光機関に派遣されていたA氏とは

〇〇大学を卒業したばかりの青年で

卒業後は〇〇大学の職員となっていた





昭和16年4月から石原莞爾氏が

〇〇大学の講師となり

石原莞爾氏が担当した国防学研究所では

A氏が助手に充てられたことから

満州やビルマに派遣された際の軍内では

石原莞爾氏と〇〇大学の総長の

”特使”として大佐待遇で扱われた

光機関では北部大佐とペアーで

北部大佐は石原莞爾氏の子分でもあった



※〇〇大学の総長は

元官僚の政治家であり、元台湾銀行頭取





A氏がどうしても大叔父を欲しいのならば

京都・伏見の教育隊である第37部隊は

第16師団(後に第53師団)の管轄で

石原莞爾氏は退役したとは言え

元第16師団長でまだまだ力を持っている

新兵の引き抜きくらい

融通を効かせてもらえただろう





60連隊にとっては、せっかく

128連隊から貰い受けることになっていた

人員を光機関に取られる形であるが

文句ひとつ言えないのである





ここからは妄想劇場

石原「おい、神居達ってのがいるだろう?

ビルマの光機関に配属してくれ」

教育隊「神居は60連隊にもう決まっていて…

あっ、いえ、かしこまりました



教育隊「石原将軍から言われましたので…」

60連隊「えーじゃあもう後は光機関の方で

全部やって下さいよ知りませんよ」



(終戦後)

60連隊「死んでから後処理だけしろと

言われてもさぁ

どうしろっての?神居達の兵籍簿

光機関は何もしてないじゃん

連隊長(北部大佐、元・光機関No2)の命令じゃ

しかたないかぁ、あ~あ




続く…




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