――医者なんて誰でもできるさ。よくわからない薬をもっとよくわからない体に入れて病を治そうっていうんだから――
という笑い話のほかに、
――内科本道(ほんどう)、外科外道(げどう)――
という語句について――
きのうの『道草日記』で述べました。
この、
――内科本道、外科外道――
も――
冒頭の笑い話と同様――
出典はわかりません。
江戸期――
今日でいう内科が、
――本道
とみなされ――
今日でいう外科が、
――外道
とみなされていたらしいことや――
明治期以降――
――内科
や、
――外科
が、訳語として定着したらしいことから――
後世の医療従事者らによって、何となく使われ始めた語句ではないかと考えられます。
この場合の「医療従事者」は――
当然ながら――
外科系の医療従事者を指します。
――外科の診療技術は、あくまでも医学の発展の過渡期にみられている暫定的な技術にすぎず、遠い将来には、すべてが内科の診療技術に取って代わられるはずだ。
というような意味で用いられることが多いようです。
言外に、
――自分たち外科系の医療従事者は、何でもかんでも「手術で治してしまおう」と考えがちのところがあるから、十分に気を付けよう。
との自戒の意味が込められているようです。
この語句が、内科系の医療従事者によって、字義通りに用いられている例を――
僕は知りません。
もちろん――
この語句は、内科系の医療従事者の多くにも知られているはずですが、
――あえて内科の立場で発するべき語句ではない。
と考えられているのでしょう。
ところで――
江戸期には、なぜ、今日でいう内科が「本道」とみなされ、外科が「外道」とみなされていたのか――
……
……
それは――
おそらくは、日本の近世――つまり、江戸期――に限った話ではありません。
医学・医療は――
有史以来しばらくの間、今日でいう「内科」だけを指していました。
今日でいう「外科」は、医学・医療に含まれていなかったのです。
簡単にいうと、
――医学・医療は、あくまでも病気を治すためにあり、怪我を治すためにあるのではない。
との思想が、洋の東西を問わず、近代まで漠然と受け継がれていました。
怪我は、それほど重くない限り、洗ったり縛ったりすれば、治る――が、病気は、そうはいかない――何か複雑な原理が隠されている――
そのような発想が根底にあったと考えられます。
他方――
怪我を治すには、怪我人の血で自分の手を汚しつつ、その体を洗ったり縛ったりする必要があったこととも無縁ではないでしょう。
無意識のうちに、
――下等な作業
という烙印が押されていたに違いありません。
近代以降――
怪我が治る背景にも複雑な原理が隠されているとわかり――
もっぱら病気だけに向けられていた医学・医療の関心が、怪我にも向けられるようになりました。
そのような歴史的背景を背負った語句として、
――内科本道、外科外道――
がある、と――
まずは、とらえておくのがよいでしょう。