前回記事と連動しているので、併せて読んでくださると、文章が繋がると思います。
現在は、CDも含めた音楽ソフトが余程の事がなければ売れる時代ではない。
昔のようなお金のかかるレコーディング方法は、相当に潤沢な資金を持ったビッグバンドでないと無理だろう。

この事については、少し悲しい現実をグラハム・ボネットが語っている。

『俺は、またギタープレイヤーを失ってオーディションをしなくてはいけないというのは繰り返したくない。だって、誰がこの仕事をしたい?もう大金は支払われないよ。もう80年代とは違う。あの頃のような収入は、もう得られない。~後略~』

引用元 BURRN!2019年9月号 グラハム・ボネットインタビューより

しかし、現在はミュージシャンが一ヶ所に集まらずともアルバムが制作できる。
例え地球の裏側にいても、音をデータ転送できるし、音そのものもデジタル技術を駆使して変化させることも可能だ。
ミュージシャンが全く顔を合わせることなくアルバムが作れるご時世である。
50年前の不可能が現代では可能になり、昔では有り得ない方法でアルバムが出来上がる。

さて、どうだろう?
不便な事や実現し難いことを効率的に短時間に解決できるようになった反面、人と人とのぶつかり合いからしか生まれない熱さ、難しいことを乗り越えようとする時に生まれる閃きや輝きがなくなってしまってはいないか?

イアン・ギランはディープ・パープルの曲作りに関して、記者の質問に対して次のように答えている。
『このバンドの本質、音の作り方は常にインストゥルメンタル的視点に基づいていた。曲を書き、その後にアレンジを施すという曲の書き方をしたことは一度もない。どんな時も、曲はジャムセッションから生まれたんだ。
~中略~
リハーサルスタジオに集まる時点で、アイデアは何も決めてない。ポットに火をかけて湯を沸かし、紅茶を淹れたらスタジオに入る。すると誰からともなくジャムが始まる。15分後、今度はまた別の誰かをきっかけにジャムが始まり、そうしているうちに1日のうち一度か二度、使えるアイデアが生まれ、それが曲になる。』

強烈の個性のぶつかり合いは、時に軋轢や確執を生み出し、バンドそのものの存続に関わる事柄に発展することがある。
この事は様々なバンドの歴史を見てもよくわかるだろう。
しかし、そのぶつかり合いが化学反応を起こして一体となった時、それは『バンド』という輝きを放ち、個々のミュージシャンの能力を超越する。
そうした状況下で産み出されたアルバムこそが、数十年を経ても語り継がれている、いわゆる『名盤』であろう。

果たして、これからそのようなバンドが、アルバムが、HR/HMの世界に産まれるのだろうか?

ここまでの事をマイケル・シェンカーが端的にわかりやすく語っていた事があるのだが、それは次回に。

その3へ続く