<妄想劇場>

※興味の無い方はスルーして下さいね



姉婿が支援していたと仮定して

日米学院の学生の存在は

姉婿にとって光機関等への

美味しい貢ぎ物(情報提供)だけではなく

これから通訳要員として

ビルマに行く大叔父にとっても

ネイティブな英語の発音を学ぶ

またとないチャンスを得る存在であった





〇〇大学を中退して

神戸の帽子屋さんに就職していた大叔父

ほんとうに毎日通勤していたかなんて

伯父も覚えていないし

家を空ける出張があったっておかしくはなくて

東京に行くことだって出来たのでは?

なんて勝手に妄想してたけど。。。





いやいや、大叔父は

日米開戦から2年後の昭和18年初頭には

東京・中野の姉婿の家に引っ越していた

京都の伏見師団に招集されるのは4月

それまで姉婿がお世話をしていた大森の

旭機械工業(株)に

中野から通っていたのは事実である





<※ここより妄想に妄想を重ねた

意味のない妄想劇の始まり始まり

開戦と同時に日米学院の学生が

母国に帰れなかったとしたら

大叔父が中野に行った昭和18年には

益々帰れる状況では無くなっている

と言うことは、大叔父は学生たちと

会う可能性は十分にあったのだ





日本には強制収容所があったっけ?

学生さんは敵性外国人でも政治犯でもないし…

日本語を学びに来た親日家の日系アメリカ人

外国人だから日本の中を

勝手にウロウロされるのは困るから

保護と言う意味でも、隔離と言う意味でも

建物が確保されているここに居てもらう方が

国としても都合が良いだろう





学生を移動させるなら疎開くらいかな?

でも学生って言ったって成人してるし

外国人を優先して疎開させたとも思えないし

更にすぐ近くに住んでいる姉婿から

支援の申し入れがあったなら

こんなにありがたいことはないのじゃないかしら?




続く…




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