伊藤正昭さんのコメントを読ませていただいて、母の最期を思い出しました。
私の母はとても自分が強い人で周りの人を振り回しましたが、最期に会った時には声が出ないため手を振って私に別れを告げていました。
父の借金で苦労しながら私たちを育ててくれた人なので、その姿はとても印象的でした。
もっとかかわってあげれば良かったという後悔もありますが、照れ臭さもあってあまりかかわりませんでした。
亡くなって一ヶ月経った今でもまだ母の部屋にいそうな気がして、生きているときは「うるさいなぁ」と思ったこともありましたが、今はとても寂しい気持ちです。
これで私の両親は二人とも他界してしましたが、4人の親を看取ってくれた妻には心から感謝しています。
子供たちを成人させ、両親を見送ったこれからが、私たち夫婦の「老後」だと思うのです。
若い頃には夢があり、人生に対する期待がありましたが、私の歳になってくると特にほしいものもなくなってきます。
これまで出来ていたことが出来なくなっていく日々を、これからどのように生きていけば良いのか考えておく必要があると思うのです。
そこで久しぶりにヴィクトール・フランクルの本を読んでみました。
ヴィクトール・フランクルは、ナチスのホロコースト(大虐殺)を経験し、最大の被害者を出したと言われるポーランドのアウシュヴィッツ収容所をはじめ、チェコやドイツの収容所で3年間も過酷な生活をした精神科医です。
そうした極限の中で見出した「人生の意味」を確認しておきたいと思ったのです。
私の母はとても自分が強い人で周りの人を振り回しましたが、最期に会った時には声が出ないため手を振って私に別れを告げていました。
父の借金で苦労しながら私たちを育ててくれた人なので、その姿はとても印象的でした。
もっとかかわってあげれば良かったという後悔もありますが、照れ臭さもあってあまりかかわりませんでした。
亡くなって一ヶ月経った今でもまだ母の部屋にいそうな気がして、生きているときは「うるさいなぁ」と思ったこともありましたが、今はとても寂しい気持ちです。
これで私の両親は二人とも他界してしましたが、4人の親を看取ってくれた妻には心から感謝しています。
子供たちを成人させ、両親を見送ったこれからが、私たち夫婦の「老後」だと思うのです。
若い頃には夢があり、人生に対する期待がありましたが、私の歳になってくると特にほしいものもなくなってきます。
これまで出来ていたことが出来なくなっていく日々を、これからどのように生きていけば良いのか考えておく必要があると思うのです。
そこで久しぶりにヴィクトール・フランクルの本を読んでみました。
ヴィクトール・フランクルは、ナチスのホロコースト(大虐殺)を経験し、最大の被害者を出したと言われるポーランドのアウシュヴィッツ収容所をはじめ、チェコやドイツの収容所で3年間も過酷な生活をした精神科医です。
そうした極限の中で見出した「人生の意味」を確認しておきたいと思ったのです。
するとそこには「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は生きる意味を問い求める必要などないのである。
人間は人生からの問いに答えなくてはならない。
そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」 と書かれていました。
これは、人生というものを「自分がしたいことをする場」とか「やりたいことをやるのが人生」と捉えるのではなく、「人生から与えられた課題(なすべきこと)をするのが人生の意味である」という考え方で、そうすると具体的な事実から自然と意味がもたらされると言っているのです。
これを読んで「私はまだ人生に何かを求めているのだなぁ」と思いました。
そこに書かれていた内容は、まさにCL(建設的な生き方)そのものだったのです。
私たちは「幸せ」というものを、「楽しい」「うれしい」「気分が良い」という感情に求めたり、「成功」という良い結果に求めがちです。
もちろん私もそうした感情は好きですし、成功したらうれしいと思います。
しかし、感情は移り変わるものですし、努力しても結果はコントロールできないものです。
そうしたもので、自分の人生の価値を決めるのは違うと思うのです。
ヴィクトール・フランクルも「人は、強制収容所に人間をぶち込んですべてを奪うことが出来るが、たった一つ、与えられた環境でいかにふるまうかという人間としての最後の自由だけは奪えない」と言っていますが、「成功」というものは「どれだけ得たか?」「何を手に入れたか?」ではなく、与えられた環境でどのように生きたかだと言っているのです。
先日のコメントに豊栄荘の深澤さんが一票入れていましたが、「トイレの床にぶちまけられた吐しゃ物、どうしてこんなところで???と謎だらけの排泄物。。。。( ;∀;) 旅館の中のことですので、当然人目につきますから早くに処理をしなければなりません。
