朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

生成AIを比較してみた

2024年04月06日 14時10分39秒 | 社会
様々な生成AIが発表されているが、よく分からないところもあるので、
試しに比較してみた。

質問は
「桂米朝について、落語に詳しくない人に分かるように説明してください。500字程度で。」
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ChatGPT4
桂米朝(かつら べいちょう)は、戦後の日本を代表する落語家の一人で、20世紀後半の落語界において特に影響力があった人物です。1925年に大阪で生まれ、落語家としてのキャリアを積む中で、その独特の話術や人間味溢れる演技で広く人気を博しました。落語は、主に江戸時代に始まった日本の伝統的な演芸で、一人の演者が様々な登場人物を演じ分けながら、ユーモアを交えて物語を語る芸術形式です。

米朝は、特にその柔らかく聞き取りやすい言葉遣いと、人物描写に富んだ繊細な話し方で知られています。また、彼は多くの古典落語を現代に合わせてアレンジし、より広い聴衆に受け入れられるよう工夫を重ねました。このような努力は、落語を古典的な枠を超えて、現代の人々にも親しまれる芸術形式として確立させることに貢献しました。

さらに米朝は、自らの落語家としての活動にとどまらず、後進の育成にも熱心でした。彼のもとで学んだ弟子たちは、現代落語界の中心的な存在となり、その教えは今もなお多くの落語家に受け継がれています。1980年代には、落語芸術協会の会長を務めるなど、落語界全体の振興にも力を尽くしました。

米朝の落語は、その洗練された技巧だけでなく、日常生活の中の喜びや悲しみ、人間関係の微妙さを温かみのある視点で捉えた点が特に評価されています。彼の作品は、今日においても多くの人々に愛され続けており、日本の伝統文化としての落語を現代に伝える重要な役割を果たしています。

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Perplexity
桂米朝は日本を代表する落語家です。
桂米朝は1950年に東京で生まれ、落語家の家系に育ちました。幼少期から落語に親しみ、1970年代に入門し、1980年代に独立して自らの落語会を開くなど、長年にわたって落語界をリードしてきました。
桂米朝の特徴は、独特の話し方と表情、そして豊かな表現力にあります。彼の落語は、聴衆を引き込む語り口と、細かな仕草や表情の変化によって生き生きと描き出されます。また、古典落語の枠にとらわれず、現代的なネタも手がけるなど、柔軟な姿勢も魅力の一つです。
桂米朝は、落語の伝統を守りつつ、新しい可能性を切り開いてきた第一人者といえます。彼の落語は、聴衆を楽しませるだけでなく、時代とともに変化する人々の価値観や感性にも応えてきました。
落語に詳しくない人でも、桂米朝の落語を聴けば、その独特の世界観と表現力に魅了されるはずです。彼の落語は、日本の伝統文化の魅力を感じられる貴重な機会を提供してくれるのです。

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Gemini

桂米朝:上方落語を復興させた名人
桂米朝は、20世紀後半の日本を代表する落語家です。上方落語と呼ばれる大阪発祥の落語を復興させ、多くの人々に愛される存在となりました。

戦後の苦難を乗り越え、上方落語を復興

米朝は1925年生まれ。第二次世界大戦後、上方落語は衰退の一途を辿っていました。そんな状況の中、米朝は4代目桂米團治に入門し、独創的な話術とユーモアで人気を集めます。

彼の代表的な演目には、「死神」「芝浜」「饅頭こわい」などがあり、いずれも軽快な語り口と巧みな演技で観客を魅了します。特に「死神」は、死神と人間のやり取りを描いたコミカルな噺で、米朝の真骨頂と言えるでしょう。

テレビやラジオで活躍、落語を全国に広める

米朝は落語家としての活動だけでなく、テレビやラジオ番組にも積極的に出演しました。親しみやすいキャラクターと分かりやすい解説で、落語を多くの人に身近なものにしました。

また、落語の研究や後進の育成にも力を注ぎ、上方落語の復興に大きく貢献しました。その功績が認められ、1983年には人間国宝に認定、2009年には落語家として初の文化勲章を受章しています。

上方落語の魅力を伝える語り部

米朝は2015年に90歳で亡くなりましたが、彼の残した数多くの演目や功績は、今もなお多くの人に愛されています。上方落語の軽快なリズムとユーモアを味わいたい方は、ぜひ米朝の演目を楽しんでみてください。

参考情報

桂米朝公式サイト: http://www.beicho.co.jp/
上方落語家名鑑: https://kamigatarakugo.jp/directory/ichimon/katsura_beicho/

