前回の続き

前回マグマ大使だの、オジーだの、散々なMVを紹介したのだが、あのセンスの無さは一体誰に原因があるのだろうか…

気分新たに続きを書こう。

このアルバムは、先の二つの記事からもわかる通り、メロディアスなハードロックらしからぬナンバー揃いなのだが、しっかりとハードロックも収録されているの。

その最たる曲
『Fire Dance』
次回紹介する予定の『ライヴ・イン・ジャパン』での演奏は、メロスピばりの疾走である。

アルバムを締め括るハードナンバー
『Make your move』

軽快なロックナンバー

ただ、やはり三頭政治時代のファンには受けが悪くて、曰く
『リッチーのやる気が感じられない』
『リッチーの片手間のギターをキーボードで埋めているだけ』
等々…
まぁ、個人的な好き嫌いはあって当然なので、様々な評価があって然るべきではあります。

スタジオアルバムとしては、本作を以てレインボーは活動を休止するのだが、本作時点のメンバーであった、チャック・バーギとデイヴ・ローゼンタールは、のちに共にビリー・ジョエルの活動をサポートしている。

また、ビリー・ジョエル以外にも、それぞれが様々な一流のミュージシャンやバンドのサポートを行っており、レインボーでの活動が彼らの成功のきっかけになったと言えるのではないか。

そして、リッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァーは、この後ディープ・パープルを再結成するが、前作の時点で既に一度話題にあがっていたことは、HR/HMファンなら周知のことだろう。

そのゴタゴタというか、不安定な彼等の状況を表すような当時の噂が、本作の日本盤のライナーノーツに書かれている。

それは、ハーマン・ラレベルとフランシス・ブッフホルツがスコーピオンズを脱退、代わりにボビー・ロンディネリとジミー・ベインが加入し、スコーピオンズを脱退するハーマン・ラレベルとフランシス・ブッフホルツがレインボーに参加する!
という、今読んでみれば笑い話のような噂である。

ちなみに、当時の両者を比較してみると、
スコーピオンズ
1982年『Blackout』全米10位、全英11位
1984年『Love at First Sting』全米6位、全英17位
1988年『Savage Amusement』全米5位、全英18位
レインボー
1982年『闇からの一撃(邦題)』全米30位、全英5位
1983年『Bent Out of Shape』全米34位、全英11位

リッチー・ブラックモアが目指していたアメリカ市場では、スコーピオンズの方がワンランク上に位置していたといえる。

ところが、当時の日本のチャートでは断然レインボーの方が上であり、そのような視点からライナーノーツに次のように書かれている。

『スコーピオンズにブリティッシュ・ヘヴィ・メタルでも名うての二人が入ることによって、ドイツ出身のバンドから世界的なバンドへの地位を不動のものにすることができる』

世界的な成功をアメリカ市場での成功と考えるならば、スコーピオンズは成功者としての地位を既にアメリカで築きつつあり、レインボーは、残念ながらアメリカではその域に達することができなかったのが、当時の現実である。

こうして考えると、上のライナーは少し的外れに思うのだが、当時の日本ではスコーピオンズよりも、断然レインボーの方が支持されていたことの表れなのだろう。