マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「不安」には2種類ある

 ――「不安」と「自信」との違いは、病的か病的でないかの違いである。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 「不安」と「自信」とは方向性の異なる――おそらくは、方向性が真逆の――感情です。

 

 ここで――

 「不安」や「自信」を含む“怯(きょう)・勇”軸について、もう一度おさらいをしておきましょう。

 

 “怯・勇”軸は、

 

  ←錯乱―臆病―心配―安心―自信―過信―傲慢→

  ←恐慌―不安―怯安―安穏―勇穏―不穏―興奮→

 

 です。

 

 よって、“怯・勇”軸の原点(「安心」や「安穏」)の左側に「不安」があり、右側に「自信」があります。

 

 この違いは――

 決して小さくはありません。

 

 が、

 ――「不安」と「自信」との違いは、病的か病的でないかの違いである。

 というときの、

 ――病的か病的でないかの違い

 というのは、

 ――どれくらい「安心」や「安穏」から離れているかの違い

 であることに留意が必要です。

 

 要するに、

 ――「安心」や「安穏」から、「不安」は十分に遠いので病的であり、「自信」は十分に近いので病的でない。

 ということです。

 

 なお――

 ここでいう、

 ――不安

 とは、

 ――対象なき恐怖

 という意味で用いています。

 

 ――何が恐いのか、よくわからないが、恐い。

 という感情です。

 

 よって――

 例えば、日常会話における、

 ――あすのテストが不安だ。

 とか、

 ――来週の商談が不安だ。

 とかいうときの「不安」とは、異なります。

 

 日常会話における「不安」は、すべて対象が明らかであり、

 ――心配

 に置き換えることができます。

 

 こういう「不安」を、

 ――対象なき恐怖

 とはいえません。

 

 では――

 日常会話における「不安」が完全な誤用かというと――

 そうではなくて――

 

 例えば、

 ――あすのテストが不安だ。

 というときに、

 ――あすのテストについて、十分に勉強をしてきたから、何も恐がることはないはずだが、なぜか恐い。

 という意味であれば、完全な誤用ではなく、

 ――来週の商談が不安だ。

 というときに、

 ――あすの商談について、十分に準備をしてきたから、何も恐がることはないはずだが、なぜか恐い。

 という意味であれば、完全な誤用ではないのです。

 

 よって、

 ――不安

 には2種類ある――

 と考えることもできます。

 

 ――病的な不安

 と、

 ――病的でない不安

 とです。

 

 前掲の“怯・勇”軸では――

 前者のみを、

 ――不安

 と呼び――

 後者を、

 ――怯安(きょうあん)

 と呼んでいます。

 

 なお、「怯安」という言葉はないはずです――僕の造語です。