誰だって嫌ですよね。『支配人だから当然』と考えている方もいるのかもしれませんが、支配人だって人の子です本音を言えば『出くわしたくない場面』なのです。
しかし、放置すればお客様が嫌な気分になることは当然のことながら、『お金を払って寛いで楽しみに来ている』ことに対して申し訳がたちません。
これが『やってみる価値』なのかはわかりませんが、嫌でもやらねばならないことです」とありましたが、こうした生き方こそ「成功」であり、「素晴らしい人生」だと思うのです。
私も人生に求めるのではなく、事実をよく観察して、人生が求める課題に具体的に応えていこうと決意を新たにしました。
今日の一言はヴィクトール・フランクルの言葉です。
今日のひとこと
「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である」
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コメント
コメント一覧 (169)
ヴィクトル・フランクル
与えられた環境がどのようなものであっても、よりよい人生になるような行動をとりたいと思いました。
良い結果を求めて良い結果になったら良い人生だと思ってしまうところはありますが、自分の目標の為にどれだけ真剣に取り組めたかの方が大事なのかと気づかされました。今まで何となく生きてしまっていたので、人生の意味という難しいテーマについて考えた事がありませんでした。まだまだ真剣に人生生きていないと感じて反省しました。
「求めていること」と「自分のやりたいこと」は違うと思いました。
「嫌でもやらないといけない」のは大変だと思います。
与えられた条件・状況でやっていくしかないと思いました。
私には夢もやりたい事もないので、何のために生きているのか本当に分からなくなる時があります。
人生の価値は感情と結果で決めていたので努力してもうまくいかなかったら生きることも苦しくなってきます。結果だけではなく過程を見て、失敗したけどここは良かったなとか自分でもっと前向きに捉えられるようになれたらいいなと思います。
人生から与えられた課題をするのが人生の意味だと思えるまでにはまだ時間がかかりそうです。
置かれた境遇や周囲の環境は自分ではコントロールできないけれどその状況で何をどうするかだけは唯一自分がコントロールできる事。
まさにCLで教わった事ですが、文字にするのは簡単でも常にそれを意識して行動にするのはなかなか難しいです。
忘れずにいることが大事なのだと思いました。
与えられた環境でどのようにふるまうか、ちゃんと考えた上で向き合う行動をしていきたいです。
今置かれた状況の中で出来る最前を選んでいきたい。自ら進んで積極的に行動して成果を残していきたいです。
私は、嫌な事から逃げてきた人生だなと感じました。結果が見えない事は、やらないように逃げてきました。それは良くないと思いながらもまだまだ結果、人からの評価を気にして行動したくなります。
しかし、本質はその先にあるのだと改めて学ばせて頂きました。
人生が私に問いかけてきている、という価値観を初めて知りました。もしそうなのだとしたら私は人生からの問いかけをずっと無視していたんだと思います。
たくさん踏み躙られとても辛かった時にこんなに苦しいのに何故まだ頭や体は動くのか、全て動かなくなってしまえば、何も考えられなくなれたら楽になれるのにと本気で思っていました。当時の私には罰としか思えませんでしたが、今日のブログで罰ではなく自由だったんだと気付けました。
現時点で夢も人生への期待も無く、人生からの問いかけも未だに聞こえてこないです。まずは嫌なことから逃げないようにしてみようと思います。
たてっちの今日のひとこと
「アウタテッチ強制収容所でも、生きる意味がある。」
たてっちです。
「自分の態度を選ぶ自由がある」
高校生の時の自分に聞いて欲しい言葉だと思いました。
周りに優しく出来ないのは、今置かれてる環境のせいだと強く思っていた時期だったので...。
人生が、事実を突きつけて自分に問いかけているんですね。
与えられた環境でいかにふるまうか?事実をよく観察して行動をしていきたいです。
私の眼には母も自分が強く、生前の父に強く当たったり周りを振り回しているように見えていました。
それでもこの頃は弱い場面も見せるようになってきました。
今日のひとこと自分の自由の多さに恵まれすぎているように思えました。
苦手なことに向き合って取り組んでいる姿はカッコ良いですね。と思っているだけで行動にうつしていない私です。しっかりと向き合って逃げない道を作って行きたいと思います。
ありがとうございます。
辛いときでもその時どう行動したかが重要になってくるのだなと思いました。
人生から与えられる課題は尽きることはないのだと思いました。
その課題をどう捉え、どう行動していくかが大事なのだと思いました。
リーダー
「アウタテッチ強制笑陽所」参加します!!
