――内科では“共感にもとづく知恵”を示す必要があり、外科では“感嘆をもたらす技術”を施す必要がある。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
よって、
――内科本道(ほんどう)、外科外道(げどう)――
の考えは、
――医療の本分は知恵を示すことであって、技術を施すことではない。
となります。
――矛盾
といえば、矛盾ですね。
――「知恵を示す」というのは、要するに「原理を見出す」ということであり、「原理を見出す」というのは学問の本分――つまり、この文脈では「医学の本分」――に他ならない。
との反論は的を射ています。
つまり、
――医療の本分は、本来「技術を施す」ということであったはずだが、どういうわけか、有史以来、長らく「知恵を示す」ということにされてきた。
というのは――
矛盾以外の何ものでもありません。
なぜ、このような矛盾が生まれたのか――
……
……
答えは簡単です。
――医療の技術は、有史以来、長らく「技術」と呼べるレベルにはなかったから――
です。
……
……
少なくとも中世までは――
洋の東西を問わず――
医療の技術は限られていました。
――体を触ること
――尿を観ること
――薬を探すこと
――血を抜くこと
くらいであったと考えられます。
しかも、
――精度
という観点からいえば――
いずれも不十分きわまりない技術でした。
体を触るにしても――
体の構造がよくわかっていませんでした――どこに何の臓器があるか、それらが何の役割を負っているか、わかっていませんでした。
尿を観るにしても――
尿の意義がよくわかっていませんでした――体の中で起こっている病的変化の全てを総体的に反映していると思い込まれていました。
薬を探すにしても――
薬の効能がよくわかっていませんでした――体のどこに、どんなふうに働きかけ、病気の治癒を促すのか、わかっていませんでした。
血を抜くにしても――
血の役割がよくわかっていませんでした――体の一部なので抜かれたら具合が悪くなるだけということが、わかっていませんでした。
このような「技術」とも呼び難いような技術を用いて――
当時の医者たちは医療の実践にあたりました。
自分たちの技術が粗末であることは――
すぐれた医者ほど、痛切にわかっていたはずです。
――我々は、まだ技術を施す段階にはない。まずは知恵を示すことに専念をしなければならない。
そうした諦観が、
――内科本道、外科外道――
の考えに繋がっていったと考えられます。