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聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2020.04.05
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カテゴリ:スピリチュアル
ブログを読み思い出し、感じたことがあります。元いた職場には外科があり、対照的な患者さんの姿が思い出されます。一人は臨床的に完治しましたが本人が認めず精神と肉体を病んでしまい、もう一人は臨床的な数値は悪いのですが肉体的に辛い状態を感じさせませんでした。題名にもある「病は気から」と言う気がどちらを向いているのかだと思いました。精神的にダメージを受けるか、精神的に支えられるかは、トンネルの中でそれぞれの向く方向が逆なのだと思いました。病をシビアで辛いものと捉えるのか、肉体からの解放と捉えるか、肉の世界の考え方とスピリットの世界の考え方と言う違いは大きいのだと改めて感じました。私が病をシビアで辛いものと思った時から、私の考え方が肉の世界の考え方になり、自分自身の感覚として闇に向き、心の中に暗いものを感じていました。見るべき方向を間違え逆を向いていたため、心の中の整理が上手くできませんでした。Seraphimさんの言葉通り、決して後ろを見ず前を見て進みます。

病をシビアで辛いものと感じた時から、母の病を思い出し、母にとってはシビアで辛いものだったのだと思いました。「人の心の痛みを理解し優しく寄り添うのは、病のリハビリ以上に大事だということです。」と言うSeraphimさんの言葉からも目に見えるものと目に見えないものの違いを感じます。目に見えるものだけに価値を見出そうとすると限界を感じ、目に見えない自分の心にあるもの、周りにある優しさと言う気を感じ支えられるのだと思いました。

Lucifer





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Last updated  2020.04.05 14:29:56
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