今までに沢山の人生の分岐点がありました。それを全てを最後は判断で右か左かを決めて進んで来ました。それが良かったのかどうかは最後の終着駅をどう描いているかで決まるのですね。まだまだ自分も人生に求めてばかりです。
ブログありがとうございます。
今日の内容は深く、分かったようで、消化しきれませんでした。
自分なりに要約すると、「人は与えられた環境で、なすべき事を精一杯やっていけば、そこに『幸せ』を見出だす事ができる」という事でしょうか?
遠くの幸せを追い求めるのではなく、今足元に転がっている幸せに気付ける人間でいられるように、内観を意識していくようにします。
C Lはとても人生に合ったものですね。
最後の自由をどのようにして生きるのか態度、自分のあり方を大切にしたこと行動に移していきたいと思います。
まずは旅行にいけたらいいなと考えているのでコロナがおさまることを願って今を頑張りたいと思いました。
私は感謝を大切にしていきたいです。
ヴィクトール・フランクルさんのお話をありがとうございました。自分のやりたいことを優先する事よりも、今はなすべきことをすることが大事だと思いました。自分に与えられた課題に真摯に向き合って生きていきます。
様々な状況に対して、臨機応変に対応していくことが大切だと思いました。そうすることで自分の人生がより良くなっていくと思います。損を引き受けられる人になりたいと思います。
今現在も、人生が私に問いかけています。「お前の残された人生何ができるの」と。
それは選択肢なんてないです。
ただ1つのみ。それは
働き続けることです。ですから、その中で自分の行動を正す、欠点を補い周りの人に迷惑をかけなく、人のために尽くす事ぐらいしかないと思っています。
まだまだ甘いですけど。
私も2010年に父が他界し、一昨年母を送りました。
自分も父の最後をみたのは5歳でしたがすごく印象に残っています。
どんなに大変でもやらなきゃいけない事があるんだなと思いました。
今まで一生懸命働いてきて、私たちも体が元気なうちにと思っていたのですが。
今いる場所(環境)が、今 一番輝ける場所だと教えて頂きました。「今」を精一杯生きることで、未来へ繋いでいきたいです。人から「自由」は、奪えないんですね!ありがとうございました(^-^)
人の嫌がる仕事を進んでやることはとても大切だと思います。
無視して通りすぎることも出来ます。
ですが必ず誰かがやらなくてはなりません。
それをやっても評価されないかもしれませんが必ず誰かが見ていてくれると私は思いました。
私に人生が問いかけて来ても具体的な答えは出ないかもしれません。
いつ人生からの問いが来てもいいように一日一日を大切になすべきことをやっていきます。
自分の態度は自分だけが管理できるものだと思います。
その態度が自分にとっても周りの人たちににも良い方に動くように心がけたいです。
ヴィクトール・フランクルという方は知りませんでしたが、夜と霧を買ってみました。
この前、ラジオを聞いていたらスポーツのメンタルコーチの方が話されていた内容がCLそのものだったので驚きました。
良い人生を送るためのヒントはCL的なことにあるのだなと改めて思いました、
日々与えられる目の前の課題をこなしていくいうのは、シンプルだけどできていないこともあるなと思いました。
感情のまま行動したり、嫌なことや面倒なことを避けたりもしてきました。
一つ一つの課題としっかりと向き合って、クリアしていきます。
私も両親にはとても感謝しているので親孝行をしっかりしていきたいと思います。
自分を育ててくれた親になにをやってあげられるかわからないけど、今までお世話になった分、お別れする前にたくさんのことをしてあげたいなと思いました。自分のこれからを決められるので、より良い人生にしていきたいです。
「人生から与えられた課題に取り組む」という捉え方は理解しやすいです。
自分の置かれている環境の中に自分への課題が出されています。
課題が何かを具体的に観て、課題に応えて行きたいと思います。
ありがとうございました。
与えられた境遇の中で、自分なりに何が出来るか、最善の策は何かを考えて行動するようにしたいです。
起きてしまったこと、失敗したことを憂うのではなく、次にどうするかを考えることを、大事にしたいと思います。
人生からの問いを問いで返さず、自分で答えを見いだし、人生を成功できればと思います。
人生に対する深いお話だなと思いました。
今はまだそのように感じることは感覚的に
ないかもしれませんが、そうしたことが分かるような
生き方にもとても興味が湧きました。
