てられ、建物の位置を再現しているんですね。

 

 

この「月山東地区官衙」も、以前レポしていますので、そちらも、どうぞ。

 

月山東地区官衙のレポ

 

 

 

 

 

大宰府政庁跡」を見学し、「仏心寺」をお参りして、「月山東地区官衙」を見学した後は、更に東に向かって、歩いて行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

大宰府政庁跡

福岡県太宰府市観世音寺4-6

 

 

仏心寺

福岡県太宰府市観世音寺4-3-1

 

 

 

 

 

 

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