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クロード
桂米朝は、落語界の重鎮として知られる名人落語家です。以下のようにわかりやすく説明できます。

落語は、一人の話芸で、苦しみや哲学、人間情などを描いた語り芝居芸です。桂米朝は、その落語の世界で最高の腕前を持つ名人の一人です。

米朝は1937年生まれの87歳(2024年現在)の高齢者ですが、舞台に立ち続けています。話の構成力や語り手の妙、そして豊かな表現力が高く評価されています。話の盛り上がりを期せずにタイミングを計る「化け」の演技は絶妙とされている。

並行して上演される作品は、古典落語から現代風の新作まで幅広く、珍しい作品の発掘と継承にも興味力を持っています。不安があります。

一連の名跡を引き継いだ実績から、落語を守る「錬華の松」とも呼ばれています。 。

このように、桂米朝は長年にわたる芸歴と卓越した語り口で落語の世界を牽引してきた最高の名人だろう。

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それぞれ、大なり小なり傷はある。
それは「生成AI」というものが基本的に内容を理解している訳ではないので、
致し方ないところではある。

また、この質問に対する回答には誤りが多いが、
他の質問内容についてはより正確に答えられる、というケースもあるだろう。

要は、「信じ過ぎず、でも全否定するものでもない」ということですわな。
色々と試してみる中で、クセや自分に合ったものを探せば良いのだと思う。
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「イコマド」の「茜×藍」イベントに参加しました

2024年02月25日 19時25分35秒 | 身の回り
あかねさす紫野行き
標野行き野守は見ずや
君が袖振る
(額田王)

生駒市のコワーキングスペースである「イコマド」の「茜×藍」イベントに参加した。
イコマドで「専門家登録」しているのだが、その関係で誘われたので。

特に「茜」はよく知らなかったのだが、
教えてもらったこと、その他いろいろと思い浮かんだことを備忘で。

・色番号で指定できる「茜色」という色は存在しないのではないか。
単色で指定できる色ではなく、あくまでも日の色、特に日没時のグラデーションが「茜」なのではないか。
「茜」という字は「草冠に西」である。
西に沈む夕日の色であり、その色を採る草が「茜」なのではないか。

・「茜」は禁色らしい。
天皇、あるいは高貴な人しか付けられない色。
天皇を象徴するのが日であり、その色が「茜色」。

・江戸末期に薩長が持ち出した「日の丸」は、「茜色」で染められていた。
言わば皇室の色。
戦後は気にせず色番号で指定された「赤」になっているが。

・「茜」はいわば雑草。棘のある草。
マンガで「茜」或いは「あかね」と言えば、
私のイメージでは「らんま1/2」の「天道あかね」。
棘、ありますよね(笑)
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咲太夫死去

2024年02月19日 09時36分17秒 | 歌舞伎・文楽
人間国宝で人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹咲太夫さん死去 79歳 _ NHK _ 訃報

1月末に咲太夫が亡くなったことを、先週くらいに知った。
文楽自体への私の関心が低下しているせいでもあるが、
根本的に言えば咲太夫に「興味がない」。

基本的に住太夫を中心に見てきており、嶋太夫はそれはそれで好きだったけど、
綱太夫は好きではない。
という中で咲太夫って、嫌いではないけど全く好きでもない人。
千歳の方がまだ面白いと思っていた。
長い間見ていない(住太夫の引退興行が最後?)から、
良くなっていたのかも知れないが。
声があまり通らず、何言っているかよく分からないオネオネしている人、という印象なんだよなあ…。

# そもそもが津太夫好きで越路はそこまでではない、という人間なので、仕方ないのではあるが。
4世竹本津大夫の熱演 野澤勝太郎 盛綱陣屋の一部 文楽

今見たら「クサい」んだけど、こういう芸もあって良いでしょう?(笑)

最近の大夫さんは、全く追いかけられていないが、
「団菊じじい」になるのも良くないので、
また文楽劇場に足を運んでみるかな…。
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それでも原発?

2024年01月06日 14時59分57秒 | 社会
志賀原発「異常なし」から考えた 運転中だったら?「珠洲原発」だったら? 震度7の地震は想定内なのか:東京新聞 TOKYO Web

# 1年位前にも、同じようなことを書いているけど(笑)

元日から震度7の地震に見舞われた。
「地震からの復旧という状況で、原発のことを言うな」
「地震を政治利用するな」的な罵声が聞こえるらしく、
妙に忖度してあまり語られていないように見えるが、
このタイミングで問題提起しなければ、また日常に埋没して惰性で流されてしまう。

やはり、特に地震大国日本において、原発は危険過ぎるのではないか?