今のこの状況で自分の行動をどのようにしていくかが大切なのだと思いました。
感情に流されることがありますが、自分のできる行動をしていきたいと思います。
ありがとうございました。
私は与えられる感情に左右されてしまいます。そして成功も求めてしまいます。
今の環境をどう生きているかを、意識して生活してみます。
どうすればそこに辿り着けるのか…日々の人生の中のもの全てなのか…?今はひたすらに自分の目標に向かって、今を必死に出来ることに挑戦していきたいと思っています。
うちはまだ両家両親ともに元気です。なかなか親孝行と呼べることはできていませんが、4人とも大切にしていきたいと思っています。
与えられた環境のなかで輝けるように、なにをするべきかを丁寧に考えながら行動していきたいと思います。
どんな状況に陥っても、自分がどういう態度や行動をとるかという自由は残されているのだな、と気づかせて頂きました。一見悪い事もその人の心次第で幸せに変えられるように、僕も起きた事を一つの要素としてとらえ、ポジティブに行動していきたいです。
ハガキ1254日目
ブログ当日22日目
自分の両親や義理の父母も高齢になってきました。ご迷惑やお世話になった分、これからはお返しをしていきたいと思っています。また、今いる環境の中で自分の出来る事を精一杯やっていきたいと思います。
自分自身のしてきたこと、選んだ選択が今後とても左右されると改めて感じました。自分自身を磨いていき、素敵な人生だったと言えれるよう行動をしていきます。
人生の意味を問いかけられたら自分
は3日かけて考えてしまいます そして
答えがでない暗くなります深く考えても
答えが出ない問題だったり あっさり答え
がすぐ出るのに考えすぎるところが自分の
悪いところだと思いました シンプルに
素直に文字通りに受け入れるように
していきたいです
人生が投げ掛ける課題をどのような姿勢でこなしていけるか。そんな風に考えたことはありませんでしたが、なんだかスッキリしたものを感じます。
今日のブログは胸に刺さりました。フランクルさんにとっての人生の意味を教えていただきありがとうございます。人生はなすべきことをするのが人生の意味だなんて考えたことがありませんでした。今日のブログを読んで、私はこんな素敵な環境にいるのに一体何をしているんだろうと思いました。なすべきことを何もしていない自分が恥ずかしくなりました。研修を終えてから、いかに自分が感情中心か、いかに抽象的かに気づく毎日です。頭の中のオバケを怖がるのではなく、目の前の本当の幸せに目を向け、死ぬときに、もう後悔はないなと思えるような人生にしたいと改めて思いました。今日もありがとうございました。
私は正直言うと、自分の幸せと家族の幸せを目指しています。
二番目は友達とや会社のメンバーやお客様がの幸せに願います。
自分の考えはとってもシンプルと思いますが、ただし自分が他の人の幸せな顔を見たいです。
与えられた環境で不満に思う時もありますが、それが人生なのですね。
与えられた課題から逃げずに地道に答えを見つけ出していきたいです。
自分と人生の関係が少しわかりました。自分が何をしたいのか人生に問いかけるのでは答えは出なく、事実を見た上で人生が具体的に課題を出してくるので自分から探すというよりも事実に合ったなるべきことをクリアしていくことが成功への近道なのかなと思いました。
私はまだまだ感情で幸せを決めてしまっています。感情に振り回されない人になる努力をしていきます。
これからの人生、、、衰えて行く自分とか想像するのが怖くて目を背けてる気がします。今も迷走中ですが、しっかり前を向いて行こうと思います。
人生の中で、あなたは選択をすることができないことがありますが、それを見る方法を知っていれば、まだ良いことが起こっています。
私も幸せとは嬉しいとか楽しいなどの感情の事を指すとばかり考えていました。ですがそれだとその感情がなければ不幸だということになってしまいますし、CLでは感情はコントロール出来ないものだと学びました。幸せは自分の行動で自分がどう生ききれたか、自分で胸を張れるような行動をしていきたいです。
ここまで自分を育ててくれた親への感謝の気持ちを持って喜んでくれるような声かけや接し方をしていきたいと思いました。
今ある環境でまずは一生懸命に自分にできることをやってみて目標を見失わずに進んでいきたいです。
自分は父とかなり歳が離れていて、一緒に過ごすことのできる時間が普通より確実に短い、ということも自覚しています。それでも、感謝を伝えたり孝行するのが気恥ずかしくてなかなか出来ずにいることが多いです。
