宗教屋になる必要はない ー水滸会に学ぶ(1)

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これから何回かに分けて、草創の男子部人材グループ「水滸会」について、僭越ながら学んでみたいと思います。小説『人間革命 第7巻』水滸の誓いの章で、「水滸会」の意義を、戸田第2代会長は次のように語ります。

 

宗教革命は、必然的に、政治革命ともなり、経済革命ともなり、教育革命、社会革命、文化革命ともなっていかざるを得ない。(中略)私が、今、諸君に望むことは、信心は、あくまでも根本だが、それだけに執着して、広い社会に対する目を自ら塞【ふさ】いではいけないということです。われわれは、いわゆる宗教屋になんかなる必要はないし、また、なってはならない。

 

宗教だけの道ならば、これほど気楽で無難【ぶなん】な道はないといってよい。あくまでも、社会に貢献する有能な社会人、妙法という偉大な哲学に目覚めた正真正銘の社会人に成長し、思う存分に活躍してもらいたい。これが、乱れきった末法における民衆救済の大道なんです。この道だけが、仏法の慈悲に通じているのだ。この大道を、先陣を切って進むのは誰か。それは、ここにいる諸君なのだ! 先駆者は、どこにいるのでもない。今、ここにいるんです。これから大きく巣立つのだ!

 

戸田第2代会長

 

戸田先生、池田先生自らが心血を注いで薫陶された、学会の中核を担う人材の集いが水滸会です。ここに仰っている通り、社会変革の道を避け、宗教だけの世界に閉じこもり、もし供養目当ての儀式や布教だけをしていったとしたら、難も起きないし、社会との緊張関係が生じる局面も無いでしょう。仏法を根本として、平和、文化、教育、人権、政治とあらゆる分野を変革し、民衆を救済しようとするからこそ、既成の権力からの幾多の批判、迫害があったのです。

 

その意味では、人数を増やすことも大事ですが、それ以上に、御本尊の功徳と力を、現実に社会の隅々まで行き渡らせるのが、大事であり、その使命を担う人材を育成する団体が、創価学会なのです。「宗教屋になんかなる必要はないし、また、なってはならない」との言葉は、広宣流布を生涯の願業と定めた、戸田先生の深き責任感から発した師子吼なのです。末尾に、池田先生の指導を紹介します。

 

戸田先生は語られた。「社会の不幸に目をつぶって、宗教の世界に閉じこもり、安閑【あんかん】とただ題目を唱えているだけなら、大聖人の立正安国の御精神に反している。この世の悲惨をなくす。不幸をなくす。人権を、人間の尊厳を守る。平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践があるのだ」と。
(池田SGI会長のスピーチから ‘08年8月3日付)

(令和4.7.25 修正しました)

 

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