三溪園散策・・・其の三。(月華殿・金毛窟・天授院・聴秋閣・春草廬) | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

よこはまウォーキングポイントのアプリ版で無料クーポンをゲットした事から始まったこの企画、

ぶらり三溪園バスを利用して三溪園に到着したら、無料クーポンを使って園内に突入すると、

やはりウォーキングポイントのスタンプイベントでスタンプを集めながら、三溪園を散策しています。

 

三溪園の正門から入って、其の一・其の二と散策をつづけ、すでにスタンプも2つ集めましたが、

今回の其の三では散策もまだまだ前半戦。その為、ブログの方では前編・後編程度では終わらず、

この調子でいくと其の七までつづく予定。長丁場となりますが、ちょこちょこ合間にアップしていきます。

 

 散策の方は階段を上って高い所へ・・・ ↑↓ 階段の先に見えてきたのは月華殿です。

 

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月華殿(げっかでん)・・・

徳川家康により造られた京都・伏見城にあったとされる建物です。内部には海北友松筆と伝えられる障壁画や存在感のある菊文様の透かし彫りの欄間がみられます。三溪園へは京都・宇治の三室戸寺金蔵院から、茶室の春草廬とともに移されました。移築の際には、解体した部材を1本ずつ丁寧に布で巻いて運んだといわれています。

          建築年:江戸時代 慶長8(1603)年 移築年:大正7(1918)年  国指定重要文化財

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    月華殿の庭には飛び石がありますが、飛び石は左の方へも続いています・・・ ↓

    

       月華殿と渡り廊下でつながっている建物は金毛窟です・・・ ↓

       

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金毛窟(きんもうくつ)・・・

原三溪のプランにより建てられた2畳より小さい一畳台目の広さの茶室で、月華殿と連結されています。金毛窟の名前は、床の間の柱に京都・大徳寺にある金毛閣という三門の手すりの古材が使われていることにちなみます。                                         建築年:大正7(1918)年

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          金毛窟の隣には茅葺屋根で真四角の建物、天授院です・・・ ↓

          

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天授院(てんじゅいん)・・・

鎌倉の建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂の建物と伝えられています。室町時代の特徴がみられますが、修理の際に確認された記録から建築年代は江戸時代初めごろと考えられています。三溪園へ移築後は、原家の位牌を置く持仏堂として使われました。天授院の名は三溪の先代で原家の初代である善三郎の戒名です。

          建築年:江戸時代 慶安4(1651)年 移築年:大正5(1916)年  国指定重要文化財

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上って来たあとは細い道を下っていきます・・・ ↓ この小さな橋の下には川が流れ、谷戸といった感じ。

 細い道を進んで行くと、次に見えてきたのは聴秋閣です・・・ ↓

 

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聴秋閣(ちょうしゅうかく)・・・

徳川家光が将軍となるにあたり京都におもむいた際に二条城の中に建てられ、のちに乳母の春日局に与えられたといわれる建物です。この建物の移築により三溪園は全園が完成となりました。3つの屋根を組み合わせた形状から移築前は三笠閣という名称でしたが、原三溪はこれを聴秋閣と改め、秋に紅葉を楽しむ場所としました。木製のタイルを敷き詰められた一段低い正面の入口は、舟遊びの際に水辺から直接上がり込むための空間と考えられています。

         建築年:江戸時代 元和9(1623)年 移築年:大正11(1922)年  国指定重要文化財

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    さらに道を進んで行くと、道端に石棺が転がっていました・・・ ↓

    

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石棺・・・

家型石棺:奈良・海竜王寺付近出土(5~6世紀)  舟形石棺蓋:奈良法華寺付近出土(3~4世紀)

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       その石棺の向こう側に見えていた建物が春草廬です・・・ ↓

       

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春草廬(しゅんそうろ)・・・

織田信長の弟・織田有楽の作とされる、江戸時代初めごろの茶室で、小間の部分は月華殿とともに京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築されました。元は「九窓亭」と呼ばれ、4畳より小さい三畳台目の空間に9つの窓が美しく配置されています。これ以外の広間と水屋は原三溪がつけ加えたものです。  国指定重要文化財

建築年:江戸時代(小間)、大正11(1922)年(広間 水屋) 移築年:大正11(1922)年 

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          春草廬の脇にある小さな建物は、中にも入れるので休憩所の様です・・・ ↓

          

さらに道を下っていきますが、その先にあった石柱には「不許酒肉五辛入山門」と刻まれていました。

これは酒・肉・五辛を持って入山することを許さずという事で、五辛とは「大蒜・茖葱・慈葱・蘭葱・興渠」、

「ニンニク・ネギ・らっきょう・ニラ・ノビル」等の辛みや匂いの強い野菜を指しています・・・ ↓ ・・・つづく。

 

三溪園散策〓fab44〓其の三