僕はあの犬が大好きだった。
登下校の途中、いつも大きく尻尾を振って喜んでくれた。
かわいいなぁ、シロ。
ある日、学校の仲間から、
このピストル(模造)がどれくらい威力があるか試してみないか?
よし、あの犬の眼球を狙ってみようぜ。
一発で当たるかな。
犬は悲鳴を上げてうずくまった。
僕はもうその道を通ることが出来なくなった。
恐る恐る様子を見に行くと、シロは前と変わらず、僕に尻尾を振ってくれた。
あーよかった、死んだわけじゃなかったんだ。
でも片目はもう開いていなかった。
失明したんだ。
何故「やめろよ、生き物なんだぞ」と言えなかったんだろう。
僕は、仲間はずれにされることが怖かったんだ。
学校で、ひとりぼっちになることが怖かったんだ。
その後ずっとずっと苦しんで生きていった。
ある日、意を決して呼び鈴(インターフォン)を鳴らして飼い主に懺悔した。
嗚咽となり、言葉もしゃべれないほど泣く僕を見て
「いいのよ。もう済んだこと。謝りにきてくれてありがとう」
おばさんは優しく言ってくれた。
これは、20年以上前に、新聞に投稿された読者記事です。
投稿者自身が回顧した文なので、実際の出来事は30年以上前のことと推察します。
ショックで忘れられず、骨子はよく覚えていますが、小学生なのか中学時代なのか、謝りに行ったのはその後どれくらい経ってからなのか、正確なことは覚えていません。
今これを書こうと思ったのは、その構造が日大アメフト問題とよく似ているからでした。
みんなへ。
属する集団が、おかしいぞ、何か変だぞ、と感じたら(自分の)正常な判断が持続しているうちにそこを離れることです。
学校でいじめを受けていて、立ち向かうことが不可能と思ったら、辞める事。
学校側の判断が理不尽と思ったら、辞める事。
自分のいる場所は、そこしかないと思わない事。
逃げなさい。
いくらだって道は拓けます。