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4月26日、マニラより福岡へ向かう飛行機に乗り込みました。
朝6時スタート。地獄のツアーの始まりです。
保険会社の不手際により、これ以降は建て替え支払いしないと前に進みません。
エアーチケットも付き添い看護士代金などすべて払い終えマニラを出発したのが26日11時くらいでした。
朝方、ワゴンのステップを一人で登れなかったのがショックでした。
とにかくこれより座りっぱなしの状態が続きます。
早めに出たのはマニラ空港で何でもチェック好きなこの国の習慣によりメディカルチェックがあるそうなのです。
常識からすれば、そのようなチェックなどは乗客病人の事を考え最優先的に受けやすい場所に置くものでしょうが
この国ではそんなことはお構いなしです。
一度空港施設外へ出、倉庫や従業員スペースなどを車椅子で引き回され、待っていた女医が体温、脈拍を計り終わりです。
もっともお金次第では、女医は空港ロビーまで出向きニコニコしながらのチェックも可能です。
この国のシステムはすべて賄賂で成り立っているのです。
取り敢えず3時間で福岡。
高速バスに乗り換えクリニック
到着が午後四時でした。
久しぶりに先生にお会いし、ひとまずホットしました。
診察まで1時間程またされましたが、最後にしてくれたようでした。
そしてフィリピンよりのカルテに目を通した先生は、おもむろに険しい顔になっていました。
「残念ながらすでに私の治療
能力を超えてしまっている。」
これが先生の所見でした。
フィリピンの開腹手術である程度予想は出来ましたが、まさかこのクリニックにまで断られるとは思いませんでしたので、すこし慌てました。
しかし、クリニックの先生がひとり独立開業してやめてしまい、講演などの多い先生一人では当然無理なのは理解でき、苦汁に満ちた先生の顔を前にし、無理に入院をお願いする事も出来ませんでした。
後はホスピスを探すしかないという感じですが、この際ホスピスでもなんでもとり合えず落ち着くところを探すしかありません。
翌日、フィリピンからの付き添いを帰し、娘と二人で成田空港に向かいました。
そこから弟の居る新潟の病院へ入ろうと思ったのですが、あえなく成田でダウン。
救急車で運ばれ近くの病院へ緊急搬送され、現在そこで入院中です。
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朝6時スタート。地獄のツアーの始まりです。
保険会社の不手際により、これ以降は建て替え支払いしないと前に進みません。
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朝方、ワゴンのステップを一人で登れなかったのがショックでした。
とにかくこれより座りっぱなしの状態が続きます。
早めに出たのはマニラ空港で何でもチェック好きなこの国の習慣によりメディカルチェックがあるそうなのです。
常識からすれば、そのようなチェックなどは乗客病人の事を考え最優先的に受けやすい場所に置くものでしょうが
この国ではそんなことはお構いなしです。
一度空港施設外へ出、倉庫や従業員スペースなどを車椅子で引き回され、待っていた女医が体温、脈拍を計り終わりです。
もっともお金次第では、女医は空港ロビーまで出向きニコニコしながらのチェックも可能です。
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そしてフィリピンよりのカルテに目を通した先生は、おもむろに険しい顔になっていました。
「残念ながらすでに私の治療
能力を超えてしまっている。」
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フィリピンの開腹手術である程度予想は出来ましたが、まさかこのクリニックにまで断られるとは思いませんでしたので、すこし慌てました。
しかし、クリニックの先生がひとり独立開業してやめてしまい、講演などの多い先生一人では当然無理なのは理解でき、苦汁に満ちた先生の顔を前にし、無理に入院をお願いする事も出来ませんでした。
後はホスピスを探すしかないという感じですが、この際ホスピスでもなんでもとり合えず落ち着くところを探すしかありません。
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