マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

まったく個別具体的な粋の現れ方

 ――粋(いき)は、それぞれの人物に固有の現れ方をする。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そうであるならば――

 例えば、

 ――「粋」とは、具体的には、どういう性質か。

 という問い方には、あまり意味がない――

 ということになります。

 

 つまり、

 ――「粋」とは「色気の嗜(たしな)み」である。

 といった以上に具体的な述べ方には、あまり意味がない――

 

 意味がありそうなのは――

 まったく個別具体的な粋の現れ方です。

 

 例えば、

 ――日本の江戸期、時の政権の緊縮財政の下、深川という流通経済の要所で芸者として働く女性に固有に現れる粋としては、どのような性質が予想されえたか。

 といった問いにこそ意味がある――

 ということです。

 

 こうした問いを素地にして、

 例えば、

 ――現代日本において、インターネット環境の成熟化や対抗文化の先鋭化の下、タレント活動を行う女性に現れる粋としては、どのような性質が予想されるか。

 とか、

 ――2020年代の国際社会において、日本由来の対抗文化の影響からは独立して出現し、確立されていきそうな粋としては、どのような性質が予想されるか。

 というふうに立てられる問いにこそ意味がある、と――

 僕は考えます。