――神経の生理はともかく、大脳の生理は殆(ほとん)どわかっていないので、神経生理学は始められているが、大脳生理学は始められていない。
といった主旨のことを――
きのうの『道草日記』で述べました。
では――
裏を返すと――
何がわかれば大脳生理学が始められるのでしょうか。
……
……
僕は、
(“意識の働き”の凡(おおよ)そのことがわかれば、たぶん始められる)
と考えています。
――意識の働き
については、2019年12月7日以降の『道草日記』で繰り返し述べてきました。
例えば、
――感覚が“感覚の痕跡”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
といったことが、
――“意識の働き”の凡そのこと
に相当します。
つまり、
――大脳の生理
とは――
例えば、
――意識の働き
のようなことなのです。
……
……
試みに――
――神経の生理
で、“大脳の生理”にとっての“意識の働き”に相当する概念を挙げるとすれば――
それは、
――信号の伝達
でしょう。
神経は、神経細胞を構成単位としていて――
それら一つひとつの構成単位は、「活動電位」と呼ばれる電気的現象を伝播させている――
そして、その現象の伝播こそが、おそらくは“信号の伝達”である――
このような“神経の生理”の凡そのことがわかったからこそ――
神経生理学は産声をあげられました。
が――
そのような凡そのことが――
“大脳の生理”では、まだわかっていません。
だからこそ――
大脳生理学は産声をあげられずにいるのです。