DORO☆OFF休止に捧ぐ記事 | アディクトリポート

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本日のおつとめ

2020/9/21

 

以下が本題。

 

 

ここしばらく6日連続で

映画の感想・レビュー記事が続き、

それが一段落すると、

テーマ:ウルトラマンの記事が連続するため、

今回は箸(はし)休め的な記事と言うことで。

 

題して、

DORO☆OFF休止に捧ぐ記事

 

アメブロは2009年8月10日に第1号記事を書いたので、

現在11年もが経過。

 

当初は出たてのブログを叩く「出る杭打ち隊」が群がり、

「お前ごときが何を言う」と、

からかいや個人攻撃も頻繁で、

心が折れかけたことも何度か…。

 

しかし「辞める」と言う選択肢はなかったため、

入院による中断休止期を経て、

(2012年7月)再開。

 

現在は順調に、

フォロワーも1,102 人と、

当初は考えられなかった大隆盛をきわめていると思う。

 

これもひとえに、

読者の皆々様のおかげですが、

10年を越えてブログを続けていると、

ごくごくたまに、

自然災害のように発生する、

厄介な読者に出くわすこともある。

 

そういう場合、

発端はカキコミ(コメント)から始まるわけだが、

長年の勘で、

「これは厄介になりそうだな」と「イヤな予感がする」コメントもある。

 

 

……。

 

 

どこがDORO☆OFF関連やねん!

 

2015年5月の(たしか)DORO☆OFFの帰り道、

 

※今調べたら、

この年のこの月にDORO☆OFFはなく

とにかく浅草方面までチャリ通した帰り道での話。

 

チャリ通で道路の交差点にさしかかった時、

スマホに「ブログにコメントが」の告知が。

 

これが「イヤな予感」の始まりでした。

 

そのコメントは最新記事にではなく、

2年前の

2013年12月3日、

「ルパン3世」PART2赤ジャケ実写案/いきなりそっくりさん(20)

へのもので、

私のセカンド作監、

北原健雄氏への評価が不当に低すぎるのではないか

と言う論旨だった。

 

「そんなこと言われたって、キライなものはキライ。

ダメなものはダメ」

と思いながらも、

わざわざ2年も前の記事を蒸し返すんだから、

軽々に扱うのもどうかと、

いちおう、先方の主張は掲載しておいたわけよ。

 

それでもその後、

「やっぱり納得行かねえ」と、

コメントをもらってから4年も後の2019年10月06日に、

鑑賞記:セカンドの美学「ルパン三世・峰不二子」

BSプレミアム 2019/9/21 

 

にからめて、

「もらったコメントには、やっぱり納得行きません」

と言う旨を書いたわけ。

 

主旨としては、

  • 私はセカンドの作画も作劇も演出も何一つ感心しない。
koi
  • 相手も当初はそうだったが、見直してみるとそうではなく、再評価を続けている
  • そうなると私の書きっぷりは、適性を欠くのではないか
——と、どうやら私の持論の撤回を望んでいたらしい。
 
しかし、
  • そもそも私は、相手の「セカンド」再評価の論旨に同意できない。
とむす
  • 当時は北原健雄氏が2013年9月16日にご逝去されたこともあって黙っていたが、ご当人も「放送以後は、ルパンを描いてという依頼や取材が全く来ない」と特集本で述べていたから、世間の評価も同じなのでは?
くらます
  • それほどこだわり、持ち上げる執念は、察するに相手が「セカンド」リアル世代だからでは?
ぜんき
  • 「タロウ」や「80」ファンの中にも、「Q」からのウルトラ第1世代が下した辛辣な評価に、子ども時代に夢中になった層や、より若い世代から猛烈な反発を喰らっているが、私は第1世代の評価に同感である。
33

たろうたいとる

えいてぃ

 

ところが、この「どうせ相手は最新記事なんて読んでないだろ」とこっそり書いたこの記事が、

案の定、掲載から1年後の2020-09-12に見つかったらしく、

相変わらずの「セカンド」再評価記事と、

そのためならなんでもありの、

壮絶なヨイショ理論コメントが延々と続くわけ。

 

 

 

世間のルパン三世作画への評価と言えば、

ばかり

とにかく初代ルパンの大塚康生氏に尽き、

ぱああん

その流れをくむテレコム/友永和秀氏以外には、

ずら

再評価の声が上がらないのは、

私のせいでもなければ、

しつこくコメントで絡む相手の意見が広まったところで、

覆(くつがえ)りようがない気がいたしますが?

 

なのでこちらも、

私はそうは思いませんの裏返しで、

「リアルタイム世代の執念ですか」と応ずると、

相手は「だからそうじゃないんだってば」と、

遺恨試合の水掛け論が続く無間(むけん)地獄

 

こうなるともう、

セカンドの正当評価なんてどうでもよくなり、

相手は私の持論撤回(と、どうやらお詫び)を求めているらしく、

こっちは応ずる気もないから、

泥仕合血を吐きながら続ける悲しいマラソンでしかないわけ。

 

相手は、

「それでは何も変わらない」

「自分の書きっぷりが説得力に欠けたからかも」と捨て台詞を残したが、

私が「こいつは厄介だから、相手の理屈に合わせておこう」と、

納得もしていない件に同意するのは、

圧力や恫喝に屈しているだけで、

それで「何かが変わる」としたら、相手の溜飲が下がる=気が済むだけの話。

 

世間のセカンド再評価になんて、つながるわけなんかないでしょうに。

 

とにかく、2020年の私のブログ現状にまったくあたらず、

自分のコメント返しへの興味関心だけが、

1年前の2019年の記事や、

5年前の2015年の記事や、

7年前の2013年の記事ですっかり止まってるのが異常でしょ?

 

私の人生信条は、

「自分が人からされたくないことは、

誰に対してもしない」

なので、

この記事を書くのもどうかと考え、

詳細は興味がある人だけが参照すればいい形にとどめました。

 

本記事を読んで不快な気分になられた方々には深くおわびいたします。

おわび