遺構へ行こう・・・大岡川河口部河岸の遺構群。 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

横浜でも梅雨入りしまして雨の日が多くなっていますが、この日も小雨がパラついています。

前回、遺構へ行こう・・・という事で、横浜新市庁舎の土地に眠っていた遺構群を見て回りましたが、

その新市庁舎のすぐ脇にある、大岡川河口部河岸にも幾つかの遺構が以前よりあります。

 

今回は市庁舎からすぐのところにある、大岡川河口護岸・荷揚場と北仲通大岡川下水口、

そして、みなとみらい大通りを渡った向かい側、北仲通北第一公園にある灯台発祥の地と、

その近くにある横浜市で最も古い河川護岸、旧灯台寮護岸などを見て行きたいと思います。

 

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まずは、横浜の土木遺産 大岡川河口護岸・荷揚場です。

          

大岡川河口周辺は明治時代には日本波止場に近く、横浜駅舎(現在のJR桜木町駅)は陸運の拠点でもあり、港都の要所として風格ある景観を呈していた。ここに明治初期、英国人技師ブラントンの設計により石積護岸が整備された。この大岡川右岸の護岸には、水運のなごりを残す荷揚場、4ヶ所の階段、北仲橋下流には波返し構造形式をもつ橋台などがあった、大変貴重な施設群である。明治時代の階段、荷揚場といった構造物は、一部補修・復元されたものもあるが、首都圏でここに唯一残されたものであり、ウォーターフロントの先駆的な遺産としても価値のあるものである。

 

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続いて、横浜の土木遺産 北仲通大岡川下水口です。

          

関内外国人居留地一帯には、横浜の下水道の発祥として明治初年、英国人技師ブラントンの設計により陶管下水道が敷設されていたが、明治14年(1881)から煉瓦造に改める工事が三田善太郎の設計により着手された。幹線は大・中・小のコンクリートを巻いた煉瓦造卵型管で、要所に煉瓦造のマンホールや洗浄桝、人造石による雨水桝や汚水桝が設置された。これらの施設のうち、中下水にあたる煉瓦造卵形管は中区山下町内の各所で発見されている。この下水口も明治14年(1881)から着手された、関内石造下水の排水口と判断される。

 

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みなとみらい大通りを渡って、北仲通北第一公園にやって来ました。

 

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北仲通北第一公園にあったのは、灯台発祥の地です。

          

交易船舶の安全のため、西洋諸国から灯台の建設を求められた明治政府は、外国人技師を招聘し、明治2年に灯台事業を担う役所として「燈明台(とうみょうだい)局」を、更に、明治7年には「燈明番(とうみょうばん)」(いわゆる灯台守)の教育及び建設する灯台の試験調整を行うための「洋式試験灯台」を、ここ、横浜元弁天(現在の中区北仲通6丁目)に設置しました。「洋式試験灯台」の完成時には明治天皇、皇后両陛下の行幸啓を仰ぐ栄誉にも浴した由緒ある地でもあります。「燈明台局」は、昭和23年、海上保安庁燈台局として東京に移転しますが、それまでの約80年にわたり、日本の灯台事業を全国展開し、また、最先端の西洋技術を習得した多くの灯台守を全国へ送り出すなど、まさにこの地を起点として、我が国海上交通安全の礎が築かれていきました。この地が日本の近代化に大きく貢献した灯台事業発祥の地であることを後世に伝え、また、先人の偉業を称えるため、「洋式試験燈台」の基礎として使用していた当時のレンガをその証とし、記念碑を設置します。

                               平成27年3月 海上保安庁 第三管区海上保安本部

 

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北仲通北第一公園から第二公園の方へ進んで行くと、旧灯台寮護岸があります。

          

旧灯台寮護岸のうち、約17mに渡る布積護岸は明治6年(1873)に築造されたと推定され、横浜市で最も古い河川護岸として横浜市認定歴史的建造物に指定されています。汽車道に残されている旧臨港線護岸とあわせて、石積みによる護岸が続く景観は、みなとみらい21地区の現代的な景観と対照的に、開港の歴史を伝えていきます。

 

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対岸には汽車道が走り、旧臨港線護岸も見えています。また、ロープウェイの建設も進んでいます。

 

遺構へ行こう〓fab44〓大岡川河口部河岸の遺構群