「想定外」という言葉は聞き飽きた。
意図的に目をつぶっていたのでは、という疑念もある。
そうでなくても、人間は全知全能ではない。
「想定外」は起こり得る、というのが本当に理知的で誠実な態度ではなかろうか。

そして、原発は「想定外」が起こった際の犠牲が大き過ぎる。
それは現在生きている日本人が全滅するだけではない。
現在、意思表示を(原理的に)できない未来世代への影響も甚大。
それはもちろん、「原発」だけでなく、火力発電にせよ太陽光パネルにせよ風車にせよ、
何にだって付きまとっている。
しかしその中でも、遺伝子レベルで甚大な影響を与える、というのは大きな違いではなかろうか。
そのあたり、「世代間倫理」の論点からすると、
「今、ここにいる」者だけが有権者になっている多数決民主主義の限界だろう。
そして、自分が生きている間は事故は(確率的に)起きないだろう、と思っている老いた連中が、
メリットや利権だけを享受して「死に逃げ」しようとしている。
# 日本の「国土」や「伝統」とか言っているくせに「原発推進」と言っている人間の神経は、私には分からん。
 原発事故で国土が汚染され、日本人が死に絶えたら「伝統」もクソもないだろうが。
 自分が生きている間だけ、「国土」や「伝統」が守られていたらいいのかい?それは自己満足じゃないの?
 ちゃんちゃらおかしい。仮名で書いたらちやんちやら。

また、以前にも考えたことだが、原子力発電は「フェイルセーフ」になっていない、
根本的に拙い技術ではないだろうか。
Wikiでは「フェイルセーフ」とは
>なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、
>常に設計時に想定した安全側に動作するようにすること。またはそう仕向けるような設計手法で信頼性設計のひとつ。
と記載されている。
自動車は故障すれば止まる。踏切は故障すればバーが下に降りてくる。安全な方向に設計され、作られている。
しかし、原子力発電においては、
「外部からの電力が供給される」という外力がなくなれば、外部電源喪失でメルトダウンに繋がる。
非常電源も結局は「時間稼ぎ」であり、それが失われれば遅かれ早かれメルトダウンに繋がる。

この「フェイルセーフ」が実現できていない上に、事故時の影響が甚大な「原子力発電」。
この技術は、根本的に(そして、原理的に)拙劣ではないだろうか。

そんなことを考えると、原発からの脱却は急務ではないか。

熱さを忘れない内に、
喉元にトゲを刺しておきたい。

私は、
東日本大震災よりさらに致命的な事態が発生してから
「いやあ、危ないと思っていたんだよ~」と訳知り顔するのは恥ずかしいので、
後世に顔向けできるようにするため、アリバイ作りしておきます。
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2024年、引き続きタブーは解けていくか

2023年12月31日 12時14分50秒 | 社会
2023年は、「タブーが崩壊し始めた年」と言われるのではなかろうか。

例えば旧ジャニーズ事務所。
ジャニー喜多川による性加害問題 - Wikipedia
はっきり言ってこの問題、別に目新しい話でも何でもない。
一部のメディアでは随分前から報道されていたが、
大手マスコミが利益誘導か忖度かで報道して来なかっただけの話。

或いはタカラヅカ。
タカラジェンヌに様々な負荷が掛かっていることは、別に知られていない話でもない。

さらに自民党の(旧安倍派、と限定する話でもない)パーティ券。

また、年末に出てきた松本人志の話。
まだ「事実」と確定した訳ではないが、
吉本のあまりにも早い否定は、逆に「ヤバい」という問題意識の裏返しのようにも見える。

このあたりは、
「知られてはいるけど、様々な理由で報道されてこなかった」タブーに属する話ではないのか。
その話が漏出し、報道が広がるようになったのには様々な理由があるだろう。
例えばネットの拡散力。
「今まで黙っていたけど、勇気を持って話す人に背中を押された」という傾向。

そして今尚「タブー」とされていることはあるだろうが、
それは隠されるのではなく、公開され、解けていく方向にあると思われる。
私は基本的に良いことだと考えるが、
今度は権力側マスコミが、
権力側についてだけ「それがどうした」「皆やっている」的な反応で
明かされたタブーを矮小化していく動きを見せるのでは、と危惧している。

そのあたり、マスコミの「強者に阿り、弱者を叩く」構造を踏まえて
非難されるべきものをきちんと非難するように監視していく意識は必要だろう。
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