マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

実は「外科が本道、内科は外道――」

 ――我々は、まだ技術を施す段階にはない。まずは知恵を示すことに専念をしなければならない。 

 という医者たちの諦観が、

 ――内科本道(ほんどう)、外科外道(げどう)――

 の考えに繋がっていったのではないか、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 が――

 患者が医者に期待をすることは――

 当然ながら、

 ――技術を施すこと

 であって、

 ――知恵を示すこと

 ではありません。

 

 ――あなたは医者だろう? 講釈はいいから、この病気を早く治してくれ。

 というのが――

 患者の求めです。

 

 それに対し、

 ――そのような技術は施せないから、代わりに知恵を示す。

 と医者が説いたところで――

 簡単に納得をする患者はいません。

 

 ――だったら「医者」を名乗るな。

 となる――

 

 それは、人情として、きわめて自然です。

 

 ……

 

 ……

 

 ――内科本道、外科外道――

 というのは――

 医学・医療の現実に向き合わねばならない医者の諦観であって――

 

 自分の病気を治してほしいと望む患者の本音に照らせば――

 

 実は、

 ――外科が本道、内科は外道――

 となるのです。

 

 だからでしょう。

 

 古代ギリシャの医者たちの多くは――

 諸国を巡る遍歴医であったそうです。

 

 1か所に定住しなかったのです。

 

 なぜ1か所に定住しなかったのか――

 

 それは――

 おそらくは、

 ――定住したくても、できなかったから――

 です。

 

 知恵は示せても、技術は施せない医者は――

 患者の怨嗟の的になったに違いないのです。

 

 ――口ばかり達者で、何もしてくれない。

 

 そのような近隣住民の批判に耐えかねて――

 古代ギリシャの医者たちは、1か所に定住することができずに、諸国を巡っていたのではないか――

 

 そのように考えられます。