日々の気づきを人生に活かしたい。
そう思いながら、日常のリズムに埋没しやすかったりすることは無いでしょうか。
昨日、「がんばること」について書きましたが、なぜこうも「頑張って」しまう様になったのかに思いを馳せてみました。
すると、ふと思いだすことがあり。
かなり昔に遡りましたが、以前の記事にもちょいちょい書いてます通り、おおよそ学生時代(主には小学生)、運動オンチで鈍くさい子でした(^^;)
幼稚園→小学生の運動会が嫌で嫌で堪らなかった記憶があります。(遠い記憶…)
運動会では、「かけっこ」という種目がありますよね。
障害物競走だったり、単純に運動場のトラックを一周するだけの競走だったりです。
ハードル競走もあるかな。
当然ながら、どれもほぼ最下位のゴールです😅
一番嫌だったのが、何の道具も介在しない、トラックを一周、二周するだけの、単純に走るのみ!のかけっこ。
足の速さ、能力の差が歴然と現れるものなので。
みるみる差が開いていきます。
障害物競走などは、気持ちカモフラージュされるので、うっすら気が楽です。
その足の速さに関して、運動会で毎回確認され、自分の能力の無さに落ち込んでいました。
そこには、母親からの叱咤激励が大きく。
母親は若かりし頃、足が速かったのです。
走る度に、
「何であなたは遅いんだろうね。お母さんは足が速かったのに…」
「お母さんは速かったんだから、頑張ればもっと速く走れるはず。」
という、終わった後に声をかけられました。
なんとも返事が難しい投げかけです。
心は、「だって出来ないんだもん!!」
「一生懸命走ってるのに、人より遅くなるんだもん!」
「頑張ってるのに出来ないんだもん。。」
等など、心で叫んでいたんだろうなぁ、と改めて認識しました。
当時は、涙が滲んでくるばかりで言葉にならなかったように思います。
こういう事が、実は
「頑張っても出来ない」
「どうせ私には無理」
「だけど頑張らないと何も出来ない」
という判断基準を自分の中に作ったのだなぁと。
私はとにかく「がんばること」を選択して、かなりストイックに取り組むこともあります。
でも、思うように結果がでずに、今度はあきらめ心を抱く様に気持が移動します。
そのパターンは矛盾する
「頑張っても出来ない」
「どうせ私には無理」
「だけど頑張らないと何も出来ない」
↑これらから繋がっているなぁと。
人の言動行動、選択に影響する、それぞれの判断基準。
無意識にも一人一人がこの判断基準を使って、人生を生きている。
ただ、この判断基準は、何気に幼少期の何気ない出来事とその環境である親の言動行動がブレンドされて、形成過程されています。
だから未熟な部分も多々ある。
それでも無意識深くに鎮座している根本の判断基準になっている。
この形成過程に気づき、自らが作り出している結果の世界を変化させるキッカケに繋げることは、ホントに大切。
この自分の判断基準の形成過程を客観的に解析し気づきに繋げられるようになったのは、
やっぱりマインドーム理論を理解したからなんだなぁと思えました。
書いてて、いつも何気に長くなってしまう(^^;)
今日もお付き合いくださりありがとうございます😌