自分の置かれた環境で、やるべきことを時折見直しながら動いていきたいです。
自分の欠点を修正することは、仕事をする上で非常に重要です。自分の感情的に行動するかもしれません。周りの人から見て、学ぶべき多くの良い教訓があります。どうなのかを行動をしていきたいです。それが新経験でも私がしなければならないことを大切にし、与えられた環境で最善を尽くしたいと思っています。
ブログありがとうございます。
夢を持つことは大切ですが何かしたいと思うだけではいけないなと感じました。頭の中の夢を具体的にするためには目の前の事実を受け入れて課題に取り組んでいくことが1番なのかなと思います。口や頭だけになりがちなので実際の自分の行動を今回のお話に当てはめて振り返ってみます。
私は自分の感情に流されてしまうことがあります。楽しいことや嬉しいこと、よかったことだけが幸せとは限らないのだと思いました。
自分の感情に流されてしまわないよう、事実を見ていきたいと思います。
「成功」というものは「どれだけ得たか?」「何を手に入れたか?」ではなく、与えられた環境でどのように生きたか。それが幸せにつながる道なんだろうなと思います。観察して、やるべきことに自分で気づききちんと行っていこうと思います。
これまで、やるべきことに気づかなかったり、気づいても行動できなかったことが沢山あり、後悔しています。もう後悔したくありません。
今日のひとことはとても心に響きました。
「与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である」
目先のことにとらわれ大きく物事をとらえることが苦手、という自分の人生の課題に向き合えてないなと思います。どこかで仕方ないと諦めたり。苦手という事実を認めつつその先が無かったです。自分のためだけでなく、人のために生きられる人生にしていきたい。目的を忘れず、自分の態度とあり方を問いただしながら毎日を積み重ねていきたいと思います。
私も最後の方こそ素晴らしい人生だと思います。なんとか自分もその心構えを維持できるようになります。
自分はまだまだ感情中心で動いてしまっているなと思います。
ただ今日のひとことは、今まで何かモヤモヤしていたものが自分の中にあってその答えを導いてくれたような気がします。
どんなことも起きてしまったことは事実として受け入れて自分のとるべき行動は何か考えていきたいと思います。
私にとっていいことが幸せ、悪いことが不幸せだと思っていましたが置かれた状況でどんな行動をするかが重要かなと思いました。自分の仕事を精一杯やって今日をいい日にしていきたいです。
人生に求めるのではなく、事実をよく観察し、
人生が求めてくる課題を
具体的に解決していきたいと思います。
生きる中でいろいろ感情が湧いてきます、
事実を良く見て、目的を明確にして
行動して取り組んで行きたいと思います。
ありがとうございます。
数年前に亡くなった祖父のことを思い出しました。
感謝の気持ちも、ごめんなさいも伝えられなかったです。
お家に行くたび、どこかにいるのではないか、もう一度だけでも会いたいなあと思ってしまいます。
今ある環境で、与えて頂いた環境の中で、自分がどう行動していくかで変わってきますね。苦手なこと、嫌なことが起きた時こそ、神様からの試練なんだという気持ちになります。後悔しないように行動していきたいです。
事実をよく観察して課題を具体的にしていくようにしていきたいと思いました。与えられた自分がどれだけできるか考えていきたいと思います。
照れ臭いって感じは最高上級の共感だと思います。
人生や成功という言葉をたくさん使いますが今日の内容はとても新鮮でホッとするものでした。
求め続けるって大変ですよね。
与えられた環境の中で、できる限りのことをやっていきたいです。
感情に左右されず生きるということは、ある意味、楽しくもなく、うれしくもないが、実践するという厳しい言葉ですね。どんな時でも、その人が決めた態度を取り続けることに尊さがあると思いました。少しづつでも近づいていきたいと思います。
幸せとは何かをよく考えて、より良い人生を送るために正しい選択をしながら歩んで行きます。
人生がだす課題だと思うものがでてくると、どうしても避けてしまいます。あわよくば、やらずに隠してしまおうと考えてしまうこともあるので気をつけます。
杉井さんのお母様への思いを拝見して、私も父と過ごしたこの数ヶ月を思いました。
