マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「勇」や「怯」は、なぜ“感情の素”なのか

 ――「勇」や「怯(きょう)」は、いま一つ人々の日常生活に馴染みのない感情である。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 

 人の感情が、

 ――気分

 と、

 ――情動

 とに分けられる――

 ということ――

 

 そして、

 ――気分軸

 として、“憂・喜”軸があるように――

 ――情動軸

 として、“怯・勇”軸がある――

 ということを――

 

 9月11日の『道草日記』で述べています。

 

 「勇」や「怯」が馴染みのない感情であるとみなしているのに――

 なぜ情動軸として真っ先に“怯・勇”軸を挙げたのか――

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 それは――

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 「勇」や「怯」が“感情の素”とみなせるからです。

 

 では――

 なぜ、「勇」や「怯」は“感情の素”とみなせるのか――

 

 それは、

 ――個体の生存に直結しうる感情だから――

 です。

 

 「勇」や「怯」が馴染みのない感情となっているのは――

 ほとんど現代の治安の良い国や地域に限ったことです。

 

 そんな国や地域の典型として――

 現代の日本が挙げられます。

 

 過去の日本において――

 あるいは、現代でも、治安の良くない国や地域においては――

 「勇」や「怯」は人々の日常生活に十分に馴染みのある感情といえます。

 

 そのような国や地域では―― 

 自分の命を守るために――

 あるいは、自分の家族や親族の命を守るために、

 ――攻撃

 か、

 ――逃亡

 かの判断を繰り返し迫られます。

 

 その判断に基盤を与えるのが、「勇」や「怯」の感情です。

 

 簡単にいうと、

 ――勇む

 ならば、

 ――攻撃

 であり、

 ――怯む

 ならば、

 ――逃亡

 である――

 という傾向のことです。

 

 つまり――

 人は――

 外界の深刻な変化――外敵の襲来や天然の災厄――を五感で察する際には――

 自然と「勇」の感情が湧き上がるなら、その変化を積極的に取り除く方向で判断を下し、行動を始め――

 自然と「怯」の感情が湧き上がるなら、その変化を消極的に避ける方向で判断を下し、行動を始める――

 

 そういうことです。