薄いパジャマの襟がハタハタと顎の付近を撫でる。
まだ起き上がってベッドの上で正座したばかり。





髭も剃っていないから、無精髭が襟の動きを阻害する。
感覚的にゾリゾリと。
いつの間に開けられたか、カーテンと窓。
布団にくるまっている間は全く感じなかった、朝独特の寒気を受けて。
「あなた、そろそろ・・・あらもう起きてらしたのね。」
起こしに来た声を背中に、三浦は一言だけ、『ああ』と呟いた。



薄いグレーのスーツも、ネクタイも、シャツも靴下も、今日はいつもよりどことなくピシッとしていた。
多分、気のせいだが。
外装用品ではなく、背筋が伸びているのは三浦本体だろう。
機械ではなく、今朝は剃刀で丁寧に剃ってみた。
剃り残しがないかも確認した。
手触りに違和感もない。
慌てず手元に十二分の注意を払って、顔も洗い、ローションを叩きつけ、いつもの七三分けも・・・。
「あ、白髪。」
染めきれてない部分を発見。
萎えそうになる気分を、髪一筋、反対側に分け直して隠すことに成功した。
「よしっ。」
櫛を持って満足げな笑顔の口端に白い歯磨き粉の跡があることまでは発見できなかったのは、眼鏡がなかったからだろう。



何十年と変わること無く、そこにあるのは白いご飯と味噌汁が互いに湯気を絡ませた三浦家の食卓。
早出の場合はそこに座るのを飛ばして出ていくことが何度もある。
帰れない事件を抱え幾日後に解決した次の日の朝も、朝食が並べられた風景はまるで何度も同じビデオを見直したかのよう。
変わっていくのはそれを食べる、いつの間にやら皺が増えて白髪も増えた夫婦の姿だけだ。
「いただきま・・・ん?」
手を合わせた三浦の前で妻がチョンチョンと自分の口許をつついた。
「なんだよ?」
「歯磨き粉。」
咎めることも笑うこともしない。
黙って手でティッシュペーパーで拭った夫の顔を他に何も余計なものがついてないか、確認するのが毎朝の彼女の日課だ。
「いただきます。」
豆腐とあげ、ネギ入りの合わせ味噌。
出身が違う二人が辿り着いた三浦家の味で、何があろうとこの味と時間の流れで一旦リセットされる気がいつもしていた。
悲しく重い事件の結末を見た後でも、このシーンに戻ってこれるという不思議な安心感がある。
「髭。」
「何だ?」
「今朝は髭、綺麗に剃ったんですね。」
「ん、ああ。今日はな。」
「でも、歯磨き粉、付いていたら台無しでしたね。」
「・・・だなぁ。」
それだけ呟いて、小さな器にまるごと置かれた生卵を手に取る。
角でひびを入れて半分残った白米の中に落とすと、サイズ小さめの黄身が1つ現れた。
醤油一回し、そして箸で三回し。
完全に混ざりきらないこの具合が三浦の好みだ。
一度これを見た後輩と年下の同僚はあからさまに妙な顔をしていた。
良いじゃねぇか、と反論するのも面倒で気付かなかったふりをし一気にかきこんだ。
今朝も同じ。
ただ、目の前の彼女はそれについて一度も何も言ったことはない。
最後に味噌汁で口の中を整えて椀を置いた。
「ごちそうさ・・・ん?」
再び妻がチョンチョンと自分の口許をつついている。
「卵。」



「じゃ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい・・・あなた。」
靴べらを元の位置に戻す三浦に声をかけた。
「何だ?」
「いつもと同じ日が始まるだけですよ、今日も。」
「だろうか?」
「ですよ。」
言葉少な目に彼女は微笑み、手を振る。
「無茶しないように、若くはないですから。」
「そこは余計だなぁ。」
クスリと今度は二人で笑いあった瞬間、ふんわりと肩の力が抜けた。
やはり少し、気を張っていたらしいことに、三浦も気付いた。

いつものスーツ。
いつもの髪形。
髭だけちょっと丁寧に剃った。
いつもの鞄、靴、ネクタイ。
三浦係長、初日の朝はいつもと同じ。





Good morning