人生に期待しながら、うまくいかないと嘆いている私です。人生に意味を求めるのではなく、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えを出していく努力をしないといけないと思いました。
ブログありがとうございます。
気付けず申し訳ございませんでした。
お母様のご冥福を祈念すると共に、心からお悔やみ申し上げます。
「それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」言葉でも行動でも簡単な事ですが、違う事を考え難しいとやらない理由を沢山つけて逃げています。本当に大切な事は至ってシンプルな事なのですね。実習生の働き方をここ数日見て、今日のブログがより理解出来たと思いました。違う事を考える前に、具体的な答えを出し続けたいと思います。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
私もヴィクトール・フランクルの本を読んでみたいと思いました。
あり方とは生き方であり、それを学ばせていただいているんだなと思います。人生に求めてしまうのではなく、人生が求めてくるものに応えていく。それを自分のあり方として、いろんな課題を突き付けられますが、これから一つ一つクリアしていきたいと思います。
ありがとうございました。
幸せとかうれしいという感情が湧かなくても、成功してもしなくても、成すべきことと向き合い行動することこそが、すなわち成功なのですね。
未だしっくりこない部分もありますが先ずは自分の課題は何なのか?
向き合っていきたいと思います。
杉井先生、ありがとうございました。
いい事だけ、いい場面だけなんて事はありませんよね。誰にでも「見て見ぬふり」をしたくなる場面があると思います。そんな時こそ目をそらさずに、損なことも引き受けていきたいです。
ありがとうございます。(2日目)
お母さまのご冥福をお祈りいたします。
後悔のないように自分で自分の人生を切り拓いていきたいと
思いました。
事実をよく見て、行動を決める。その積み重ねが人生なのだな、と思いました。偏った見方をしていると、行動まで偏ってしまうと思いますので、相手がどういう意図でそうあるのか、相手が自分にしてくれていること、相手にご迷惑をおかけしていること、に注意して、事実を見ていこうと思います。
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ちょっと難しかったのですが、好きなことをするのではなく、毎日のやるべき事、おかれた環境での自分の行動が大切だということですね。
一回限りの人生を、満喫する事がいい人生だと思っていましたが、そうではないということに深さを感じました。
同じ環境にあっても、愚痴を言う人と笑顔で仕事をする人がいます。僕はどちらかと言うと愚痴を言ってしまう方だと思います。与えられた環境を変えようとするのではなく、この中で自分ができる精一杯を頑張っていきたいと思います。
両親のことをもって大切にして後悔しない生き方をしていきたいと思います。
感情や結果はコントロールできないので折り合いをつけて上手に付き合っていきたいと思います。
今いただいている環境の中で、
私がすべきことをしていかなくてはと、思いました。事実をきちんと受け止めていきます。
ブログを読んで、どのように生きていくのかが大事なのだと感じました。 一日一日を大切にできるように、なっていきたいと思います。
私はまだ感情中心で動いてる部分があるのかなって思いました。苦手なことから逃げてきたり、やりたくないことを避けてきたりしてきた自分がいて、これからはそういったことからも逃げずに向き合っていきたいと思いました。
でも、読んでみたいです。
私なりの解釈を申しますと、自然の摂理だと、タンポポの種子が風乗って、肥沃な場所に着地。豊かに生育する物があれば、逆に日当たりの悪い不毛な大地に着地、悪い環境の中でも、一生懸命生きようとする姿が、人にも当てはまるのかな。
私達の人生は後悔の繰り返しかもしれません。
例えば私が苦手、不得手としていること、それを私は深く受けとめず逃げてきましたが、あらゆる場面でそれは繰り返し現れて私をくるしめます。あの悲劇のホロコーストの最中で他人の救済を真剣に考えた人もいます。あす死ぬかもしれない環境下で我を捨てみんなを励ました人もいます。私はアウシュビッツの状況下に置かれなくとも、私から逃げる事なく、取るべき行動を選んでいきます。
自分の父母はまだまだ元気ですので今まで迷惑をかけたことなどたくさんあるので今からでも少しずつ恩返ししていきたいです。