昨日の記事の続きで。。。



「されていた」「であった」と過去形なのは、、、

平成6年(1994年)に来客数激減に伴い

閉園されたのである

老朽化していた上に、翌年の阪神淡路大震災で

更に大きなダメージを受け施設は立ち入り禁止となり

その後は荒れ果て、長く朽ちるに任されていたため

廃墟や心霊スポットとして有名となってしまった(涙)





財団法人の作った有料の施設だったから

しかたがないのかもしれないけど

採算が取れなくなったら放置ですか?

作ろうって志は素晴らしいけど

なんだかなぁと思います





余談ですが、その他の慰霊碑も同じことで

旧軍経験者が亡くなられて

継承者不足や戦友(遺族)会の資金繰りやらで

継続が難しいところはたくさんありますね

国内はもとより、特に海外に建てられた慰霊碑なんかは

管理面で問題となっていますね

まあ、個人宅のお墓等も同じで

少子化も影響して墓じまいが話題となっています

作るのはいいけど、その後が難しいですね





そうそう、で、約2,000点に及んだ展示物は

平成16年(2004年)に、なんと!

〇〇大学の平和ミュージアムに寄贈したんだって





そして、南あわじ市が土地を買い取り

順次再整備を進め

平成27年(2015年)、戦後70年の節目の年に

「永遠の灯(ともしび)」が再び点火され

約20年ぶりに一部の地域が都市公園として再開した





ただ残念なことに、寄贈してしまった展示物は

回収することができず。。。

(当然だよね、返してくれる訳がないって)

現在は、資料館は縮小となり

再オープン後に新たに寄贈された若干の資料と

寄贈してしまった展示物を写真で撮らしてもらって

パネルとして展示し

公園を主とした無料施設となっている





大叔父は戦没学徒ではありませんが

ちょうどそのような記事を書いていた時だったので

気に留めていたのでした

読者の皆様も機会がございましたら

淡路島を訪れてみられてはいかがでしょうか?

いつも読んでいただきありがとうございます



2019.9.30



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、
情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング